【十八】悪霊め
秘密は深ければ深いほど暗きにある。
少年は一人になることが増えていった。
夢は他の誰かが叶え、
理想を語り合った同志は他人の創った流れを享受した。
することがなくなったシオンは本来は改革を起こすつもりだった国、
リトルファムの裏側を調べてみることにした。
公爵経由のツテがあり、
ただの貴族には絶対に明かされない情報にアクセスすることができた。
それは少なくとも気晴らしにはなった。
本の差し替え、隠し扉、合言葉、ルーンの解読、
マナによる高密度地雷原。
番犬代わりの氷竜。
通り抜けた先にあるのは異空間への門と、
向こう側に広がる静謐な空間だった。
星の色が点在して浮遊し、
ぽつんとある台座には厳重に保管された聖櫃が横たわっていた。
「ここは……?」
見たことがないもの。
この空間を造り、自動的に維持するだけでも
かなりの技術が必要になるだろう。
なぜならここは、宇宙そのものだからだ。
身を刺す冷気が温度ではなく空間の空々しさから伝わる。
「中になにが……?」
「バァッ」
「うわぁっ!!」
聖櫃から赤い空気を纏った陰気な女が出てきた。
何者かもわからずに獲物を構えていつでも戦える体勢を取った。
奇妙極まりない生き物だった、
顔つきはへにゃへにゃして
卑屈なおもねる薄ら笑いを顔に貼り付けているにも関わらず、
そこには針先ほどの付け入る隙もない。
そして、薄紙のように透けていた。
これほどの達人は見たことがなかった。
スケスケであることから幽霊なのはわかるが、
死人含めても存在すると思えなかった。
「あんたは誰だ……?
そもそも何なんだ」
「私は太古の昔に存在した、ヴィジランテと呼ばれる者です。
ずっと貴方を見てきました。あと幽霊です」
「どういうことだ」
「でへへへ、引かないんですね。
優しい……好きになっちゃう……」
「何故、王国の八重の罠を潜り抜けた先に
異空間と亡霊と聖櫃があるんだ。
お前はいったい誰なんだ」
「好き……」
なにやら意味不明な譫言に酔っている。
恋愛的・性的な好意を向けられるのは初めてではない。
幽霊に向けられるのは初めての体験だった。
「私はここからずっと観察していました。
力のある者、これからの世界を導くに足る者。
ヒーローではなく、王者、救世主を」
「それが俺だと」
このヤケに赤い亡霊にあらぬことを持ち上げられても、
いっさい感情が動かない。
仮にこれから上手い話を持ちかけられても乗るわけがない。
いくら周りに見放されていようとも、
彼にはこれまでに育んできた技術への自負がある。
ただの称賛で動く心ではない。
「この世界を変えたいんでしょう?
立派になりたい、お母さんの期待に応えたい。
その心をまだ持っていますか?」
ずいぶんと詳しい。
まるでずっとここに引きこもっているようでありながら
とんだ地獄耳の持ち主だ。
「あんたに関係あるのか?」
「貴方に至高の力をあげちゃいますぅ」
空間の映像が変わった。
突き抜ける深い青空に確固たる存在感を持って飛行する男性。
術ではないが、なんらかの特別な力を持っているのはわかる。
彼が自然体で浮かべている笑顔は
シオンには無縁のものだ。
否、こんなに屈託のない笑顔は初めて見た。
空中を跳んでいるだけで人々は笑顔で見上げ、
手を振ってくる。
彼が空を滑るように、泳ぐように渡ると
地震、津波、雪崩、嵐、大火事と
長く天命同然に見られてきた災害から人々が助けられていく。
物語における主人公とはこのようなものなのだとわかる。
それも、市井に生きる者のための夢物語だ。
自分らは大いなる存在、高貴なる者に見捨てられていないのだと信じるための。
少年は知っているし、理解している。
こんなものは存在しない。
いれば、人は空を見上げて笑みを零し、
この世にもっと希望が広まっている。
「これは幻覚か?」
「実際にいましたよぉ。私の親友スゲーマンです。
向こうから会った初日にLINEもインスタも繋がってくれと脅してきました。
ニヤついていますが本質はとんだ直結野郎です。
しかし、そんな邪悪な男でも力を人助けに使うことで宇宙最高のヒーローとされていました」
「ヒーロー?」
「実態のないハリボテぶら下げて、
誰でもできることをする目立ちたがり屋のことです」
「あんたの親友じゃないのか……?」
「その本心は底知れぬ悪意に満ちていたんです……。
奴に親友でいることを強要されて屈してしまっても、
心は常に奴の企みを一つも見逃さないことに尽力していました」
今のところは、この女の言う事を信じる要素はゼロだ。
スゲーマンとやらが無理矢理に距離を縮めるにも、
こいつには人間的な魅力に乏しすぎる。
こんな見ているだけで不快感を抱く小柄な女が一番の美女と言うはずもない。
「もう死んでいるんだろ。
悪霊にでもなっているのか」
あんたのように、とは言わなかった。
「ジェーン・エルロンドに転生しています」
「なんだと……!?」
許婚で、遥かに先の領域にて想像もできない方法で、
自分のやりたかったことを達成した少女の名を出された。
その名前を耳にするだけで
シオンの心は形容のし難いざわめきと劣等感に締め付けられた。
昔は会う度に適当にからかって憂さ晴らししていた。
馬鹿な貴族の小娘でしかなかったはずだ。
戦いの才能に秀でていると言うがそれも専用の訓練がなくては伸びることもない。
武門の棟梁である父に嫌われているのだから、
才を開花させることもありえない。
つまりは、そんな取るに足らないもののはずだった。
だが、今は。長く会っていないのもあって、
改めて今の彼女と間近で接するとどういった感情を抱くことになるか
自分でも想像ができない。
羨望か憎悪、両方かもしれない。
「彼女はまだスゲーマンの力に目覚めていません。
ただの知識だけを引き継ぎました。それでこの成果です。
力に目覚めた結果どうなるかはだれにもわかりません。
いいえ、理想もなく国の有り方を激変させたのですから
あまりにも恐ろしい結果になるでしょう」
「それを俺に聞いてどうしろと?」
悪霊は静かにこちらを見つめる。
初めから今まで無言で佇む聖櫃。
中を誇示するように匣の入口を指でなrッドル。
「この中には貴方を、
スゲーマンと同じ力の持ち主にするものが張っています。世界に遺る魂の欠片。
リトルファム王国が王家の使命はこれの管理だったくらいです。
まあセイメイが建国した箱庭にいたら、騙されても無理ないですね。
アンプルから注射すればたちまちにスゲーマンの力を発動できます」
驚きの話はあるが、
それはジェーンについてのことに比べれば大したことはない。
「これを使って彼女を殺しましょう。
そうして、今度こそあなたが世界を思い通りにするのです」
「それが言いたかったんだろう。
俺を殺し屋に仕立てる気か、この悪霊め。
二度とここに来るか」
本題に入られると実にくだらないことだった。
どう見ても国に害をなそうとする怨霊の囁きでしかない。
呵々大笑し、シオンはその場を去った。
くだらない話だった。
そう。とてもくだらないことだ。
ジェーンを殺す。
あまりに意味がない。
彼女は国をたしかに良くしている。
シオンが救おうとした人々を最高率で生存に導いている。
近隣国への心象も大きく向上させた。
彼女を殺すなど。
「立派な人にならないんですか?」
背中にかかる声。
それを無視した、聞く耳は持たなかった。
自分は戦争で生き永らえようとする先のない王家を変えたかった。
もうその必要もないのだから──
数日後、シオンはまたここに来た。
ジェーンと久しぶりに会い、
「肉付きがよくなったな、もっと頭を使え」とか
色々とからかうと、許婚は昔と同じようにムキになってくれた。
「ムキー!!」
本当にそう叫んでいた。
聖女とは思えない扱いやすさだ。
結局はこの程度なのだ。これからいくらでも巻き返しようがある。
だって自分はこれまでに血の滲む研鑽を積んできたのだ。
シオンはそう考え始めていた。
「ジェーン様。今年の収穫量ですが前年比より大きく上がりそうです」
それも彼から去ったシスマが事業報告をするまで。
たちまちに表情を変えたジェーンは、
別人のようにエネルギーを漲らせた顔と肩で
すぐに事業に戻っていく。
扱いやすいおもちゃと思っていたのが
一瞬で巨大になり、
手出しのできない大いなるものになった。
「やっぱりね。クレオの案の通りだったわ。
今すぐにこのデータを商会と共有。
それと現場にも見せてお祝いしましょう。
みんな気をもんでいたから。ああ、シオンの相手をお願いしていい?」
そこに、シオンの存在は何処にもなく、
彼は真に子どものお遊び、童心に帰る触媒としかみなされていなかった。
後ろ姿、コツコツと意志を込めて力強く刻む歩。
長い髪が太陽の外輪のように動き。
その姿に彼は、屈辱以上に憧れを抱いた。
だから彼は成ることにしたのだ。




