【十五】生意気
大学生の青春とはアルバイトと直結しているのかもしれない。
まあ夜間学生だったからというのもあるけれども。
それでも僕のキャンパスライフの思い出は
サークルよりもバイトだった。
「今日はぁ、ベテランヴィジランテにインタビューしに行きます。
あの、正体とかバラされたくなかったら、来てくれると嬉しいかなって」
腰低い卑屈な笑みで脅され、
僕はやむをえず従った。
本当はあまりやりたくない仕事だ。
彼女が行くところはいつも怒れる人がいる。
話す相手を、彼女が激しく怒らせる。
配信者、りさの下で仕事をやり始めた、
そう言っていいものなのか。
とにかく、僕は流野りさのアシスタントとして働き始めた。
配信業というものにあまり魅力を見出さなかったが、
実際にやってみるとなかなかに見えてくるものがあった。
人にモノを伝える重要性、
情報を広めることの力と危険性、
配信者というシンボルを通じて見える視聴者に近い距離での発信。
これらは、僕の進路選択において大きな影響を与えていた。
当時、クマ王国が天下、白日の元に晒されたことで、
長く存在しないものとされてきた、超常のものへの見方が激変した。
現代社会で存在しないものとされてきた超常が当たり前のものとなった。
その結果、社会の注目の対象になったのが、
非現実的で夢物語と笑われてきた超パワーというもの。
特別な力を持った存在が
己の存在を犯罪において加害・防衛に使うようになった。
ストリーマーと名乗る少女は、
とにかく犯罪関連で配信をするのを主なジャンルとしていた。
明らかに後ろ暗い生業だ、リスクも大きい。
典型的な、田舎の奥地から出てきたお上りさんが
悪い人に弱みを握られて都会の暗黒に呑まれる、
僕はそんな流れの中にいた。
親になんて言えばいいんだこの状況。
現場は新進気鋭のベンチャー企業のオフィス。
整頓されたデスク、調度などはなく、
どれもが乱雑だがエネルギーに満ちていた。
そこに押し入ってきた強盗を退治したヒーローに絡むのが
今回の配信の概要だった。
帰りたい。こんなのするくらいなら勉強した方がマシだ。
しかし、大人になって振り返ると、
そう考えることこそが大学生の日常と言えた。
「こんにちはぁ! 最近の活躍がすごいですね!
一昨日にはここで正体を現してカッパになったヴィランと大立ち回りしましたね」
「ああ、なかあかの強敵だったが、
どうってことはないぜ」
筋骨隆々、身長3m近くの大男がピチピチハーフパンツのヒーローが
りさに絡まれている。
初対面時は彼女の挙動不審さに戸惑っていたようだが、
LIVE配信が始まると、きちんとプロフェッショナルの顔になっている。
でもヒーローって無給でやるしボランティアだよね。
プロフェッショナルさとか必要なのかな。
「うわあ逞しい腕ですねえ。
ちょっと触っても? うわあ凄い。
蜂蜜を塗りたくったモチモチのハムみたい」
「ハッハッハ。いくらでも触っていいぞ。
撮影しているお兄さんもどうだ?」
「ありがとうございます。
今は配信中ですから、終わってからいいですか?」
僕もすっかり慣れたものだ。
最初の頃はこういう誘いに即答で乗っては
配信に映ってしまっていた。
しかし、僕の役割はあくまで撮影だ。
丁重にお断りする。
後でお願いしたら触らせてくれるかな。
試す価値はある。この人に何事もなかったらの話だけれど。
「こんなに鍛えた体はさぞ見せびらかしたいですよねえ。
それしか得意なことがなさそうですもん」
チクチクした言葉だ。
ペタペタ触って褒めそやした口で、
りさは微妙に棘のある言い方をした。
この棘って本当に微妙かな?
もしかして直球で喧嘩を売ってる?
人と人の関係の機微は難しい。
「みんなのために朝から晩まで鍛えているからな!」
「それでここの社長の心を射止めたいんですよね?」
……止めるべきか?
この人、いっつも配信相手を怒らせるんだよな……。
どうしてそういう言い方しかできないんだろう。
怒らせるためだよね。とっくに知っているのに
まだ世の中にそんな人が実在していると信じられないところがある。
だが相手のヒーローは大人だ。
胸筋をピクピクさせても
怒りを表に出さない。
「ハッハッハ。どういうことかわからないな」
「照れ隠しですかぁ?
あなたは目立ちますから、目撃情報を集めると、
行動範囲がここを中心にしているんですよ。
それも、ここの社長さんが社内にいる時です。
前回の戦いもそうでした。ラッキーですよねえ」
「何が言いたいんだ」
相手が冷静に尋ねる。
怒気で体を膨らませているが、
それも脅しでしかないだろうし、
りさは気弱で卑屈で粘着質だけれど脅しには屈しない。
まっすぐに相手を指差し、ストリーマーは断言した。
「あなた、ストーカーさんですね?
マッチョでストーカーとなると……果たしてあのヴィランも
本物だったのか……わからない。
あなた、自作自演って知っていますかあぁ?」
「ちょっとそれ以上踏み込むと相手が激怒しちゃうよ!」
「もう遅いって」
過去を見ているジェーンがぼそりと呟く。
天才にはそういう相手の感情の変化を見抜く観察もお手の物だろうが、
あいにくと僕にはそんな類まれな読心術はない。
多少は失言していても、
もう少し友好的な関係が続くと思っていた。
「あなたの仕事ってこれなの?」
素朴な疑問なのだろうが。
聞く側としては切れ味が鋭すぎる。
剥き身の光線剣のようだ。
「野郎、ぶっ殺してやる!!」
ストーカーの両腕が十倍の太さになった。
普通なら助けないといけないが、
りさ、ストリーマーは平気だ。
相手の攻撃を見切り、直撃の一歩手前、
完璧なタイミングで打点をずらした。
ピカピカなオフィスの床に突き刺さる腕。
半歩前に進んで攻撃を逸らしたストリーマーは
相手が鈍重な動きで腕を引く前に、
こめかみに一本指を第二関節まで突き刺した。
「げふぅ」
白目を剥いてヒーローだった者は倒れた。
瞬殺。この言葉がこれほど似合う戦いをする人もいない。
ストリーマーは小柄だが、戦いになれば相手をいたぶる以外は、
最短距離で急所を突く。
カメラに向かって表情を取り繕い、
怯えて動転した風を装った。
「うわあビックリしましたねえ。
突然に攻撃を仕掛けてきましたよぉ。
これだからヒーローって信用なりませんね!
みなさんも気をつけましょう。
それでは次回も、ヒーロー。ヴィランよ。
市民の声を怒らずに聞いて下さいね!」
決め台詞とともに配信が終わった。
彼女の試みは成功しただろう。
しかし、これでいいものなのか。
もっと相手の心に寄り添えば、
彼も暴れることなく罪を認めたのではないか。
そんなことを考えていると、
オフィスの照明が一斉に消えた。
「おや、社長さんのお帰りみたいですよ」
倒れた大男が起きてこないか観察していたりさが顔を上げた。
ここの社長のことはよく知らないが、
漏れ聞く話でも人間とは思えないほどに優秀だという。
「やあ僕の同志たちよ。
今日も世界をよりよくしたかい」
血の気が引いて、全身が冷たくなり、
心臓だけが痛いくらいにぎゅっと締まった。
「悪い虫を追い払ってくれてありがとう。
いつも楽しく拝見していましたよ」
「えへへ。ありがとうございます。シニスター・セイメイ社長」
伝えたいことは100万もあったのに、
顔を見ると全てが霧散した。
「セイメイ…………!」
あの夜からどれだけ探したか。
彼の痕跡があれば、
どんなところでも言った。
上京してからも、暇があれば彼と再会できないか望んだ。
ストリーマーは様子が変わった僕を横目で見やってから、
セイメイは指で自分の額を小刻みに叩く。
「では、一言よろしいですか?
あなた……つまりこのSS社は一体何を世界にするつもりですか」
「昔、弟分がいたんだ。
僕が見てやらないと、危なっかしくて、頼りなくて、泣き出しそうな馬鹿」
驚愕で動けない僕の両目を見据えて、
記憶よりも遥かに美しく成長した彼は続けた。
「でも、そいつが僕に黙って生意気をしていてね。
懲らしめてやらないといけない」
独り言のように、
僕の宿敵は好敵手を通してこちらに告げた。
「だってあいつは僕のヘタレな弟分だからね」
これが、僕のアークネメシス、アークヴィラン、
シニスターセイメイが初めて宣戦布告をして来た瞬間だった。
人生を通して絶えず衝突した宿敵は、
昔の面影を強く残し、
かつての人間性を一切消して僕の前に姿を見せた。




