【五】ホントのホントに
いい天気なのに空気が冷えてきた。
それも鼻がツンとするタイプの、
鋭くも爽やかな後味のものではなく、
じっとり肌に染み付く湿度の高い冷えだ。
幽霊が近くにいると、錯覚かもしれないがこうなる。
どうしてかはわからない。
人には誰でも怖いものがある。
僕の場合、それは幽霊やオカルトだった。
幼馴染に付き合ってあちこち探し回る青春を送ったが、
それは友達と遊ぶのが楽しかったからだ。
怖いものは怖い。
この幽霊は
幼馴染だった彼とは別の親友だ。
こうして幽霊になってまで再会するとは思わなかった。
「……あれ幽霊なの? 本当に?
蹴れたけども」
「幽霊相手だって気合を入れたらキックもパンチもできるんだよ。
それにご覧よ。スケスケだよ。
あんなに透けているんだから幽霊だよ」
「そんなもんなの?
前世とか転生とかある世界で
幽霊が実在しているってのがよくわからないわ」
「世の中はわからないことばかりだ」
「あの。教訓がほしいんじゃなくて……」
僕にはわからない引っかかりを感じたジェーンがしきりに首を傾げている。
いったいなにが気になるのだろうか。
彼女は幽霊に物理攻撃できることを不思議がっているが、
幽霊とはれっきとしたエネルギー体だ。
極めて密度が薄く、凝縮しても21gだけの重さしかないが、
それでも実体がある。
ティッシュ一枚を殴っても破くことも穴を開けることもできない。
だが光線兵器レベルの圧縮したパワーを放つと、風穴を穿てる。
それと同じことだ。頑張れば幽霊を殴ることはあっさりできる。
つまりパンチしたら相手も痛がるのだ。気をつけよう。
「まあとにかく何が起きても備えられるようにしておいて。
彼女は誰よりも危険な人だから」
「うん?」
お腹をまだ押さえて呻いている幽霊、ストリーマー/りさを胡乱げに見る。
身長140cmを超えるか超えないかの極めて小さな体格。
それにおどおどびくびくした振る舞い。
侮っても仕方がないだろう。というか、普通は庇護欲が刺激される。
だが彼女を知っている者は遺伝子に恐怖が刻まれている。
あれと戦うくらいなら
100万のクマ相手に一人で立ち向かった方がマシだ。
それを知らないジェーンに任せるのは危険だ。
ここは僕が切り込むべきだろう。
「幽霊になってまで何を求めているんだい、ストリーマー?」
「と、ととと特にないです。ただ、修行したらできるようになったから、
死んだ時に幽霊になって留まってずっといます」
「魔術を使ったの?」
ジェーンが質問した。
「いや、彼女はそういうのは一切できない。
もっぱらガジェットと体術で何でもこなすタイプだ」
「でも幽霊になったって……」
「かっ!!!!」
目を見開いて叫んだストリーマーに、
ジェーンはのけぞった。
相手の気が緩んだ時に一番相手の心を驚かす声の大きさだを発する。
これを意図的に仕掛けられるから、りさは凄い。
「かの伝説の空手家は修行によって箱の中を見通す透視能力に目覚めました。
武術は気脈、魂魄、気の操作を覚える技術もあります。
極めれば、転生することなく自らの意志で幽霊になれるんです」
スゲーマンの記憶に接して
さまざまなことを知って、触れてきた聖女をして、
理解できない領域の話だ。
だがこれで思考を停止していると
ヴィジランテに何をされるかわかったものではない。
「いいかい。彼女から目を離しては駄目だ」
「意外ね。貴方に“警戒心”って概念があったなんて」
「すぐにわかる」
「いたああああい……お腹が痛いよおぉぉぉぉ……」
さっきまで卑屈の皮を被って元気に話をしていたのに
また大げさに痛がり始めた。
それだけなら同情や罪悪感を引き出したいと思うだろう。
しかし、相手の視線はこちらから少しも外れず、
親友の僕だから気付けるくらいのさりげなさで周囲の警戒もしている。
相変わらずの強迫神経症だ。
赤ちゃんやハムスターでも彼女にしてみれば
世界が滅ぶキッカケになる。
「とにかく久しぶりだね。ストリーマー。
こうして会えるだなんて夢を見ているかのようだ」
「痛がっているのにどうして心配しないんですか」
うらめしそうな声で毒づかれた。
相変わらずだ。僕は彼女に見えない角度で、
ジェーンの後ろ髪を軽く引っ張る。
怒って前のめりにならないように牽制しておいた。
「私のことなんて心配する価値もないんですね。
ずっと親友でお互いのことは何でも知っているベストパートナーなのに……」
「……ん?」
様子がおかしくなったのを察したジェーンが眉をひそめる。
だが、遅い。ストリーマーは最初からおかしい。
「つまり、そう。これはつまり?
貴方は悪に堕ちた。転生先を操って邪悪を成そうとしている。
なんということ、ようやく証拠が掴めました……私はなんて幸運なのでしょう」
「ごめんなさい。こいつ、何なの」
一人で持論を展開し、
それにうっとりする様を見せつけられ、
聖女は非常によくない意味で困惑した。
助けを求めるように、聖女が僕へ話を振った。
「振り向いちゃ駄目だ!!」
マントの僕に眼の前の異常存在を尋ねた。
あのストリーマーから目を逸らす。自殺行為だ。
僕にも理解できない方法で小柄な幽霊がこつ然と消えた。
今いる所は王がいる部屋のすぐ外。
とりわけ高い塔であるため、周囲に隠れるところがない。
幽霊だから消えたとかではない。何らかの技術で消えたのだ。
「どこ!? どこに行ったの!!」
幽霊を蹴ったことよりも
突如として空気が代わったことに恐怖を抱いた。
僕もまるでわからない。
何度も右を見て左を見て、下も見た。
いない。
直接対峙しているわけではない僕は、なんとか捉えることが出来た。
上空から5回転して揃えた両踵を脳天に振り下ろすストリーマーを。
「くえっ」
痛みは皆無だが予想外の接触に変な声がでた。
反射的に頭上を手で探ったが、
すでに相手は離れていた。
次は横腹を撫でられた。
「ひっ。なになに!?」
叩くのではなく、撫でるという行為。
ジェーンは意図を掴めずに動揺してしまった。
次も、その次も、攻撃にはならない接触と干渉が来た。
「こんの……人を馬鹿にしてぇ!!」
イライラが激しくなったジェーンが鼻息を荒くし、
額に青筋を浮かべてムキになる。
まずい兆候だ。手玉に取られている。
「あたしはね、そうやってからかわれるのが大嫌いなの!!
それもこんなわかりにくいやり方で!!」
彼女の頭の中には別の誰かが浮かんでいるのは察せた。
だが相手は止まらない。
こちらが何処を見るかを読み、高速移動でも不可能な死角を常に確保しての接近と錯乱。
「ぐえっ!」
髪を引っ張られ、のけぞったジェーンの目に涙が浮かんできた。
攻撃されずとも嫌がらせをされ続ければ
いつかは決壊が来る。
それも、こちらに敵意を向けているかも定かではない相手では。
「何がどうなってるの……次はどこから……」
一切経験したことのない脅威と恐怖。
それに翻弄され続けることで
傲岸不遜な彼女の瞼が痙攣して呼吸のリズムが短く浅くなっていく。
「無理……体は痛くないのに心が辛い……」
これがヴィジランテの恐ろしさだ。
肉体面で攻撃を通せなくとも精神を執拗に削ってくる。
特別な因縁もない相手に一方的かつ婉曲的な攻撃を受け続ければ、
あのジェーン・エルロンドですら心が弱ってしまう。
潮時だ。
また僕が認めよう。
「もういい、ストリーマー! 降参だ!!
僕をどうしてもいいから、ジェーンのことを見逃してくれ」
マントでしかない身だが、
彼女が狙っているのは僕だ。
補足はできなくても声を張り上げて懇願はできる。
「また違った……今度こそ悪に堕ちたと思ったのに……」
ストリーマー、流野りさ独特の価値観で判断を変えてくれた。
失望、落胆、虚しさが織り交ぜになって肩を落とし、
ジェーンの眼球に伸びていた人差し指と中指を引いた。
今から粘膜も攻めようとするところだったか。
危なかった。あれをやられると本当に神経がおかしくなる。
「終わった……? どうして」
「ストリーマーは“ヒーローいじめ”の異名を持っているんだ。
手口はひたすら本性は悪者とレッテル貼っては、
目をつけた相手に執拗に嫌がらせをし、
向こうが手を挙げた瞬間を全世界にLIVE配信して撃破する。
僕も何度もその手を食らった」
「ちょっと待って。あの……ごめんなさい……今から酷いことを言うかも。
ただのクズじゃねえか」
「ひぃーーーーーーっ!!」
「やめるんだジェーン。
彼女が機嫌を損ねるとすごく面倒なんだ!」
「親友に面倒って言われましたぁ〜〜!!」
幽霊の目から滝の涙を流してストリーマーがわんわん叫ぶ。
「なんで被害者ぶってベソをかこうとしているの、こやつ!!
ていうかこんなのと親友やってる貴方も貴方よ!!
ちょっとは人間関係を選びなさい!!」
「だって……向こうが親友って言ってきたら、否定したら悪いじゃない。
それにね、悪いところと危険なところばかり見てきただろうけど、
彼女にはそれ以上に良いところがたくさんあるんだ」
わかっている。言葉では絶対に納得しない。
しかし、ありとあらゆる困難に耐え忍んだ先には、
このストリーマーというヒーローは
“ヴィジランテの神”の呼び名に相応しい超クールなところを見せてくれる。
「まあ……貴方が言うなら、強く止めることでもない……かなあ?
ストリーマーだったわね。
あたしは、ラスターって名乗ってるわ。よろしく。
王様に会いたいんだけれども、いい?」
「もう死んでいますよ。
シオンが影武者を立てています」
何も特別ではないという風に言われ、
ジェーンは危うく聞き逃すところだった。
窓硝子の向こうには王が背を向けて、
今も何かしらの書類と睨めっこしている。
彼がシオンの立てた影武者というのか。
クレオがここにいればもっとわかることがあっただろう。
「なんでそんなことを知っているの?」
「シオンの師匠だからです。
だから貴方への殺意が非常に深いことも知っています。
貴女に協力しますよ。親友の転生先ですしね」
「あいつにシスマ以外にも師匠がいたの?」
そう驚くジェーン、ラスターへりさは手を差し出す。
握手を求められた側は無反応だ。
初対面でさっそくイジメられたのだから無理もない。
「1いぶりがっこ、2いぶりがっこ、3いぶりがっこ」
おっとカウントダウンが始まった。
急がなければ。
「速く握手をして。
10まで行くと核爆弾を起動するよ」
「もういや!!」
荒々しく手を握ってぶんぶんと力強く振ると、
目口がふにゃふにゃに溶けた顔で
ストリーマーが卑屈な笑みを浮かべた。
本当にこれでもいいところがたくさんあるんだよ。
ホントのホントに。
核爆弾で自爆するって自己申告も
きっとただの冗談だし。




