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【三】あなたは極悪人に違いないです

東京の空は秋田の空よりもだいぶ広い。

そして、秋田は曇天が多いが、

東京は晴れが多い。


田舎なんだから秋田の空は広いだろうと思われがちだが、

東京にいくら高層ビルがあっても、

集落を多い囲んで、厳然と人間を見下ろす巨大な山脈の圧迫感には

まだまだ到底及ばない。

どこを向いても山が県と市から人々を出さないと立ちはだかる土地に育てば、

東京の人混みも建物の多さも林の賑わいに思える。


運命の出会いというのは、

人生において一回だけとは限らない。

少なくとも僕、米倉毅にとっては違った。


進路に迷うと、人は時によくわからないことをする。

高校を卒業し、自分はどうすべきか考えた結果、

上京して夜間大学に進学することにした。

夜は学業、昼間は働くという生活を送ることにした。


無利子の奨学金を申請できたから

その気になれば何処にでも進学できた。

だが過去のことがあって、学業に専念する気にはなれなかった。

初めてのスーパーヴィラン戦以来、論文や学術書を読むたびに“彼”の顔が浮かび、集中できなかった。

学業に集中するという気分になれなくなってしまった。

僕の将来からノーベル賞は消えた。


「え、まだ!? まだ回想することあるの!?」


僕の想い出を鑑賞しているジェーンが叫んだ。


「もうクレオとのことは解決したし、セイメイがどれだけ転生してきても大丈夫よ。

 なのにまだなにか貴方の人生から学ぶことがあるの?」


「うん……それはね。たくさんあるはずなんだよ」


「ないない。シオンのクソッタレを追い詰めてぶちのめす役に立つ記憶が

 どうしてあなたにあるのよ。まるで関係ないじゃない。」


「僕は君が思うよりずっと人生経験豊富だからだよ!

 まずこういうのはシオンとのことを解決する手がかりを求めた君が

 前世にアクセスして引き出すものだからさ。順番が逆なんだよ。君に必要だからあるの」


隣で今の時間軸でジェーンと過去を見ている僕が解説した。

渋々納得した僕の生まれ変わりが静観するのを決めた。

一時停止していた世界が動きを開始した。


このときの僕はとにかく働きたかった。

ずっと実家を継ぐと思っていたのに

高三になって梯子を外された。

もう心と体は、高卒でじっとしていることを許さなかった。農

家の生活リズム的に合わないからだ。


都市部で働くというのがどんなことなのか、

地元でも家業の手伝いしかしていなかった自分には想像もつかない。

体力には自信があるのでまずはひたすら日雇いをやった。

ヒーローをやっている時でもやらないような激務をした。

昼間も講義後も現場にシフトを入れてもらった。

睡眠は3日に3時間、大学生の成せる業だった、


貯めたお金を何に使うかは決めていた。

そうまでしたのはシンプルなモチベーションだった。

車を買いたかった。

人間は血を裏切れても血潮は裏切れないものだ。

秋田育ちの僕も、秋田の人々がみんなするように、

自家用車を求めていた。おとなになるための通過儀礼だ。


おっどぉとおっがぁも同郷の大学の友人も言った。

東京で車はいらないだろうと。

学生なのにバイトの稼ぎをガソリン代と駐車場代と車検に注ぎ込む気かと。

当時は常にガソリン代が上昇している時代だったからなおさらのことだ。


だが田舎の人にとって、車は移動手段ではない。

速さを感じるためのものでもない。

車は第二の家だ。僕も秋田の人間だから家は二つ欲しかった。


上京して3ヶ月働き、軽の中古車だが

駐車場も含めて用立てられた。

ついに僕も自分の車を持つのだ。

真の秋田の大人になるというわけだ。

すでに地元は何処を見てもクマしかいない、

クマ王国のお膝元だ。車に乗らなくても

近くのクマに依頼金として鮭を渡して背中に跨がればどこでも飛んでいってくれる。


秋田の現状はそれはそれとし、

マイカーを持つのは嬉しい。


これでようやく僕も東京の人生が始まる気がした。

こじんまりとした第二の我が家の乗り心地は安っぽいが

そもそも僕は高い車に乗ったことがない。

心が満たされ、最高の乗り心地だった。


今の僕ならこの軽自動車というベイビーとの2ショットで

ファッション誌の表紙を飾れただろう。

世界のトレンディが僕に凝縮される実感があった。


両手でハンドルを掴み、

若葉マークの緑が初々しい主張する車で、

僕は東京をブイブイしていた。


セブンを見つけたので駐車場に止め、

アイスをたっぷり買った。

もう7月だったが車なら問題なく溶ける前に家に帰れる。

マイバッグを手に提げ、鼻歌混じりに駐車場に戻った。


車を止めた場所につくと、

僕は膝から崩れ落ちた。


「車が盗まれてるーー!?」


第二の家を購入初日に喪った。

父に言われていた。

車に愛着を持っても名前をつけるのはやりすぎだからやめておけと。

僕は絶対に愛車の名を呼ぶことはしないつもりだった。


「サタケぇ……!!」


嘘だった。

普通に名前をつけていた。

買った日には記念写真を取ったし、

ツーショット写真をLINEのアイコンにしていた。


別れというのは悲しいことばかりではない。

稀に別れが運命の出会いを運ぶことがある。

セブンの駐車場で放心した僕を、

底知れぬ闇の底のような瞳で見下ろす者がいた。


「お、お困りのようですね」


声の主への第一印象は、

誰かに脅されているのかな、というものだった。

トレンチコートに山高帽、

口にはパイプを咥えた少女が立っていた。男装をしている女性だった。

だが挙動不審で、そこには一つの自信も風格もなかった。


「君は……?」


「は、はいいいぃぃ」


尻すぼみになる返事。

答えにもなっていない。


「わわわ、わたしは世界一の探偵になる予定です」


「あの……未来じゃなくて今の君が何かを訊いていて……」


小刻みに震えながら世界一になる野望を口にする。


「真実を追い求めるんです」


「新聞記者にでもなれば?」


「おええええええ!!」


「は!! 何!? 何なの!?」


話の途中でその場に胃の内容物を全部吐き出した。

会ってから一度も会話らしい会話をしていないのに。

背中を擦って落ち着くまで待つと、

今度はボタボタと涙の粒が落ちていく。


「学歴と就活の両方でしくじったんです……とにかくここは車泥棒が多発する駐車場です」


「そうなんだ。じゃあ警察に電話するよ、ありがとう。あと救急車も呼ぶから安心して」


「今すぐ追いかけましょう! 出発するあなたの車に発信機をつけていました」


スマホを取り出したのに

そこから勢いよく払い除けた

予想外の行動に反応できず、

落ちたスマホの画面にヒビが入ってしまった。


「ああ……!!」


悲鳴を上げてもヒビは治らない。


なんなのだこの女性は。


いきなり出てきて怯えて吐いて、

それで全てを仕切ってきた。

強引過ぎる未知の圧力の持ち主だ。

第一印象は頭のおかしい女性だった。

たぶんこの第一印象は永遠に変わらないと思った。


「さあ行きましょう」


「いや警察呼ぶよ。素人が追いかけたら怪我するし」


「真実を掴むチャンスですよぉ……

 未来の配信王、配信界最高の探偵の力を借りられるのよ!

 わたしたちが直接行くに越したことはないわ。

 お金は出ないけど、あなたにも次に繋がる良い経験になるから」


「次に繋がる良い経験…………」


この頃の僕は故郷から出てきたのだし、

せっかくだからぐんぐんと自己研鑽をしたかった。

かといって具体的に何をすればいいのかもよくわからなかった。

だからか、“次に繋がる”、“良い経験”という言葉が魅力的だった。

お金は出ないというのがむしろクールにさえ思えた。


「真実を見つけに行きましょう。

 ね? だってあなた、強いんでしょう?」


卑屈な笑みを浮かべた彼女に袖を引っ張られ、声が上擦った。

もしかしてこの女性は不審者なのか?

そういう考えも浮かび始めたところで、血の気が引いた。

震える手でスマホを翳すと、そこには素顔で浮かんでいる僕がいた。

これは一昨日、バイトの帰りに木から降りられなく成っている飼い猫を助けたときのものだ。

真夜中だが僕の顔が街灯でぎりぎり認識可能だ。


「……いくら欲しいんだ。

 言っておくけれども僕はそんなに多くの蓄えは──」


「いつ悪の本性を顕すんですかぁ?」


「本性っていつもこんな感じだけれども」


まったく心当たりのないことを尋ねられた。

だが相手は鼻で笑った。

よくよく見ると、彼女の双眸は猜疑心と野心でドロドロに濁っていた。

コールタールでもこんなに粘土が強くはならないだろう。


「あなたの生活を見ましたけれども、

 強大な力を持ちながらも全く善良で少しも悪いことをしていないです。

 それに大学にお友達もいるじゃないですか。

 ありえません。あなたは極悪人に違いないです」


「普通に生きていたらそうならないかな」


「なりません。善良な人間というのはこの世に存在しません。

 貴方は絶対に恐るべき野望を抱き、

 今はバイト生活に身をやつしているのです。あえて強盗をしない理由。

 それはなんですか? 答えられないでしょう」


「“犯罪だから”で十分じゃないの?

 えっと……警察呼んでいいですか?」


愛車を窃盗され、変質者に詰められている。

なんだこの状況。どうしたらそんなコンボをもらうんだ。


「ち、ちちち違います。えへへ、警察は呼ばないですよね? 貴方も痛い脛を持ってますよね?

 探られたらマズイ腹があるはずですよ。だから、貴方が悪になった瞬間に、

 私が成敗してそれを配信してメジャーになりたいんです」


「もしもし警察ですか。今、車を盗まれてしまって……ナンバーを言いますね。

 それと別口で不審者に絡まれ──」


「逃がしません!」


女にスマホをひったくられた。

今度は油断していない。

単純に相手の身のこなし、技術が僕の隙を突いた。

配信界一、世界一の探偵になるというだけの

探偵力と技はあるということだ。


「私の部下になってください。

 お金は払いますから。どうか、どうか本性を晒すまで側にいて。

 断ったらご家族のこと含めて貴方のことを全世界にバラしますよ」


「おっどぉとおっがぁまでか……!?」


両親のことで脅されたら打つ手がない。

彼女に従う以外の選択肢がない。

根も葉もない疑いをかけられているが、

逆に言えばありえないことなのだからしばらく一緒にいれば

誤解だと気づくだろう。


真実を無理に知らせようとする必要もない。

思えば、子どもの頃から真実というのにはあまり頓着しなかった。

何故なら、僕は自分が何者なのかわからなかった。

つまり、何処から来た何者で何になるのかを知らなかった。

心になにかしらの空白を感じないでもなかったが、

そうやってもう二十年と育ったので問題なかった。


「へへへ、無言ってことは受け入れたんですよね?

 それじゃあとにかく追いかけましょう。

 車を取り返したらお礼に闇金に一緒に謝ってください。

 見込みがあるから借金回収は先でいいと、あなたから何卒……」


不審者、彼女は配信者だった。

新聞記者になるには学歴が足りず、

探偵になるには小柄で威圧感が足りず。

昼の世界では常に怯えて縮こまるタイプだった。

これが僕の三度目の人生を変える出会いだった。

彼女の配信業の助手として、

僕はとりあえずは長期的な職らしきものを得ることになる。


「あの、ところで君の名前は?」


「そ、そうでした。まだ聞いてなかったんですね。

 お、お友達の多い貴方はそんなことを気にするまでもないでしょうけれども、

 しょ、しょしょ初対面なら名前を尋ねるものですよ」


「理不尽だ……」


だが卑屈さの裏にある

傍若無人の権化たるこのパワーには、酷く懐かしい感触があった。

この時の東京はうだるような夏だったそうだが、

彼女の背中を見ると、悲劇とともに奥に沈んだ幼馴染の面影が浮上した。


「じゃあ、僕は米倉毅って言うんだけど、君は?」


「流野りさ! 何度も言うけど配信界のトップを取るんです。

 貴方を踏み台にして!!」


後に知ることだが、

彼女はストリーマーというヴィジランテで、

思想や方針、そして僕への疑いから何度も対立する。

戦いはいつもお互い本気だった。


そして、僕は彼女との戦いに尽く全敗した。


「なので。まあ、ヴィジランテ系なシオンとの戦いで僕は役に立ちそうにないなって」


「まあ元からそんなにあてにしていなかったからいいわ。

 しっかし、貴方の周りは特徴的と言うか尖った人ばっかり近づくわねえ」


過去鑑賞も慣れてきたので、

僕と指遊びをしていたジェーンは肩をすくめた。

まあ言いたいことはあったけれども、

事実なので頷くしかなかった。

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