【二】ちくしょおおおおおおおお!!
「ほら、ここよ!
あたしのお気に入りのお店!」
大声で案内しながら元気よくドアを開けると、
調理の熱気が揮発した脂と一緒に叩きつけてきた。
爽やかな外気から一気に
脂っこいものをたらふく食べるという気分にしてくる。
地滑りから馬車を救い、
それから周辺の動物を対比させ、
流れた土と木をできるだけ早く硬く補強し、
戻る途中でも落とし物を拾い、
焼き芋が焦げないように教えて、
橋が遠くて難儀している老夫婦を両肩に乗せたばかり。
今やジェーンの腹部からは絶え間ない空腹の音が鳴っている。
僕は基本的には長時間食べなくても耐えられるが、
気が抜けると食べなかった分の
腹ペコが襲ってきた。
ジェーンもそうなんだろう。
待っていたスミスと一緒に空いていた席に座る。
繁盛しているお店だから
両手にお皿や飲み物を持った給餌達があちこち忙しく動き回っている。
そのおかげで、ジェーンもあまり注目されていなかった。
「ようこそお越しくださいました……ジェーンさま!」
「いつもの二人前ちょうだい」
水をごくごく飲んでお代わりを求めた。
彼女が案内した食堂は格式は高くないが、人から絶大の支持を得ているタイプだ。
雑多なざわめきが店内で忙しなく行き交いしている。
空いている席を見つけ、向かい合って腰を掛けた。
「はーーーー……なんかもうごはんだけ食べてお開きしてもいいわね!」
──ダメだよ。天気の話をしなよ。
「ええっ!? どうして飛び降りしないように説得した後に天気の話をするのよ!」
──だって外、いい天気だよ。
「その下で飛ぼうとした人に言うことじゃないわ!」
ジェーンの言うことは正論だ。
だがここは信じてほしい。
とりあえず天気の話をすればいいんだと。
眼の前で誰かに何事かを言い返している聖女に、
自殺を未遂したての男は怪訝そうにしている。
食堂が騒がしくて得をしたな。
──じゃあ、なんの話をするつもりなの?
お店の忙しさで少しの独り言は掻き消されるのが救いか。
訝しむ相手の表情に気づいて、ジェーンは大きな咳払いをした。
これが成長の証拠だと僕は知っている。
少し前なら、相手、特に平民が自分に引いていても気づこうとさえしなかった。
「勝手にメニューを決めたけれども、大丈夫。
あたしを信じなさい。こってり特濃よ。
それと独り言が気になったらごめんなさい。
ほら、あの、あたしって結構顔が知られちゃってるでしょ?
ちょっとした周りの声も自分のことを言っているみたいに思っちゃって」
「おお、よくわかります!」
スミスが力強く首肯した。
「何もかもが私を責めて嘲笑っているという気がします!」
「そ、そうなの……」
ちょっとジェーンには返せないタイプのワードだった。
何をするにも自信満々で、周囲の反応や目を気にすることがなく、
必要もなかった。
「そろそろ皆がジェーン・エルロンドの真実に目覚める頃だ!!
長年、奴の許婚をしてきた俺だからこそわかる。
あの女は国を支配し、人心を誑かす大魔王だ!!」
食堂の外より聞いたことのある声が演説しているのが
賑やかな店内でも耳に入ってきた。
「あれは……?」
水で口を潤していたスミスが手を止め、
窓から演説が聞こえる方を見やった。
ジェーンが鬼のような形相をしたのと同時に料理が運ばれてくる。
シンプルな角煮炒飯だ。ホロホロにほぐれている米と米の合間に
甘い味付けの肉汁が丁寧に染み付いている。
そして、二皿とも特盛だ。
「ごめんなさい、お代わりお願い!
あなたはここで食べてて!」
「あ、待って……」
スプーンを握ってからすぐ手放し、
大口を開けて食事を呑み込んでいく。
こんなことをしたら咀嚼など不可能だが、
彼女には弾丸よりも速く、東京タワーも超える垂直ジャンプをするフィジカルがある。
肉汁の染み渡った炒め飯が
炭水化物のパワフルな旨みを引き出している料理二皿を
高速でもぐもぐして食べ終えた。
唇がごま油を啜ったようにツヤツヤしていた。
「おいしいからよく味わって!
奥さんたちと後で一緒に来るといいわ!
あたしは今からクソッタレをぶん殴ってやるからまたね!!」
言うだけ言い終えてロケットのような速さと突進力で食堂を飛び出す。
「あの悪女がこの十年でした偉業は国も世界も救った!
だが、その結果はどうだ!? 君達を稲の奴隷に陥れ、死の自由と尊厳を奪った!!
奴は我らの文化と尊厳を踏みにじり、豊かさというまやかしを餌に
誇りたき民、君たちをミームもイデアもない家畜に貶めた!」
いつの間にやら用意したのか、
豪勢な壇上で拳を振り上げ、
ジェーンの元婚約者で、彼女の姉代わりの両腕を斬り落とした
シオンが人々にドラマチックなトーンで語りかけていた。
この手の話し方で有効的な方法には覚えがある。
頭脳派ヴィランがカリスマへと成り上がっていくそれだ。
おおむね厄介な相手になるが、
末路も決まっている。破滅か自滅だ。
「そして近頃はどうだ!? 奇妙な格好をして
未知の力を振るって飛び回っているそうじゃないか!
これ以上は看過していられるか!
我らで、人間の尊厳と権利を勝ち取ろうではないか!」
「うるさあああい!!」
言っていることを少しも呑み込めずとも、
王位継承者という高貴な者が醸すオーラと
彼による熱狂が一人一人に伝播して
大きな津波に成っている。
そこをジェーンが殴り飛ばした。
ステージが粉砕され、
シオンが体勢を立て直す前に、
馬乗りになって何度も顔面を殴打する。
人の顔面を殴ることに非常に強い嫌悪感を抱き、
足で蹴るならギリギリ耐えられるというのが彼女だ。
シスマの両腕を切り取られ、
弟のエドガーも危険に晒されたことに心底怒っている。
「よくもシスマの両腕を奪ったわね!
あたしのことをどう言ってもいいけども
今すぐに両腕きっちり耳を揃えて返しなさい!!」
シオンのスピーチをショーとして楽しんでいた人々が、
急に邪魔をして演者を殴り続けるジェーンに怯えた。
「おい、あれはジェーン様か……?」
「どうしてあんなに怒っているのかしら……」
周囲からの恐怖の視線を無視し、
ジェーンはさらに殴ろうとするが、
そこに無骨な骨刀が突き刺さった。
「痛っ!!」
バズーカも戦車の突撃も無傷なボディだが、
僕達の体は愛情を向けるものによる攻撃には無防備。
人の骨を削って造った短刀、
ジェーンは腕を抑えて後ずさった。
「それは……シスマの!!」
「姐さんの骨だ。効いただ──」
最後まで言い切ることなく、
ジェーンはシオンの首を掴んで天高く飛んでぶら下げた。
家族、両親に殺したいほど憎まれて生きてきた少女にとって、
ただ一人の信頼する家族とさえ言えた相手の骨を加工されたのだ。
聖女の目にも確固たる殺意が燃え盛っている。
「貴方を殺す」
いつも無限の活力を下地に動く彼女としては
ゾッとするほどに理性的かつ
冷たい声だった。
「落ち着くんだ、ジェーン」
彼女が展開している血のマントを通して、
僕が直接的に口を形成した。
向こうが本気なら止めても無駄かもしれないが、
黙って見ていることもできない。
「これが落ち着いていられるか!
あたしの腕にシスマの腕が刺さったのよ!」
「本当に殺すとして、これは君にとっての初めての殺人だ。
それをシスマの名の下にやるのかい?」
「ナニが悪いの!!」
僕に青筋を立てて怒鳴る。
彼女の怒りは理解できるが、
大切な人が初めて人の命を奪った、自分のせいで、と
知らされるシスマの気持ちも考えなければならない。
「シスマに聞いてくるんだ。
その両腕の報いにシオンを殺して良いのかと」
「なんで、そんなことを……!」
「君が報いを受けさせたとして、
その責任を一番負うのはシスマだからだ」
僕の説得に、ジェーンは顔を歪め、
大きく舌打ちをした。
聞いてくれた。彼女の意志の強さを超える言葉は
どうやっても無理にすら思えていたが、
そんな彼女に僕の想いが伝わったのだ。
「寝ていろ!!」
顔面を片手で鷲掴みにし、
地面に強くぶつけ、
王子の意識を奪った。
大急ぎで家に帰って自室に駆け込む。
そこには欠けた両腕を補って、
血水魔法によって血の義腕を変幻自在に操って家事をするシスマがいた。
「あら、ジェーン様」
どれだけタフな人なのか。
両腕を喪って少しの時間だって経っていないのに、
もう起き上がって血で形成した両腕を操ってケロッと動き回っていた。
「シオンを見つけたから殺して良い!?
あの野郎、マジで許さないわ!!」
まくしたてて、同意を求める主を
メイドは静かに見つめ、
首を振って諭す。
「殺す理由が私の両腕を奪ったからと言うなら、
こっちの方が使いやすいですしやめてください」
「ちくしょおおおおおおおお!!!」
当人が言うなら仕方がない。
それはそうそうのことでは変えられない事実だ。
半べそを掻いてイラつきに
地面を強く蹴っての巨大な土埃を纏って、さっきのところに戻った。
演説台はそのままで、
壇上も飾り付けも放置されていたが、
シオンはとっくに消えていた。
超視力・超聴力を駆使して
周囲10km内に耳を澄ましても
目当ての男の痕跡はいない。
逃げられたのだ。
自分を糾弾するために作られた壇上の中央で棒立ちするジェーン、
新たなヒーロー、ラスターを高く上った日が照らす。
晒し者としてのスポットライトに思えなくもない。
「まあ初戦は君の勝利だよ」
「どこがよ!! いなくなったじゃあああん!!」
「勝ちだよ」
それが本当のことだとわかるには、
ジェーンはまだ経験が足りないらしい。
民衆からは国賊の冤罪晴れてすぐに婚約者を半殺しにした聖女という目で見られることになったが、
それでもこれはジェーンの勝利には違いなかった。
これくらいのことならヒーローをやってたら経験するものだしね。




