【九】ちょっと寝る
「あの、あなたの戦場だの僕のパワーだのはどうでもいいんですよ。
僕は貴方たちにジェーンと歩みあって、
少しでも健全な親子関係に慣れればいいと思ってて──」
「我らの社会を殺す娘など、娘ではないわ!
おまけに技巧派戦士など恥を識れ恥を、あの愚図!」
「そこまで言うことないだろう!!」
思わず怒鳴って相手の襟首を掴んで遠投してしまった。
ジェーンの父が100m上空へ飛んでいく。
あのレベルの魔術を使えるなら問題なく着地できるだろうから、気にしなくていいか。
その間に部屋に雪崩込んできた騎士の津波。
僕はまっすぐに力の大渦の中心に飛び込み、
人混みの中心で思いっきり両手足を伸ばした。
衝撃波が四肢から放たれて
屋敷が崩壊した。
ちゃんとメイド、執事、平民などの非戦闘員は避難させておく。
プロ野球ができそうな大きさの屋敷があっさりと壊れた。
壊れた。マズいな。
ジェーンの実家を怒り任せに消し飛ばしてしまった。
親子の関係がだいぶ修復困難だ。
母君はもう泡を噴きながら蹲って幼児退行している。
不仲の娘に家を壊されたのが祟ったか。
向こうは娘を殺しに来たのだから理不尽な話だ。
「姉さん……スゲーマン様ですか!」
帰るはずの家が壊れてから、
ジェーンの弟、エドガーが帰ってきた。
息を切らし、廃墟になった屋敷に仰天していた。
どうしよう……ジェーンが可愛がっていた弟とも絶縁してしまう。
「これを貴方が? なんてことだ……貴方は最高だ!!
あの狂いボケした両親を黙らせるだなんて!
流石は正義の徒はやることの有益性が抜きん出ているなあ!!」
「で、でも……君の家が……」
病弱だった幼少期に
前世の知識を使って姉に米と腹筋ローラーを齎されたエドガーは、
縦にも横にも分厚い高潔漢だ。
「こんな戦争戦争言ってる家なんて潰れた方がいいんですよ!
帰ってくる度に姉に挙兵しろって言ってきましたからね。
顔を合わせる度に姉の首が胴体についていることを責められましたよ」
…………え、そうなの?
そんなに自分の子供を殺したがる?
どういう親なんだ。
崩壊した屋敷の下で、
エルロンド公爵の呼びかけに応じた者たちの呻きが聞こえる。
この人たちもジェーンへの挙兵から
ジェーンを象徴にして国をひっくり返そうとしたのか。
「ああ、みなさんやらなくていいですよ。
死者はいませんし、勝手に出てくるでしょうから
それより瓦礫を片付けます」
メイドと執事が瓦礫をどけようとしているのを止めた。
こちらで全ての瓦礫を押しつぶし、
圧縮して積み上げた。
会いきょになった国内最大クラスの豪邸が
一時間も経たずに更地になってしまった。
「国中を争いに巻き込むよりはこの方がいいのかなあ」
「ああ、挙兵はたんに姉さんの物量の前に大暴れして死にたいからですよ。
困ったものですよねえ……父も母も今の社会から華々しく退場したいようで……
一応、これは姉さんには内緒にしてください」
たぶん僕の中で聴いている。
どうしよう。僕も両親との和解を後押ししてしまった。
ジェーンの心の傷をどう癒やせばいいんだ……。
「とにかくなんで救国の聖女な姉相手に戦争するんだって話でしたよ!」
「息子殿ォォォ! ありがとぉぉぉぉ!!
ん何十年ぶりに圧倒的な暴力に蹂躙され快感を味わえたぞぉぉぉ!」
遅れて落ちてきた父君が両手足が開放骨折した状態で
無理やり腕部分を振ってきた。
ようやく理解してきた。
ジェーンの両親はとっくの昔に狂っていた。
それが彼女のせいかというと、そうかもしれないが、
個人的には頷きたくない。
僕の価値観では
父君が暇な世界の方がずっと良い。
「ところで……この後、時間ありますか?
是非とも貴方の薫陶をもっと受けたくて」
「もっと戦ってくれええええ!!」
ジェーンの弟もジェーンの父君も、
僕との関係は良好にしてくれているようだ。
特に、父君と絶縁にならなかったのは戦果としては良いはずだ。
縁が切れない限りは、近づく機会はいくらでもある。
この狂人が落ち着く可能性だってゼロではない。
それとは別に、僕は一つ理解した。
この家はみんな別方向にジェーンなんだ。
みんな自分の欲求に真正直で、だから交わらない。
「ところで姉さんはどうしてますか?
両親に何も望まなくなってるでしょうから
ケロッとしてそうですけども」
唯一、エルロンド家の人間で
ジェーンに悪印象を持たないエドガーでも、
誰よりも強いはずの姉がショックを受けたのは知らないようだ。
むしろ、早くに見限られたせいで、
ずっと叶わない希望を持ってしまっていたジェーンこそが、
この家では珍しい家族円満という未来を何処かで求めていたのか。
僕の家ならできた。
何をするにもこまめに連絡を取り合っていた我が家とエルロンド家は正反対だ。
まあそれは僕も薄々実家と距離が近すぎとはわかっていた。
でも落ち込んでいる人を実家に連れて行って
きりたんぽ鍋を食べさせると
みんなすぐ元気になっていたし……。
──聴こえる?
僕の脳内にジェーンの声が響いた。
なるほどこれが脳に別の人格がいて話しかけられる感触か。
すごく頭の内側がこそばゆいな。
「大丈夫かい!! ご両親とのことは気にしないで!
これからちょっとずつ仲良くなろう!
無理なら距離を置いていいから!
仲直りを呼びかけてごめんよ!!」
こちらから話しかける方法がわからない。
とにかく大声で呼びかけてみた。
周りにおかしな奴に見られそうだったが
この状況では問題なかった。
──もういいの。ちょっと任せるわ。
「何を……? いやわかった!
なんでも僕がやるよ!! ゆっくり休んで!」
──ちょっと寝る。
そう言い残し、ジェーンの気配が脳から消えた。
最後は信じられないくらいに弱々しいトーンだった。
彼女があんな消え入るように呟くだなんて……。
彼女が抱えただろう傷心を思うと、
実家はあまりに遠すぎる。
まだ無言のジェーンがひどく悲しく思えた。
帰郷後三〇分で崩壊し、
寒々しい空だけを見上げるこの家は
とっくの昔に実家ではなくなっていたのだ。
「僕が彼女を支えないと。よし!」