【九】ちょっと寝る
集まってきた人々それぞれの目をしっかり見つめる。
大事なのは対話の心だ。
相手の言葉と想いに耳を傾けると姿勢で示す。
ヒーローの基本にして根幹は対話だ。
殴って終わらせていいなら、
それはただの兵器でしかない。
「あの、あなたの戦場だの僕のパワーだのはどうでもいいんですよ。
僕は貴方たちにジェーンと歩みあって、
少しでも健全な親子関係に慣れればいいと思ってて──」
呼ばれた援軍が到着するまで、
折れた武器を振り回してジェーンの父親が攻撃を続ける。
マナによる強化に不備が生じているため、
まともに体に斬撃を浴びても問題ない。
だから僕は説得だけに集中した。
「我らの社会を殺す娘など、娘ではないわ!
おまけに技巧派戦士など恥を識れ恥を、あの愚図!」
父親は耳を貸さない。
頑固親父とはそういうものだが、
明確な暴力や殺意を振ってくるのは困る。
僕が表に出ているだけで、
ジェーンはきっと意識の奥底で
この惨状を認識している。
「奴の首級で時間を巻き戻せるなら
父として真っ先に責任を取ってくれよう!」
「さっきから実の子供を何度も何度も殺すと……!」
いっそまとめて力でガツンとしてしまおうか。
僕の中にある荒っぽい秋田の農夫の魂が囁いた。
抑えろ。抑えるんだ僕。
いくら酷く狂ったよろしくないことを喚き立てていようと、
相手はジェーンの父君だ。
「そこまで言うことないだろう!!」
無理だった。
思わず怒鳴って相手の襟首を掴んで遠投してしまった。
ジェーンの父が100m上空へ飛んでいく。
あのレベルの魔術を使えるなら問題なく着地できるだろう。
だがやってしまった。
ジェーンのために和解に繋ぐ予定だったのに、
その間に部屋に雪崩込んできた騎士の津波。
集められた反乱軍。
先程の決起集会に参加していた血の気の盛んな輩達だ。
大勢の反乱軍が僕に襲いかかってくる。
幸いなことに彼らの操る火・水・風・土は
皮膚に少しの傷も作らなかった。
僕はまっすぐに力の大渦の中心に飛び込み、
人混みの中心で思いっきり両手足を伸ばした。
衝撃波が四肢から放たれて屋敷が崩壊した。
壊れて、崩れるまでのタイムリミット内で
ちゃんとメイド、執事、市民などの非戦闘員は避難させておく。
プロ野球ができそうな大きさの屋敷があっさりと壊れた。
……壊れた。マズいな。
ジェーンの実家を怒り任せに消し飛ばしてしまった。
親子の関係がだいぶ修復困難だ。
観戦していた母君はもう泡を噴きながら蹲って幼児退行している。
不仲の娘に家を壊されたのが祟ったか。
向こうは娘を殺しに来たのだから理不尽な話だ。
「姉さん……スゲーマン様ですか!」
帰るはずの家が壊れてから、
ジェーンの弟、エドガーが帰ってきた。
息を切らし、廃墟になった屋敷に仰天していた。
先だっての戦いで協力してくれた好青年。
僕としても対立したくない人物だ。
なのに姉の体で実家を崩壊させ、父親を空に投げて、母親を幼児にしてしまった。
どうしよう……ジェーンが可愛がっていた弟とも絶縁してしまう。
「これを貴方が? なんてことだ……貴方は最高だ!!
あの狂いボケした両親を黙らせるだなんて!
流石は正義の徒はやることの有益性が抜きん出ているなあ!!」
エドガーは跳び上がって大喜びした。
「で、でも……君の家が……」
前世の知識を使った姉に、
米と腹筋ローラーを齎されたエドガーは、
かつては病弱な少年だった。
今は、縦にも横にも分厚い高潔漢だ。
「こんな戦争戦争言ってる家なんて潰れた方がいいんですよ!
帰ってくる度に聖女を敵に回して挙兵しろって言ってきましたからね。
顔を合わせる度に姉の首が胴体についていることを責められましたよ」
…………え、そうなの?
そんなに自分の子供を殺したがる?
つくづくどういう親なんだ。
崩壊した屋敷の下で、
エルロンド公爵の呼びかけに応じた者たちの呻きが聞こえる。
この人たちもジェーンへの挙兵から
ジェーンを象徴にして国をひっくり返そうとしたのか。
「ああ、みなさんやらなくていいですよ。
死者はいませんし、生きている方は勝手に出てくるでしょうから。
それより瓦礫を片付けます」
メイドと執事が瓦礫をどけようとしているのを止めた。
こちらで全ての瓦礫を押しつぶし、
圧縮して積み上げた。
廃墟になった国内最大クラスの豪邸が
一時間も経たずに更地になってしまった。
「国中を争いに巻き込むよりはこの方がいいのかなあ」
「ああ、挙兵はたんに姉さんの物量の前に大暴れして死にたいからですよ。
困ったものですよねえ……父も母も今の社会から華々しく退場したいようで……
一応、これは姉さんには内緒にしてください」
たぶん僕の中で聴いている。
どうしよう。僕も両親との和解を後押ししてしまった。
ジェーンの心の傷をどう癒やせばいいんだ……。
「とにかくなんで救国の聖女な姉相手に戦争するんだって話でしたよ!」
「息子殿ォォォ! ありがとぉぉぉぉ!!
ん何十年ぶりに圧倒的な暴力に蹂躙され快感を味わえたぞぉぉぉ!」
遅れて落ちてきた父君が両手足が開放骨折した状態で
無理やり腕部分を振ってきた。
ようやく理解してきた。
ジェーンの両親はとっくの昔に狂っていた。
それが彼女のせいかというと、そうかもしれないが、
個人的には頷きたくない。
僕の価値観では
父君が暇な世界の方がずっと良い。
「ところで……この後、時間ありますか?
是非とも貴方の薫陶をもっと受けたくて」
「もっと戦ってくれええええ!!」
ジェーンの弟もジェーンの父君も、
僕との関係は良好にしようとしてくれているようだ。
特に、父君と絶縁にならなかったのは戦果としては良いはずだ。
縁が切れない限りは、近づく機会はいくらでもある。
この狂人が落ち着く可能性だってゼロではない。
それとは別に、僕は一つ理解した。
この家はみんな別方向にジェーンなんだ。
みんな自分の欲求に真正直で、だから交わらない。
「ところで姉さんはどうしてますか?
両親に何も望まなくなってるでしょうから
ケロッとしてそうですけども」
唯一、エルロンド家の人間で
ジェーンに悪印象を持たないエドガーでも、
誰よりも強いはずの姉がショックを受けたのは知らないようだ。
むしろ、早くに見限られたせいで、
ずっと叶わない希望を持ってしまっていたジェーンこそが、
この家では珍しい家族円満という未来を何処かで求めていたのか。
僕の家ならできた。
何をするにもこまめに連絡を取り合っていた我が家とエルロンド家は正反対だ。
まあそれは僕も薄々実家と距離が近すぎとはわかっていた。
でも落ち込んでいる人を実家に連れて行って
きりたんぽ鍋を食べさせると
みんなすぐ元気になっていたし……。
──聴こえる?
僕の脳内にジェーンの声が響いた。
なるほどこれが脳に別の人格がいて話しかけられる感触か。
すごく頭の内側がこそばゆいな。
「大丈夫かい!! ご両親とのことは気にしないで!
これからちょっとずつ仲良くなろう!
無理なら距離を置いていいから!
仲直りを呼びかけてごめんよ!!」
こちらから話しかける方法がわからない。
とにかく大声で呼びかけてみた。
周りにおかしな奴に見られそうだったが
この状況では問題なかった。
──もういいの。ちょっと任せるわ。
「何を……? いやわかった!
なんでも僕がやるよ!! ゆっくり休んで!」
──ちょっと寝る。
そう言い残し、ジェーンの気配が脳から消えた。
最後は信じられないくらいに弱々しいトーンだった。
彼女があんな消え入るように呟くだなんて……。
彼女が抱えただろう傷心を思うと、
実家はあまりに遠すぎる。
まだ無言のジェーンがひどく悲しく思えた。
帰郷後三〇分で崩壊し、
寒々しい空だけを見上げるこの家は
とっくの昔に実家ではなくなっていたのだ。
「僕が彼女を支えないと。よし!」




