【七】僕を憐れんでいるのか……!?
一緒に遊ぶのが当たり前になると、
少しずつ相手の見えるところが広がっていく。
六川リンのは僕の家族の話は興味を示さないが
かといって話すなとも言わない。
だから僕は家で何があったかや、
両親とどこに行ったか、
畑の様子、家畜の状態を話題に出したものだった。
けれども、彼女は絶対に自身の家族についての話をしなかった。
彼女の興味の対象は出会った時からずっと、
“自分と同じ特別な存在”に会うことだった。
だから何度も人の気配のないところに入って、
山や林を掻き分けた。
一緒に山を掻き分け、川を下って、
東に西にと未知のものを探し、
野生のクマにも交渉を試みた。
彼ら/彼女らの言うことはおおむね
「腹減った」「怖い」「子供に近づくな」「ぶっ殺す」の四語しかなかった。
野生から情報を得るのは空振りだったが、
何度も野生のクマと話をすると
徐々に顔なじみのクマも出来てきた。
「こんにちは!」
大声で挨拶するとばったり出くわしたクマが静かに去って行った。
きっとこちらの顔を覚えてくれたのだ。
僕は熊の友達ができた初めての秋田の民だ!
「そんなわけないだろ。たまたまだ」
興奮のあまり、垂れ流しになっていた独り言に
リンはすげない反応をした。
「熊は人の顔がわかるっていうよ?」
「じゃあ君はあの畜生に何かしてあげたか?
食事を運んだわけでも生命を助けたわけでもないだろう。
動物も人間もドライなものさ。
何もしてくれなければ、好感情に繋がるもんか」
「僕は何かしてもらわなくても好きって感情を向けるよ」
「じゃあ君は野生じゃ生きられないね」
背に背負ったバッグが邪魔にならないように、
長い髪をまとめて結い上げたリンが鼻を鳴らした。
もう、またそんな意地悪を言って。
僕が夢を見る度に、
彼はからかうか否定をしてくる。
「でも僕、セイメイのこと好きだよ」
彼女の要求、シュプリーム・Lという異名は
長ったらしいので呼ばなかった。
代わりにLの頭文字から連想した
“セイメイ”というあだ名をつけていた。
思ったより、相手もその呼び名を気に入ってくれているようだ。
嫌なことはすぐに嫌という気質の持ち主でも、
その呼び方には文句をつけなかった。
だから、気に入っているはずだ。
彼女が不満を言ったのは別のことにだった。
「まったく、恥ずかしいことをストレートに言わないでくれるかい。
僕はもっと感情を表に出さない知的なやり取りこそ至上としているんだよ」
「いいじゃない。本当の気持ちなんだし」
「だーかーらー」
うんざりと首を振る。
今日は雲がなく、空も透けている。
目を凝らさずとも月のクレーターが僕の目に見えたほどだ。
なので、お約束に挑戦することになった。
天体観測で宇宙人を探すのだ。
「もっと早くやればよかったよね」
期待に胸を膨らませ、
おっどぉから借りた天体望遠鏡を背負って
山道を登っていく。二人とも慣れた歩調だ。
「何処を探す?」
「今日は初回だからな。太陽系内で行こう
太陽系内のハビタブルゾーン(生物が生きられる領域)なんて
そう多いものではないからね」
右隣に歩く彼の横顔を見る。
ドライで皮肉屋な性格で、
感情を表に出さないが、声と心音から上機嫌気味だとわかった。
親友が楽しそうなら僕も楽しい。
「天体観測するの初めてなんだ。
君が宇宙人を見つける最初の人になるんじゃない?」
「そんな上手くいくもんか」
裸眼で宇宙を見たことは何度もある。
僕の見る限りでは太陽系内に生命体はいなかった。
リンの影響で読み始めた海外のコミックには
かつて火星には超高度な文明とシェイプシフターがいたとあるが、
目を凝らしても文明の痕跡はなかった。
「君ならできるよ。だって天才じゃない」
だが人間、視力の良さも大事だが
それ以上に大事なのは観察力だ。
僕は太陽系の端っこに浮かぶ岩石の形もわかるが、
サイゼの間違い探しは家族でビリだった。
しかも手を抜いていたわけではない。
秋田のサイゼは東京で言えば行列のできる有名レストランだ。
僕もおめかしして初めてのサイゼ体験に臨み、
間違い探しは最後まで見つけきらなかった。
六川リンは僕の知る中で一番賢い。
僕では見つけられなかったものをきっと見つけられるに違いない。
後日、サイトで見られるサイゼの間違い探しをやってもらったら
10秒ですべてを見つけてみせた。
あまりに僕とはモノが違ったのだ。
「よぉしついた」
観光の人気もある高い山の頂上についた。
場所は開けていて、空気が澄んでいる。
とてもクリアな星空だった。
ちょっと目を凝らすと冥王星を目視できるくらいに。
深く息を吸うと清々しい大気が鼻から肺へ吹き抜ける。
こんな時はこれだ。
僕はリュックからいそいそと母に入れてもらった
味噌汁入りの水筒を取り出した。
大きな蓋に味噌汁を入れると、たちまち湯気が出た。
もう飲む前から絶対に美味しいやつとわかる。
熱が手にほんのり伝わる状態で
味噌汁を見ているとつばが止まらない。
「先に飲んでいいよ」
無言で僕の手元を横目でチラ見していたリンに味噌汁を手渡した。
「味噌汁なんて洗練されていないものをねえ」
そう言っても一口飲むと、
ハイペースで一杯目を完飲した。
もっと欲しそうだったのでおかわりを注ぎ、
味噌汁を飲んでいる間に僕が天体観測の準備を始めた。
僕もおっがぁの味噌汁を飲みたかったけれども、
彼の方が飲みたがっていたのはわかっていた。
それにリンは僕が判断する範囲内では、
家族とあまり仲が良くない気がしていた。
しきりに実家を継がないと言うし、
親の話題を出されると嫌そうな顔をする。
家族の空気が良くないと、ご飯も美味しくないものだ。
彼女には落ち着いた空気でいただく味噌汁のおいしさを知ってほしかった。
「終わった?」
「うん」
望遠鏡を設置し、
かなり落とした視力でレンズを見る。
エウロパを包む薄い大気と氷殻が見えた。
家で望遠鏡のセッティングの練習をしておいて良かった。
これならリンも楽しめる。
肌寒さが目立つ中で蓋についた余熱で暖まるリンがこちらに来た。
氷殻の表面には亀裂が作った美しい模様が描かれていた。
裸眼で見るのと望遠鏡で見るのは違った面白みがある。
昆虫を虫眼鏡で見るのと顔を近づけてドアップで見つめることの違いだ。
「見れるよー」
手をぶんぶん振ってリンを呼ぶ。
望遠鏡に飛びついてあれこれ弄りながら
レンズの向こうの遠い世界に
天才が熱中した。
その間に、僕は遅れて味噌汁を口にする。
予想通り、山の上で飲む味噌汁は最高だ。
これが成層圏だともっと美味しくなる。
僕だけの秘密の飲み方だ。
「なにかいた?」
「そう焦るなよ」
ワクワクしながらリンを見ていると、少し違和感があった。
思い返せば今日は彼の顔を左からしか見ていない。
いつもはこちらの考えを見通してくる彼だが、
望遠鏡を覗いている間なら問題ないだろう。
そう思って回り込むと、
心臓が竦み上がり、息を呑んだ。
僕の超視力が彼女の右頬に大きな青痣ができているのを見つけた。
「どうしたのそのケガ!?」
望遠鏡から彼の顔を離し、見上げた。
暗いから普通の人なら見つけにくいだろうが。
僕の目なら絶対に逃さない。
舌打ちをし、僕の視線から逃げるように
リンは顔をそらした。
特徴的な長い髪が僕の鼻先をくすぐる。
「転んだ。それだけ」
「そんなわけないでしょ。
それ誰かに殴られた痕だよね?
今すぐ警察に行った方がいいよ!」
すぐにその場を駆け出そうとした僕は、
つくづく頭に血が上っていた。
腕を捕まれて、これまで一度も見たことのない
リンの懇願する表情に、思考が停止した。
「やらなくていい。
それよりこれ見ろよ」
話を逸らそうとする彼に、
滅多に冴えない勘が働いてしまった。
「家族にやられたの?
……僕からやめるように伝えようか?
そうだ、うちの親に言ってもらえば同じ大人だしいいかも」
僕は歳下で彼は歳上だ。
彼が年齢を気にするタイプではないにしても、
相手にとって僕はどうしたって保護対象なのだ。
引っ張っていく側には、
引っ張られる側に助けられることが我慢できないタイプがいる。
彼もそうだった。
面倒を見られる側だった僕は、そのことに無自覚で、
考え無しに告げた言葉で、
彼を酷く赤面させてしまった。
僕は家族に世界一恵まれたせいで、
こういった時に共感できず、
そして、上手く行っていない家族を見ると、
どうしようもなく胸が辛くなってしまう。
もしも、僕が何処から来た何者なのか、
理解できる時があったのなら、
僕の正義は、もっと違うものを求めていたかもしれない。
だが、わからず終いだった僕は、
悲しんでいる人や
辛い思いをしている人を見ると、
“なんとか力になりたい”と思うのが原動力になった。
だって、この世界に生きているのだから。
僕がそうであるように
みんな家族仲良く怪我なく幸せに生きたいはずだ。
「お前、僕を憐れんでいるのか……!?」
向こうは恥辱に震えて激怒し、
今にも掴みかかって来そうな剣幕で僕を睨んでいるとしても、だ。




