【二十六】クレオは敵ね
運命の出会いというのは、人生においてそうあるものではない。
僕にとっての初めは、両親。三度目は、生涯のパートナー。
二度目は暑い日のことだった。
雲一つない晴れの日。
僕はいつものように裏山を走り回った。
まだ複雑な作業を任されていないし、単純作業はすぐに終わる。
秋田の寒村ともなれば同年代の子など周囲にいるわけがない。
この時代にもなれば秋田はクマに脅かされていたため、時間を持て余した僕は暇な時はとにかく裏山を走っていた。
珍しい動植物がいるわけではない。小学校に上がるくらいには、目隠ししても山の隅から隅まで走り回れた。
こういう活動で僕は自分の強大な力の使い方により習熟していったが、それはそれとして暇だった。
両親にどこからどこまで走りまわっていいか、具体的には県の外には出ないようにと、強く言われていた。
何度か破ったことはあったが、速さに目覚めただけの頃の僕は、二つ離れた市に行っただけでとても心細くなったので、自然と両親の言うことに従っていた。
秋田は山奥だとスマホの電波が切れるのだ。
市内でも結構切れる。
両親の信頼を勝ち得たことで、僕は早めにスマホを買ってもらえていた。迷子対策でもあった。
令和世代の僕にとっては、スマホもなしに他の市を歩くなど、正気の沙汰ではなかった。
一方で、この時の僕は、退屈のあまりに限界が来ようとしていた。
夏なのにあまり多くない晴天、海に行くにも一緒に行く相手がいない。
このエリアは夏でもすぐにクラゲが出て海に入っても楽しさが激減する。
いい加減、なにか別のことをしたい。
朝から晩まで一人で山を走り回るだけなのは退屈すぎる。
だから僕は計画を立てた。
「世界一周だべ」
山にある小さな社から遠くを見て頷いた。
地球は球体で、一直線に走れば同じところに戻れるらしい。
つまり、まっすぐ進めば、それでブラジルからでも家に帰ることが可能だ。
行ってみよう。
外の世界を見に行きたい。
もう秋田に飽きた。
「ねえ、ちょっと」
思い立って走り出そうとした瞬間。
上から声がしてきた。
周りには誰もいない。
「社に何か出てる?」
正確には、社の上に高く積まれた石山があった。
積み木で作った城の石版。
形も大きさも不揃いの石で3階建ての屋根くらいの高度まで積み上げるのは尋常じゃない所業だ。
誰がどうやって、こんなものを建てたのか。
僕はどうして気づかなかったのか。
「何もねげど(何もないけど)」
「ちくしょー!」
塔からペンが降ってきた。
怒って投げたのだろう。
「これ落ちでっでー!」
「その辺に捨てといてー!」
「なしてや。それポイ捨てだべった。今、そごさ行ぐがら!(なんで? それポイ捨てだよ。今そこに持っていくから)」
「おい、下手に触るとバランスが……」
僕なら大丈夫だった。
どう積み重なってるかのシンプルな計算は反射的にできる。
見ただけで、何処のバランスが保たれて、どう突くと崩れるかなんとなく察せた。
ひょいひゅいと昇っていくと、すぐに頂上についた。
「へえ、速いじゃん」
頂上は半径1mの円台になっていた。
サーカスのステージをうんと小さくしたものに見えた。
僕の目に飛び込んだのは、太陽を背に長い髪を翻して笑う少女だった。
少女と言っても、この頃の僕より少し歳上。
恐らくは小学校6年生か中学1年生くらいの見た目。
それよりも、僕の目を奪ったのは、彼女の髪の美しさだった。
髪の一本一本が別の存在のように広がり、そのどれもが太陽の光を吸って黒を増していた。
その頃の僕はずっと、この世界は太陽に照らされた者が綺麗になるのだから、太陽が一番強いと思っていた。
一番強いと言うと、変な感じだが、とにかくパワーがあるものは太陽だと思ってた。
けれど、この瞬間、僕の中で太陽を吸ってより綺麗になる存在がいることを知った。
「なに? ボーっとして」
「い、いや……」
「持ってきたのなら渡せよ」
そう言って僕の手からマーカーを取った。
上下緑のジャージ。
学校指定のものだ。
「その、ボク……」
「もう行っていいよ。落ちてもいいけど、崩すなよ?」
用が済んだと一心不乱にノートに没頭された。
こんなにマイペースな人を、僕は初めて見たものだった。
本気で一切こちらを気にもしていない。
「何を見でんの?」
背後から覗き込んだら、額を指で弾かれた。
「行儀が悪い! っていうか石頭だな……爪が割れたんじゃないかと思った」
赤くなった指の先を口に含み、眉間にシワを寄せた。
ノートを軽く見ただけでも、周辺地域のデータがびっしりと書かれていた。
「何を調べでんな? 今いるここが一番数字が大きかったみでだげど」
「今の一瞬で読み取ったのか……? そうか、あの狸撃退ポンコツ作ったのって、君か!!」
本人の中で合点がいったらしい。
僕も彼女が、狸害を解決しようとして逆にどえらいことになった事態を解決してくれた人だとわかった。
「不思議だったんだよ。造りはそれなりに良いのに、発想と計画性がまるでガキだったからさあ。それに米倉夫婦がなんで大金払って被害の補填してんだってもなってたし」
「なしておいのもん知ってんな? (どうして僕のガジェットを知ってるの?)」
あれは家だけで設置したものだ。
存在の公表もしていない。
「僕達、近所同士だよ? 隣の家に見たことないのがあったら調べるさ」
そんなものなのだろうか。
近所と言うにも、僕は彼女の顔を今日この時まで見たこともなかったのに。
「まあ、少しは話が通じそうだから教えてあげよう。この世界は波でできてる。波の周波数は決まっているけれども、中には数字が大きくぶれている位置があるんだ」
「そごさ行ぐど何あんな?」
「この世にはないものさ。実際に、そういうところに迷い込んだって逸話は世界中にある。12世紀イギリスのグリーンチルドレン、18世紀フランスのフライングマン、19世紀日本の虚船とね」
ノートに引かれた、数字の高い線を結ぶと、その中心にはうちの山があった。
なんだかドキッとした。
まるで彼女が僕に会いに来たみたいに思えたからだ。
「この周辺にいる者の中で、最も特別な存在は? そう、この僕だ。世界一の頭脳を持つ、このシュプリーム・エルだ」
どうやらこっちを怪しんだわけではないらしい。安心した。
彼女が名乗ったへんてこな響きの名前が気になった。
「どっだ意味?」
「至高のLってことだよ。……ああ、そうか。Lの役割って説明しないとわかんないか」
「教えでけれじゃ」
「英語わからないと、無理だよ」
「話せるから平気」
眉を上げて、少女がじっとこちらを見た。
僕は子供の頃から言語だけは抜群に秀でていた。
この頃には日本語・英語・韓国語・中国語・アラビア語・イタリア語・フランス語・スペイン語を理解できていた。
まあ学校の英語は実際の英語とは文法も発音も別物だったから、学業に十分に役立てられたとは言えないけれど。
とにかく言語をすぐに理解できる特技があった。
「………………ふーーーん」
背に負っていたバックッパックから数冊のコミックを出した。
父も読んでいるコミックだ。
アメリカでとても人気なヒーローの話。
よく父は、この全身タイツのマントマンに僕を重ねて話したものだった。
僕は正直、なんだそのパジャマみたいなコスチュームはと思って真面目に聞かなかった。
「読んでみなよ。主人公の超人ってのは、いつもL.L.のイニシャルに心から打ち負かされるんだ」
「ありがとう! 絶対に読む!!」
胸に抱いて僕は笑顔で返した。
これまではピチピチタイツマンとしか思っていなかったヒーローが、一気に素晴らしくクールに思えるようになった。
帰ったら絶対に読もうと思った。
父のコレクションも漁ることにした。
これまでの僕は背伸びして、格闘ゲームの氷ニンジャや蠍ニンジャのような、過激なのに憧れていた。
この日より宗旨変えを果たしたわけだ。
まああっちもずっと好きだけど。
そうか、彼女のおかげで僕は好きなものが増えたのか。
「まあ、話がズレたな。とにかく、その空間の波、その位相がズレたとこに働きかけて、彼方からのアクセスに応えようってわけ」
「スゲ……!」
「ハハッ、言ってもわからないだろ」
「じゃあここに描かれた魔法陣は、そのズレを増幅するってこと!?」
気づくとテレビで覚えた標準語で話していた。
知らずの内に、彼女と同じ言葉で話したくなっていた。
チョークで描かれた無数の幾何学が積み重なった模様を指さした。
「まあ……そうだけど……」
「ここの円、ちょっとズレてるよ!」
「おい、ヘタに弄るなって」
おおよそ完璧な法則性で作られているとわかるが、一箇所だけズレがあった。
見逃さずに指で擦り取り、上書きして完璧なルールに仕上げた。
やってから、もしかしてマズイことをしたかと気づいた。
狸害対策を早まってしたのと同じことをしたのかも。
やってからバツの悪さに囚われた。
だがその時、山が大きく揺れた。
まずい、石の塔が崩れる。
反射的にシュプリーム・Lと名乗った少女を抱きかかえた。
「おい、何すんだ!」
僕が落ちても平気だろうが、彼女は違う。
落下しても平気なようにしないと。
ちょうど、僕達の瞳の位置にある空間が大きく渦巻いていた。
テレビで見たことがある。
地形と海流によって生じる大渦のようだった。
腕一本突き入れられるくらいか。
やるとしたら僕だろう。
何かあっても、僕ならそうそうは傷がつかないし。
そう考えている内に、揺れと渦は止まった。
何があったのかと首を傾げると、無理矢理に僕の腕から彼女が降りた。
「……君、役に立つかもね」
「ホント!?」
「ああ。雑用にはちょうどいいか、名前は?」
「僕は米倉毅! よろしく」
彼女の手を掴み、強く振る。
そういった肉体的接触不慣れであるからか、シュプリーム・Lが戸惑いに身を強張らせた。
「あー……僕は……六川リン。リン・ロクガワでL.L.ね。R.R.と呼んだらタダじゃおかない」
その拘りがなんだかおかしくて、僕は笑みを浮かべた。
ほんの小さな子どもとっては凄くお姉さんに見えるが、内面はそう変わらないのかもと思った。
「最後に。これだけは、絶対だ」
纏めない長い髪を一掴みにして、後の宿敵はドスの籠もった低音で囁く。
こちらも気をつけをして、耳を澄ます。
「肉体とは別に、僕は男だ。診断書もある。だから、絶対に僕を女扱いするな」
秋田でそういったことに慣れるには、僕の見聞は幼かった。
しかし、取り敢えず頭で受け入れることにした。
まあ自分も人間じゃないけど自己認識は人間だし。
「この髪は“絶対に家業を継がないし、何処にも嫁がない”って親への意思表示さ。まあ、この美髪だけはそれ抜きに気に入ってるけどね」
足首まで伸びている髪を思いっきり手の甲で翻させた。
今度は僕の鼻先を掠めるくらいの近さで、彼女の毛先が薙いだ。
心臓が跳ね上がったが、この動揺は彼女と何度も冒険することで少しずつ落ち着いていった。
とにかく、“彼”はあの夜まではシュプリーム・Lと名乗り。
僕と親友だった。
途中で思春期特有の過ちを、お互いしてしまったのはさておき。
友情は長く続いた。
僕は、この時の彼女の美しさに、たしかに世界に風穴を開けられたのだ。
「──懐かしいな」
「辛くなかったの? 友達と戦うなんて」
「もちろん辛かったよ。だからこうして繰り返し思い出しているんだしね」
記憶の中で僕とジェーンは並ぶ。
幼い情景は永遠のものとして停止し、前世と今世だけが動いている。
もう戻ることはできないし、変えようとも思わない過去。
結末はどうであれ、この出会いを否定する気はない。
「ありがとうね」
感謝され、僕は横目で彼女を見る。
「あたしが自分で受け入れるまで、何も言わないでいてくれて」
僕は静かに彼女が次の言葉に進むのを待った。
大きく息を吸い込んで、5秒ほど躊躇った。
「たぶんクレオは敵ね」
「そんなわけないでしょ、君の親友だよ?」
肩に手を載せ、僕は叱った。
いきなりなんてとんでもないことを言うんだ、この子は。
普通は疑わないだろう。あれだけ仲良しなのに。
おっそろしいことを考えるな……。
両目を閉じ、頭の中で何を言うかジェーンは考えたようだ。
少し前のジェーンなら思ったことはそのまま言ったことだろう。
成長してくれたんだなあ。
「あなた、アホ? じゃあこの繰り返し見せた、あなたの友達関連の記憶は何のためなの」
「夢って記憶の整理をするためにあるだろ。これもそれ。特に意味はないけど、まあ君とクレオがあまりに仲睦まじいから、僕の記憶が刺激を受けたんでしょ」
「じゃあ話を戻すわ。クレオは怪しい」
「どうしたの、頭が疲れたの? 駄目だよ。君と僕は別人なんだから、前世の親友が敵になったからって、君の親友がなるわけないよ。常識的に考えてね?」
「こいつのアホさに頭が痛くなってきた!! タイミングとか物知り過ぎなとことか、ヌルヌルって結界から脱出してたりさ! おかしいってわかるでしょ」
頭を掻き毟ってジェーンがしゃがみ込む。
きっと、変な方に思考を巡らせて、色々とモヤモヤしていたのだろう。
僕に吐き出してくれたのは喜ばしいことだ。
隣に僕もしゃがみ、小さく丸まった背中に手を置く。
「さあ、じっくりと教えてあげよう。人を信頼することの大切さを。あと家族を“こいつ”なんて呼んだら良くない」
「勘弁してぇ……」
人の道を教えるのに遅いなんてことはない。
不要な時もない。
だってずっと一緒にいることになるんだし。




