【十五】空を飛ぶときに大事なこと
自分が自分であることの証。
それをいつどういったタイミングで認識するかは人による。
僕の場合は、それは初めて空を飛んだ時だった。
体の頑丈さは生まれつきだったので、父も母も「農家向きだねが(農家にぴったり)」と喜んでくれていた。
自分の特別性は極めてシンプルなものだけだと思っていた。
速く動いて力持ち。それと頑丈なボディ。
それらだけじゃないと気づいたのは、地元に大雪が降った時だった。
その年は雪が3階まで振り、
毎日毎日朝の4時から雪寄せをしていた。
スコップを雪に突き立て、持ち上げて用水路に寄せる。
もうとっくに溝は埋まり、家より高い雪の山の端っこに雪を積み上げていくだけ。
「ひゃー、今日もひで(ひどい)な! あど俺がやっがら休んでれ」
「いで(いいよ)。おいまだやれるった!(僕はまだ平気だよ!)」
「よいでねごとならねようにせな(体に気をつけろよ)!」
雪国で一番の脅威は当然、雪だ。
それに比べれば熊も寒さも意地悪な近所のジジババも問題ない。
いつもまっさきに屋根に登って雪を降ろすのだが。その日はあまりにも雪が積もるのが早かった。
うっかり軒下にいる父に大型の雪が落ちてきた。
つららでないだけマシだが、屋根には子どもの背丈ほどの雪がもう積もっていた。
ともしなくとも首の骨が折れる重さだ。
その時、超スピードを使った。
雪を蹴って父を圧倒的な質量の雪から横跳びで抱えて助けた。
初めての人命救助だった。
雪が落ちた場所から10mほどズレた場所に頭から着地した。
口と鼻に雪が入り、ひんやりとした感触が水になって鼻腔の向こうへ入った。
起き上がって父を揺さぶる。
「大丈夫か、おっどぉ!」
「お、おめ……」
二倍くらいの身長の父に叫ぶ。
大雪は音を吸い込むので、近くで会話するにも叫ばないと聴こえない。
それとは別に、周囲を吹雪の轟音が次々と来ていたのだ。
「おめ今、空飛んでだんでねが」
「だっぺ?」
咄嗟のことでわからなかったが言われてみるとそんな気がする。
空を飛んだのか。
ならもう一度やればさらに飛べるのだろうか。
「たまげだごと、おめだ! 今の見だで見だで!」
母さんが興奮して出てきた。
僕が宇宙人説を推していたので、こういった不思議なことには家族で一番目ざとかった。
「だども……えんでねが、そっだ騒がねぐだっで」
「おっどぉはいづも心配性でごじぇねな! こういうのは毅に訊ぐもんだっだ!」
僕の答えは決まっていた。
幸いにもうちはそこそこの大きさの山を持っていて、土地を持て余し気味だった。
都市部暮らしだったら空を飛ぶ練習をするにも場所がなかっただろう。
秋田なら持ち山で練習し放題だ。
もっぱら山菜採りにしか行かない場所であり、県中から山菜好きが不法侵入していた場所。
秋田は田舎なので悪く言えば低めな遵法意識があり、良く言えばおおらかだった。
後に熊に占領されるので、最後に有効活用できたのはこの時だったかもしれない。
「ごんぢは!」
手頃な坂でソリやスキーをしようという不法侵入者と挨拶を交わす。
みんな近くに住む人達だ。10km圏内の。
地主だけが知っているとっておきの空間に出て、母がスノーボードを足につける。
雪国の人々は全員がスキーかスノボをやり、例外なくスケートが達者だ。
両親も当然、その例に当てはまっていた。
「こえがっだらいづでもやめでえがらな?(怖かったらいつううでもやめていいぞ?)」
父がハラハラしながら動画を撮る準備をした。
心配性の父でも、応援してくれているのだから、成功させたい。
冬休みの課題を与えられた気分だ。
スノーボードに僕のソリを括り、坂を滑り始めた。
ぐんぐんと速くなる。
冷たい空気が防寒具に弾かれた。
「さあ、立で!」
母に言われ、僕は両腕を広げて飛ぼうとした。
だがバランスを取ることに失敗した。
ソリがひっくり返って雪に突っ込んだ。
痛みはない。
「よし、もう一回だ!」
母に促され、もう一度坂を滑る。
失敗した。
今度は立ち上がるタイミングを掴めなかった。
もこもこした防寒具が動き雪上を流れるソリでは立つことを困難にした。
坂を滑っては上に登って行く。
繰り返し、繰り返し。
スキー場ではないのでリフトはない。
母と並んで坂を登って、待っていた父と録画した映像をチェックした。
「こごだなあ。ソリから立どうどしでも怖がっでが立ででねもの(ソリから立ち上がろうにも立ててない)」
父に示されている場面で、たしかに足が震えているのが見えた。
これではまだスタート地点にも立てていない。
まあ空を飛べても両親の農業の役に立つことはまずないが、それでも飛べるようになりたかった。
多少の手伝いをさせてもらってはいたが、まだまだ家業を任せるには子どもと見られていたから、ちょっとでも僕なりに成長したと見せつけたかった。
次の日も、その次の日も、僕達は坂を登って滑った。
立てずにソリに乗ったままでみっともなく滑り終わることがあれば。頑張って立っても転ぶことがあった。
失敗はしているが、楽しかった。
家族で僕のために何かをしてくれているというのがとても喜ばしかった。
母の先導で滑り降り、一緒に登っては父とあれこれ作戦会議をする。
冬休みが終わるのが名残惜しかった。
そうして日にちが過ぎ、休みが終わろうとした日。
父が提案した。
防寒具の大半を脱いで、Tシャツとマントでやってみようと。
彼がコレクションしていたコミックでは、空を飛ぶ者はみな、ぴっちりした服にマントをつけていたから。
秋田の子どもは雪山で半袖だろうと風邪を引かない体質だ。
彼らが冬に厚着をするのは、多くが空気を読んで服を着とこうと思うから。
それは僕もだった。
シャツ一枚と、首に巻いたマント代わりのステテコ。
ステテコは雪国のインナーであり、生地が厚く、簡易マントにうってつけだった。
「行ぐで!」
母がスノーモービルを駆る。
より速度を求めてのことだ。
冷たい風が僕の皮膚に直接あたる。
寒さで敏感になった感覚が空気の奔流、力の流れを教えてくれる。
慣れて問題なく滑るソリの上を立てるようになった僕は跳んだ。
そして浮かんでいった。
高く、もっと高く。
飛行ができた。
僕は空を飛んでいた。
「飛んだ……飛んだど、おいだの子が!」
「ほえええ、たまげだでゃ(びっくりした)」
「こいだばよいでねで!」
「よいでねなあ」
両親の声が遠くに、下に下がっていく。
初めての自分の遺志による飛行は、地上への注意を完全に忘れさせた。
ただ空を飛ぶという気持ちよさを心ゆくまで楽しんだ。
「おっどぉ、おっがぁ! 見でっが!」
初めて空を飛んだのは遥か高くにある雪の国。
上空の空気は薄く、身を切る寒さで、純白の空間がどこまでも続く。
はしゃいで浮かれて、宙返り、仰向け、うつ伏せ、逆立ちとさまざまな体勢を取った。
空を飛ぶというのは、自分だけの空間を持つということだ。
誰も並ぶものがいない、とても自由な領域。
好きなだけあちこちを飛んでみた。
空で一通り遊んで、気付いた。
自分がどこにいるのか忘れた。
下を見ようにもどこか下かもわからない。
雪国、それも山の天気はすぐに変わる。
空を飛ぶのは実に楽しい。
解放され、自由で、冬ならホイップクリームの世界を音速で泳ぐ。
まるで海の男になったかのようになる。
だがそれも帰るところがわかってこそだ。
父も母も見失い、高くて広い、無音の空間を漂流している自分に気づいた。
「おっどぉ!? おっがぁ!? どこ!?」
不安になった僕は力いっぱい声を張り上げた。
誰にも聴こえない。
高いところにいすぎると地上には声が聴こえなくなるのだ。
楽しかった広い空間が極小に縮まったような錯覚。
すべてが不安をもたらし、心をかき乱す。
心細さで鼓動が速くなった。
もしもこのままだったら、僕は空を二度と飛ぼうと思わなかっただろう。
けれども、僕は超視力があった。
正確には、飛行能力に遅れて目覚めた。
「おお、来たが!」
「こえぐねがったが!?」
両親はずっと空を見上げて、降りてきた僕を思い切り抱きしめてくれた。
「全然!」
本当は半べそだったのを両親が見抜いていたかはわからない。
たぶん、知っていたんだろうなと思う。
とにもかくにも僕はその時に理解した。
空を飛ぶ時に大事なこと。
それは地上を決して見失わないことだ。




