【十四】ご老害ーー!! おいそこのご老害ーー!!
犯罪というのは貧民窟にだけあるのではない。
近年は街中でも増加傾向にある。
特に路地裏。路地裏は凄い。
僕の知る限り、路地裏はどんなに寂れた街でもとにかく強盗が出てくる。
恐らくは路地に裏側ができるくらいの都市の規模になると、そこに自然と犯罪者が住み着くようになるのだろう。
「やめてくれ! 妻と息子だけは……!」
「ああ!? 金も生命も貰えるならそっちのがお得だろう!!」
「うわあああん。怖いよおおおお!!」
少し耳を澄ましているとこうして犯罪者とその被害者の声が聴こえてくる。
大通りから薄暗い空間を覗いたジェーンが喜び勇んで割って入った。
良い所を見せたがっている。
「ほおら! 悪い奴がいたあ!!」
私服姿のままで駆け寄り、一瞬で悪人の前に立った。
超高速を目撃したことでクレオが感嘆の吐息を漏らす。
耳ざとく聴き取ったジェーンの鼻の穴が広がった。
いいな、親友って。
「貴方達! こんなところで罪もない人をいじめ──」
「うわぁ、ジェーン様だああああ!!」
「聖女様じゃねえか!」
強盗が次々に逃げていく。
まあ当然の話だった。
後ろ盾もないチンピラが救国の聖女と戦うなんて無理難題でしかない。
素顔晒してるからなあ。
「ちょっと待って! パンチはしないから! いい具合に100mくらいぶっ飛ばすから!」
戻るように訴えても通じるはずもない。
背を向けて全速力で退散していく背中に、ジェーンは唇を尖らせた。
「もう、無視は酷いでしょ!」
一足で逃げる悪人に追いついた。
相手にしてみたら突然に聖女に立ちはだかれ、逃げようとしても0秒で追いつかれたのだ。
悪夢そのものに違いない。
──追いかける意味あった?
「ごめんなさいしなさい!」
指の力だけで首根っこを掴み、6人いた者達をその場に戻した。
親指と人差し指、人差し指と薬指、薬指と小指で人の頸を挟んで拾い上げた。
怪力があっても少女の手はそんなに広がらない。
二本指で首を挟められている状態においては、時間を於けば窒息状態になってしまう。
襲われていた家族の前で片手3人ずつで高く持ち上げた。
足をバタバタされてもびくともしない。
「悪いことしたらごめんなさいするのよ!」
「げっ、ぎゃはっ……ひゅっ……」
気道を締められているせいで声が出なく、謝れない。
可哀想じゃないかな……。
ようやく不手際に気づいた聖女が悪漢達を下ろして上げた。
指の拘束も緩める。
逃げようと思えば走れるが、そんな気力はないだろう。
全員が地に伏して震えながら何度も頭を汚い路地に擦り付ける。
「ごめんなさいぃ」
「もうしませぇん」
「帰してくださいぃ」
「それは駄目よ! 衛兵に引き渡すわ!」
謝っているのを確認すると、また亜音速で走り、近くの衛兵に放り投げた。
あとはなんとかしてもらえるだろう。
心も折れているし。
戻ってクレオと被害者になりかけた家族のところに戻った。
「危なかったわね! 駄目よ、こんな危ない道を通ったら」
「フーセン……」
子どもが指差す。
そこには建物の軒に絶妙に引っかかった赤い風船があった。
来た! 風船だ!! ヒーローお約束だ。
なんでかみんな風船を手放す。そしてヒーローが空を飛んだり、ジャンプしてキャッチして返してあげる。
高いところから降りられない猫の何十倍も目にした光景だ。
もう嫌がらせで手放してるんじゃないかってくらい!
僕ほどの風船キャッチマスターになれば空気の音に耳を澄ますだけで、大気に浮かぶ風船の数がわかったものだ。
──良いね! さあジャンプだ! クレオに良い所を見せてあげよう。
「え、嫌よ。面倒くさい。こういうのは大事なものはしっかり握ってないといけないって教訓でもあるんだから取って来ても意味ないわ」
ハーーーーー! お約束なのに無視された!!
「で、でもせっかくパパとママに買ってもらったのに……」
「ごめんなさい、ジェーン様」
「お恥ずかしながら二人とは別居中でして……めったに会わないからと舞い上がってるんですわ」
家族のことを出されると無視できない。
それは両親と長らく絶縁状態の彼女にはとりわけそうだ。
ジェーンは深々と溜息をついてからジャンプした。
彼女はまだ空を飛べない。
空の飛び方を教えたことは一度もないから、どうやって飛ばせたものか。
一度、飛んでいるのだからそれを思い出せば器用な彼女ならできそうなものだけれど……。
「ほら、取ったわ。特別だからね」
「ありがとう、ジェーン様!」
子どもにお礼を言われて、聖女が恥ずかしそうに頬をかいた。
「流石は聖女様!!」
「どのような魔法をお使いになられたのか想像もできませんが、いつも応援させていただいています!!」
「とりあえずあたしがこういうことしたのは秘密ね」
唇に指を当て口止めをお願いし、家族を見送る。
素晴らしい。これだよ、これがヒーローなんだよ!
こういう行動をもっとしてくればイイんだけどなあ
──感動した! 最高のヒーローだ!
「ちょっとやめてよ、大げさすぎるでしょ」
頭を指で突いて僕の称賛を追い出そうと試みた。
「彼はなんて?」
「最高のヒーローだって。嫌よねえ、大げさっていうか褒めることしか知らないのよ。きっとその辺の鼠も褒められるわ」
クレオは微笑むだけで何も言わない。
それでも不服そうに見えた。
言うなれば。学年一位を狙えるのに学年20位で満足しているのを見つめる親の視線だった。
僕の褒め方が気に入らないらしい。
「なら君のこれまでの人生はさぞかしエンターテイメントに映るだろうね」
そんなことを話しながら二人は並んで大通りに戻る。
活気に満ちた光景。
ここでは商業も芸術活動も盛んに行われている。学術研究も。
正式な領主であるクレオの方針が大きい。
狭いエリアに限ったことではなく、軍事国家だったリトルファムの文化は大きく様変わりした。
武力に頼った軍事大国だったのが、今や武器を捨てて文化大国に傾倒しようとしている。
実用性を求めた無骨な要塞めいた街並みを、居住性も度外視したユニークな形状の建築物が、のたくるように増えている。
戦いを鼓舞する詩が酒場の近くでいつも奏でられていたのが、今や戦いの悲劇と愛への奉仕を説くものに変わっている。
「聖女サマー!」
「ちょっとダメよ。申し訳ございません。ジェーン様。せっかくのお休みを邪魔してしまって」
「べつに呼ばれたくらいで邪魔にはならないでしょ」
「まあとにかく笑顔で清らかに手を振ればいいんだよ」
隣のクレオに嗜められる。
ジェーンは誰もが顔を知る聖女であり、クレオは顔は知られていないがすれ違う者全員が振り返る美女だ。
だが彼女の役職にまで気づく、または注意を払う者はいない。
聖女と、国の中枢を担う大臣の違いだ。
シンボルと、司令官。
その役割は重要性とは別で、市民に与える印象が大きく異なる。
僕がジェーンの内側で何らかの自我に目覚めた頃とは、この国は変わった。
餓えから解き放たれ、かといってすることもない人間で溢れ、人々は自己表現に走った。
街は常に仮装大会の行進めき、変な角、悪魔の翼を生やした者、獣の耳、尻尾、多腕、多脚と、怪物や変人奇人でごった返している。
もちろん普通の格好をした人々もいるが、そんな日常的な印象を衝撃で塗りたくる程の奇想天外な出で立ちの人々が多い。
異常調整した魔法薬、コツコツと作った衣装、どれかは一目では区別がつかない。
こんな国になっては聖女が歩いても素通りされて然るべきだ。
「ありがとう。演劇、すっごく面白かった!」
路地裏に入る前まで観ていたショーの感想を満面の笑みで述べる。
「だろ? いつもの三銃士を半魚人、人造人間、宇宙人に変えただけなんだが、これがとにかく新鮮なんだ。見知った物語がまるで別物のように未知の顔を見せてくる」
近くの屋台で購入した米粉クッキーを食べながら歩く。
行儀が悪い。貴族らしくない。
そんな概念は食べながら移動した方が速いというシンプルな真理に屈した。
クレオはその点は流石だ。
クッキーなどの嗜好品は買ったその場で手早く済ませる。
食べきれない場合も紙にくるんで懐から出さない。
のたりくたりと歩いているジェーンに移動ペースを合わせているのに、姿勢は少しの乱れもない。
「まだまだ時間あるね」
「だからそろそろ……」
クッキーを食べ終えて空いた腕をがっつり組まれ、整った顔立ちをした親友が迫る。
無菌室めいた無臭に近い香り。
これが非常にジェーンの急所を突いてくれる。
温室、実験室、自分のしたいことしかやりたがらない彼女にとって、クレオはその世界の延長線上に感じられる。
心の緊張が無理やり解きほぐされていくのが前世の僕に伝わってきた。
こっちまで気分が落ち着いてくる。
「な、なにぃ……?」
それから胸が高鳴り、頬が上気する。
彼女に何を誘われても即答で付いていく。
メイド長のシスマが何でも頼れる姉なら、クレオは知らない世界を見せてくれる憧れの姉だった。
クレオが何かを言う前に、野太い声による罵倒が聞こえた。
付き人のメイドが華美に着飾った壮年男性に平手打ちされた。
「貴様、何年付き人をやっている!!」
「お許しください! 手が滑ってしまって」
メイドが手にした水筒から溢れたらしい小さな染みが、貴族の服に着いていた。
重曹で取れるやつだ。ああいうのってだいたい重曹でなんとかなる。
染み抜きにおいては重曹こそがスーパーマンだ。
「うっわぁ、今どきあんなのやってるのいるんだ」
良いところを邪魔されたジェーンが、嫌悪感たっぷりに呟く。
「人間は歳を喰うほど旧態にしがみつくよ。だって、怠けたいからね」
クレオが切り捨てた。
ふたりとも言い過ぎだ。
相手がどんな人でも高齢者であるなら無条件に一定の敬意を払いつつ、間違いを犯しているのなら立ち向かわないと。
「貴様も領土を抜けたいのだろう!? 我が刃に唾を吐き、名誉に泥を塗って、つまらぬ土いじりでもしたいと!」
服だけでなく、綺麗に撫でつけた白髪、清潔に整えられた髭を見ても、怒鳴る男が貴族だとわかる。
口ぶりから判断するに領主なのだろう。
それなら民をどう扱おうが軽蔑され、影で批難されても糾弾されることはない。
この世界は残念だが、まだそういう文化だ。
食料革命によって確実に変わるだろうけれども。
それとは別に、ジェーンとしては、老人の言葉は聞き捨てならなかった。
鼻息荒くしてツカツカと詰め寄った。
「ご老害ーーー!! おいそこのご老害ーーーー!! 何してんだそこのご老害ーーーー!!」
凄いこと叫んでる! 命知らず!
怒りをなんとか抑え、今の彼女にできるせいいっぱいの柔らかい言葉遣いで、騒ぎへと向かっていく。
これで理性を働かせているのだ、彼女にしては。
「今からガンッってやるからそこで待ってろ、ろうがーーーーーい!!!」
だが彼女のことを知っていれば納得しかない。
あの男が剣やら戦功やらを好むのは勝手だ。
人間が何を好きでいようとも法と道徳の許すラインで勝手にすればいい。
しかし、公然と人々が農業に勤しむのを侮辱されるのは我慢ならない。誰だろうとガツンとかましてから後を考える。
ジェーンはそういうタイプだ。
毎日、シスマにありがとうとごめんなさいを言うべきだ。
「あれで馬鹿にしているつもりはないんだろうなあ」
背後からクレオの苦笑が聞こえる。
面白いようにジェーンの前の道が開けていく。
嗜虐性の強い貴族へ反抗するなど、その場で殺されても文句を言えない。
巻き添えになるのを避けているのだろうが、中には聖女に気づいた者もいた。
「なんだと小娘ェ……!! このクイバー家が錆びついていると言いたいのか!!」
目を吊り上げ額に青筋を浮かべた老人が抜剣した。
帯剣する貴族。
軽い模造品ではなく本物の武器を持ち歩く者など、この時代にまだいたのか。
「貴方が領民やメイドに何をしようと口を挟むつもりはないわ。でもね、貴方が楽しいお昼に大声で農家の方達を侮辱したら、みんなが嫌な思いをするのよ!」
「儂がなにを言おうと自由だろう!」
「あたしと同じ空間にいるならあたしに無条件で気を遣いなさい!! あたしを誰だと思ってんの!!! この、あたしを!!」
凄いセリフだ。
「あたしは聖女なんだからとても偉いし、国を救ったんだから口出し無用の超トップ階級!! 控えおろう老害!! じゃないと思いっきりビンタするわ!!」
天井知らずのジェーンの傲慢さが炸裂した。
自分のやりたいことに一切躊躇いのない、飢餓の破壊者。
農地を荒らす野生動物に、水路を堰き止める大岩に、事業を阻むに、ずっとやってきたことだ。
「な、なんという…………!!」
豊かな髭を震わせ、憤怒で断続的に噴射される鼻水で濡れていく。
怒りに任せ、剣を両手で握ると、周囲が騒然とした。
怒っても当然のことを言われはした。
僕ならこういう時、なんて──
考えてみたら僕でもたぶん怒らせてたな……。
「無礼を謝罪し、そこをどけ。今なら薄皮一枚で許してやる」
「貴方がどきなさい! 頭はペコペコしながらお尻を突き出してどくのよ!! そっちのがカッコ悪いから見たい!!」
公爵家の令嬢という権威、前世経由の潜在的知識だけでは、国を変えることはできなかった。
どれだけ否定され、道を譲れと言われても決して耳を貸さなかった硬さが、ジェーン・エルロンドという人物だった。
「そうだー相手は聖女様だー。伯爵がどけー」
ぼそりと、誰の目にもつかない位置から男とも女ともつかない声が聞こえた。
呟きはすぐに野次馬に伝播していく。
完全なタイミングだった。
「そうだ、よく見たら聖女様じゃねえか」
「久々にお顔を拝見したぞ」
「なんか新しい米スウィーツできたのかな」
「炒め飯食い放題やってる店があったからそれじゃねえの?」
「どうしてあんなに炭水化物ばかり食べてても太らずにいられるのかしら。若いって羨ましいわ……」
「伯爵がジェーン・エルロンドに喧嘩を売るって自殺行為よねえ」
民衆の無遠慮なざわめき。
ここの領民達はみな、ジェーンの気質を知っている。
尊敬しているが、同時にシンプルさも痛感していた。
民衆を虐げはしないが民衆の声に耳を貸すこともない。
餓えないから文句は言えないし、医療制度も充実、一極でも教育にさえ力を入れているせいで声を上げての批判をする気が起きにくい。
運よく民のためになっている独裁者だった。
そんな聖女の下で生きる人々にとって、時折、お店でたらふくの米料理に顔を突っ伏してダウンしている聖女の姿が見られるのは、公然の秘密だった。
このエリア一帯は聖女が実質的に治める領土として、聖地巡礼に来る者が後を絶たない。
観光業のために体面には最新の注意を払うのが、ここの領民だ。
「こんな愚図そうな小娘が……」
伯爵の無礼な言葉。
構える剣が揺れる。
普通に考えれば、救国主とされ、王とほぼ同等の権限を付与された聖女に歯向かうなど正気の沙汰ではない。
しかし、この伯爵らしい男は武門だ。
今もなお旧態の文化と価値観に固執しているタイプ。
名誉のためなら王にも刃を向けかねない。
「クイバー家と言えばそこの伯爵はとびっきりの女好き。美しい声の美女を集めるのを趣味にしているそうじゃないか。聖女様のことも毒牙にかけようってんじゃないだろうね」
「なんてことだ……これはクーデターだ!」
「伯爵家が聖女様と、背後の王家に弓を引こうというのか!!」
クレオの扇動によって領民が湧き立つ。
政治はほとんど他人任せというかシスマに任せているが、それはそれとしてあまりにシンプルな精神だとジェーンは思った。
無理もない。クレオの言葉は無条件で信用したくなってしまうのだ。
勝手に謀反人扱いされ始めた伯爵は剣の切っ先を戸惑いに揺らす。
「馬鹿な……儂はそこまでは……ええい、護衛よ出ろ!!」
頭に血が上った伯爵がさらなる凶行に出た。
武装した男が3人、ジェーンの前に出る。
金で動く傭兵を連れ歩くのは当然。
しかし、聖女相手にそれをやるのは、自殺行為というか自殺志願者だ。
「聖女と言えど戦いは素人! この魔道士はどれも2級以上だ。勝てはしまい」
「いよっしゃ!」
鼻息荒く状況説明をされ、実質死刑宣告をされたジェーンはガッツポーズした。
まあたしかに飛んで火にいる夏の虫だろう。
ずっとクレオの前で派手に悪人退治したかったものね。
並ぶ三名はいずれも立ち姿に隙がない。
握っているのは杖。魔法を使うのだ。
魔法のようなオカルトが苦手な僕は死んでいるのに冷や汗が流れる錯覚がした。
オカルト恐怖症は死んでも治ってくれないらしい。
「聖女ジェーン様。お命頂戴いたします」
「ええええなんてことぉ。殺されてしまうわぁ。ここは逃げないとぉ」
わざとらしい棒読みと大根演技。
目眩がしてよろける仕草もした。
意味不明な振る舞いに、魔道士が眉をひそめる。
「この期に及んで、見逃してもらえると思っているのですか?」
「うわあああああ誰か助けてええ……あ、鳥みたいな飛行機!!」
「なんだヒコウキって?」
何も無い天を指差すと、ジェーンのところに突風が発生した。
出てきたのは来ている服を全て脱ぎ捨てた極薄ピチピチタイツを着たヒーロー。
クレオも口をあんぐりと開けて、彼女の珍奇な格好に見入った。
僕はスゲーマンだから、こういう服装にも理解があるが……どうしてこんなに変質者と言うか性犯罪者に見えるんだろう?
全身タイツめいたコスチュームは僕もなのに。
「な、なんだその服装は……!?」
目の前で現れた謎の人物に、魔道士が慄く。
「聖女ジェーン……いや、女の子を不当に攻撃しようという不届き者よ、覚悟しなさい! この流しのヒーローが義によって助太刀いたすわ!」
「なにぃ!? どう見ても服を脱いだせ──」
「ジェーン・エルロンドはすでに屋敷に送ったわ! ここにいるのは貴族でも平民でもない救いのヒーロー!」
──おおっ、かなり良い感じだぞ!
素顔のままなのが気になるけれども、これ大丈夫かな?
「ふざけるな! ただの仮装したジェーン・エルロンド様ではないか!」
「ふふん、戦争したさで脳まで筋肉になったようね! 覚えておきなさい。脳みそは筋肉にならないから、ただ頭が悪くなってるだけよ! あたしは別人!」
僕が生きていた世界には脳みそを筋肉にしたボディビルダーヒーローがいたなあ。
まあ、今言うことでもないか。
僕の知る中で最も偉大なヒーローの一人だから、機会があったら話してみよう。
「あれは聖女様じゃないのか?」
「そういう催し物なんじゃない?」
「ちょくちょくわかんないことするもんな、あの御方」
「なんだろうとどうでもいいや! 楽しいなら何でもいいぜ!」
領民がすぐに適応して、着替えたジェーンを別人として囃し立てた。
付き合い良いな、この人たち。
それともジェーンの人望のおかげかな?
僕なんて素性がバレた時は訴訟の嵐で大変だったのに……。
「聖女じゃない御方ー! がんばってくれー!」
「応援してます!!」
こういう正体の隠し方があるのは感心する。
正確には隠してることになるのか、わからないけれども、誰もジェーン・エルロンドと言わないのだから大丈夫だ。
徐々に落ち着いてきた傭兵は、刃のように鋭い目で杖を握りなおす。
「つまり、ジェーン・エルロンド様ではない者であるなら、命を奪っても問題ないということですね?」
「その通り!! 全力で来るがいいわ」
「私はC級魔道士、挙げた手柄によって“鮮風”の名で知られています」
「C級がそんなに有名なことってある?」
僕も思ったことだけども、黙ってあげててあげるべきところじゃないかなあ。
「すぐに思い知りますよ」
風の刃を周囲に生み出して、魔道士が杖を振るった。
「よっと」
次の瞬間、ジェーンが消え、“鮮風”の魔道士が遥か彼方、時計塔の向こうへと飛んでいった。
「─────アァァァ」
遅れて絶叫が聞こえてくる。
意識が残っているなら問題ない。
風の魔法で着地できるだろう。
ジェーンが超高速移動をし、発生した風圧が魔法によってできた刃を掻き消した。
勢いを止めずに両の手でトン、と魔道士を押し出したんだ。
簡潔で、命を奪わず、必要以上に暴力的なわけでもない。
素晴らしい手際だった。
──ヒュウ。ノリノリだね。
「ふふん、あと二人飛ばせばいいだけよ」
「ジェーン様じゃない人すっげえ!」
「毎日鼻から脳に稲をぶっ刺してる人じゃなかったんだ!」
「次は何で倒すんだあ!?」
「ハードル上がったから押し出しはやめとこっか」
次の魔道士が出てきた。
それも二人同時だ。
先ほどより佇まいがさらに洗練されている。
これは一筋縄ではいかなさそうだぞ……。
僕が警戒しているのに、ジェーンは鼻歌混じりに両手を筒にし、口に持っていった。
まるでこっちが誰でも雑に警戒していると言っているかのようだ、
「奴は打ちどころが悪かったようだが、我らは同じようにはいかないぞ」
「奴はC級。だが我らはB級。それも連携によりA級にも届くだろう」
「名を捨て、最悪な感性を表に晒した汚名を抱えて死んでい「フッ」ぐあああああああ!!!」
口より飛ばした空気を両手で絞り、固めた弾丸。
さながら空気の大砲が片割れの腹部に突き刺さった。
絶叫してくの字に折れた体が痙攣する。
苦し紛れに出した魔法が、足元に小さな土塊を出した。
どうやら土属性の魔法使いだったようだ。
奇襲が成功しなかったら互角だったことだろう。
──油断禁物だよ! たぶん最後の敵が最強だからね。
「まっかせなー」
「ククク……この大戦の英雄こと“熱砂”が怒りを買ったようだなあ!!」
五体の炎竜が魔道士の周囲に展開される。
これはかなりの使い手だぞ……僕でも勝てるかどうか……。
「はいはい危ないから消しとくわね」
「馬鹿なああああああ!!!!!」
高速で屋敷に戻ってありったけのカーテンをかき集めて戻ってきた。
追放されても帰宅を許さないとは言われていない。作戦の勝利だ。
近くの噴水でたっぷりと水に漬け、パタパタと一体ずつ濡れた長布をかぶせて炎のドラゴンを消火した。
大技だったが、ジェーンによる最適解が刺さったのだ。
──素晴らしい! 僕より覚えが良いよ!! ……僕、戦いの才能なかったのかな。
「ざっとこんなもんってわけよ! クレオ見たー! 見たら親指立ててー!」
そう言って手を振ると親友が苦笑してその通りにした。
…………羨ましいな。
術を消し、布をロープにして“炎砂”とやらを縛った。
結局は異名が何を指していたのか、わからず終いなことだけ気になった。
まあ穏便に終わったのだから何よりだ。
「うわー、凄いぞー! このヒーロー様はとっても強くて格好良くて偉大だあ! きっとこれからもみんなを守ってくれるぅ!」
「アシストありがとうクレオ! そういうことだからー! みんな今日からよろしくねー!」
そう言って両手を顔の横で振って挨拶すると、大歓声が返ってきた。
国を救った聖女が新たな活動を始めたのだ。
それも、よくわからないが派手で面白そうなことを。
これは領民としてもテンションが上がらないわけがない。
「ジェ……ヒーロー様ぁ! 最高です!」
「すごくカッコよかったぁ!!」
「またお目にかかれる日を楽しみにお待ちしてますぅ!」
「ありがとう! まだ正式な名前と衣装は考え中なの。特に名前は良い案を募集してるから、ジェーン・エルロンドの屋敷に応募してね! 採用されたヒーローネームを考えた人にはとっておきのプレゼントをするから!」
そう言ってジェーンはその場で小規模の竜巻を発生させ、姿を隠す。
中心には服を着た聖女が、何もなかったかのように澄ましていた。
……この一連、とても凄くない?
ずっと凄いしか言ってない気がしてきたけど、僕の来世って戦いの天才じゃないか?
いよいよ自分の必要性を見失ってきた……。
そうしているとまたジェーンが竜巻を起こして姿をくらませた。
「ここは……? わたくし、先程までヒーロー様に匿われていましたの……」
おっ、僕がジェーンに勝っているところを見つけた。
彼女はとんでもない大根役者だ。
素性を隠す案はどっちにしても無駄だった。
「何をしている!?」
騒ぎを聞きつけ、ようやく衛兵がやって来た。
先頭に立つのはジェーンもよく知る偉丈夫。
王国騎士団で最も有名な人物。
短く刈揃えた黒髪、顎には大きめの傷。
ジェーンが大きく育て上げた自慢の弟、エドガー・エルロンドだ。
「エドガー!!」
空気を読まず、かわいがっている義弟が出てきて大きく手を振ってジェーンがぴょんぴょん跳ねた。
「お義姉さ……ジェーン様。いったいなにがあったのです?」
制服のボタンがはちきれんほどの胸囲。
周囲からはファンの女性たちによる黄色い声がちらほら。
かつて、病弱だったエドガーは、屋外よりもベッドの上で過ごしてばかりだった。
そんな彼もお米に狂ったジェーンにひたすらどんぶりご飯を食べさせられ、すくすくと育ち、健康な体を手に入れた。
今では剣に目覚め、国主催の剣術大会で優勝を修め、史上最年少の騎士団長に任命された傑物だ。
代わりに、姉には絶対に頭が上がらない。
「あー……ここにさっきまで伯爵が……逃げたわね」
魔道士を倒しきると、伯爵はすでにいない。
虐げられていた人は残っていたというよりは取り残されていたから、誰がやっていたかはわかるが。
ジェーンとしても深い追求をする気はないようだ。
「また揉め事ですか……? 少しは聖女の何ふさわしい落ち着きを……」
「んもう、久しぶりに会って小言なんて寂しいじゃない。あと、この人を保護して。たぶん領土から追い出されたから。あたしが身柄保証するんで、家族とか周辺人物ごとこっちにツレてくるように手配して」
「それは“あと”から始めることじゃないんですよ……伯爵家と真っ向から対立する気ですか」
「する気はないけどしてもいいと思ってる」
「家門を呪いたい……」
頭痛を覚えて、聖女の弟が額を抑えた。
彼の脳にはそのために超えなければならない膨大な数の手続きが展開されているのだろう。
気の毒だが、頑張ってもらう他無い。
「ここには何をしに来たの?」
「クレオ様から聞いてないのですか?」
唯一、まともに会話ができる義弟に会えて、ジェーンはべたべたとくっつく。
往来だろうと構わず頭を撫でて姉として振る舞われ、騎士団長は耳まで赤くして、身を引いた。
「私が呼んだんだよ。シヴィル・リーグの暴走を早速今夜に止めよう」




