悪足掻き1
幼い頃から、何かで1番になったことは無い。先生には真面目でいい子だとよく褒められた。
決められたルールを守って、先生や大人には物分り良く従順に。
真面目だけが僕の取り柄であり、僕が嫌いな僕だった。
その日は、学校の些細な出来事で落ち込んでいた。
自分に嫌気が差して、いつも通りの帰宅道を迂回した。寄り道なんてした事が無かったのに、目に付いた神社に寄った。
『こんなとこに神社なんてあったんだ...』
息を切らしながら無駄に長い階段を上がって、古びた鳥居をくぐった先に、彼は居た。
クラスメイト......。たしかよくあだ名で呼ばれていたような。そうだ、せんちゃん。千田だ。
本殿入口の階段で堂々と昼寝をしていた千ちゃんは、僕の気配に気付くとこちらに声を掛ける。
「あれ、笠野?」
「あ、えっと、うん」
失敗したなと思った。鳥居をくぐる前に気付いていてば、回避出来ただろう。
「こんなとこ来て、何してんの?」
「えっと、千田くんの方こそこんなとこで何を?」
何かをしに来たわけでも無かったのでそう尋ね返すと、
「うーん」
千ちゃんは少し間を置いて、
「見せた方がはやい」
本殿の中に入り、僕に手招きをした。
「待って、中入っていいの?」
「安心しろよ、カメラも無いし誰も来ない」
「そういう問題じゃ..」
そう言いながらも、僕は千ちゃんを追いかける。
本殿の中といっても、小さな神社だ。詳しくない僕には、木製の小屋と大差ないように感じた。
「これ持ってて」
千ちゃんがカバンの中からカッターを取り出して、僕に渡す。
「あの、これ...何に...?」
僕は戸惑いながら千ちゃんの様子をみる。ブレザーとセーター、シャツを脱いで、黒インナー1枚になったところで千ちゃんは一旦止まった。
「貸して」
渡して、いいものだろうか。
良くない予感がするが、変に刺激するのも怖くて僕は千ちゃんにカッターナイフを渡す。
「ね、ねえ千田く...」
カッターナイフを受け取った千ちゃんは、間髪入れずに自身の左腕を指した。
「え...」
僕は一瞬固まる。あまりに急で、何が起きたのか理解が出来なかった。
「俺さ、ここの神様に呪われてて」
黒いインナーに、ジワジワとシミができていく。
「痛みも、傷も、元々そこに無かったみたいに消えるんだ」
千ちゃんは腕のカッターナイフを抜きながら、淡々と話す。
「血は残るんだけどさ」
袖をまくりあげると、千ちゃんの腕には傷ひとつ無かった。
「....は?」
手品、でも無いだろう。
千ちゃんの言った通り、カッターナイフにも、インナーにも血は付着したままだ。
「.....」
「先祖代々、ここの神様に仕える歳になるまで、そういう身体してるらしくて」
千ちゃんは、まくりあげたインナーの袖を戻しながら続ける。
「なんかムカつくから、ここでたまに身体わざと傷つけて見せつけてやってる」
千ちゃんのインナーの袖には、カッターナイフでできた穴が空いていた。
「ごめん信じて貰えるよう手短にやったんだけど、引いたよな」
「......」
引いた。と同時に、どこか心臓がゾワゾワした。
「......」
千ちゃんは苦笑して、腰掛けた。
「お前も座れば?」
「うん」
僕は千ちゃんに促されて、腰掛ける。
「笠野の事だから体操座りとかすんのかと」
「いや、普通にあぐらかくよ」
「ははは、なんか意外」
笑ってる千ちゃんは、さっきまでカッターナイフが腕に刺さってたとは思えないくらい普通だ。
僕はといえば、怖いとか、帰りたいとか、そういう感情は案外なくて、その場にいるのに他人事みたいな感覚だった。
現実味が無さすぎると、案外受け入れてしまうものなのかもしれない。
「あのさ、さっきの話、なんで僕に話したの?誰かにバラされたりとか」
「バラすの?」
「いや、バラしたりしないけど」
そもそもあんな話、僕がバラしたところで誰も信じはしないだろう。
「仲良い奴らは知ってるの..?澤田とか松島とか?」
「言ってないし、言う気もない」
口調は軽かったけど、本当なんだろうなと感じた。
でも、だとすると、ますます何で僕なんかに言ったんだろう。
「お前なら口硬そうだし、なんかそういうの好きかと思った」
「はぁ?」
対して関わってない僕が、血を見て喜ぶような変態に見えたって事だろうか。
不快な気持ちを全面に顔に出すと、千ちゃんは少し焦ったように付け加えた。
「意味わかんないよな。失礼だし。俺もよくわかんないから言うか迷った」
態度からして、本当に悪気は無かったんだろう。言った後に気付いたようだった。
「でもお前、否定はしないんだな」
「え」
言われて気付く。そういえばそうだ。
なんで咄嗟に出なかったんだろう。
こちらを見る千ちゃんの目が、見たくもない僕を見ているようで居心地が悪い。
「......俺さ、そういう身体っていうのはある程度言い伝えで聞いてるけど、本当のところ自分が何なのかよく知らないんだ」
千ちゃんがカッターナイフの刃を出しながら言う。
「資料は見たけど、どこまで本当かあんまりわかんなくてさ」
カッターの刃についた血が、鮮やかな赤から黒っぽい色に変わっていた。
「笠野はさ」
千ちゃんの目が、カッターから僕にうつる。
「俺がどこまで痛がらないか、確かめたくない?」
きっと今なら、受け入れないことも、逃げることも出来た。けど、目が逸らせなかった。
「それ、やるよ」
千ちゃんが僕に、カッターナイフを渡す。
真面目だけが。
真面目だけが、僕の取り柄だった。