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獄中賢者は侮れない  作者: 紫 十的@漫画も描いてます
第二章 ラザムの弟子たち
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思い出がたり その2

 ナタリーは昨年の争いを思い出す。

 今でこそ平和だが、ほんの少し前までこの地ではひどい内乱が起こっていたのだ。

 爪痕は深く、復興は始まったばかりで、領地のほとんどは荒れたままだ。

 ここは復興の手が及んでいない。路面だって痛んだまま。


「無事な建物はまるでなしか。こりゃ、まぁ、酷いの」

「そう、ですね」

「とはいえ、なんでまた、これほど酷いことに? ワシはそのあたり理解できんでの」

「先の公爵様が亡くなり、リーリ様が後継者に指名されたことがきっかけでした」


 ナタリーは頷き、ぼんやりと正面を眺める。揺れる馬のたてがみが見えた。

 馬のかける音、風が幌を叩く音も聞こえる。


 ――父上はリーリを指名しただと? 馬鹿な!


 内乱は前公爵の長兄ロマリオ様の怒号から始まったという。

 リーリ様は最初、後継者としての公爵位の辞退を申し出た。だけれど、他の公爵家の者は納得しなかった。


 ――施しのような譲渡はいらぬ! 妾の子は正当な後継者であらず!


 叫んだのはロマリオ様だったか、もしくは別の誰かだったか。ナタリーのような一介の使用人にはわからない。

 偉い人の誇りというものもわからない。

 だけど内乱はソレル領へ広がって、公爵家に仕える者達は、皆が信じる主人の元へと集まった。

 リーリ様のそばに残ったのは僅かな人達だけで、とても頼りない人達が多かった。

 簡単に飲み込まれリーリ様は命を落とすのだろうと、ナタリーは覚悟していた。

 だけど、予感は大きく外れ、戦いの中でナタリーたちはリーリ様の本当の強さを知った。リーリ様は飛竜を駆り、竜騎士を操って敵を圧倒した。振るう采配は見事で、敵対していた兵士たちでさえ感嘆していた。

 様子をうかがっていた兵士は次第にリーリ様へと身を寄せ始めた。

 それで流れが良くなった。


「嬢ちゃん、あれかの、公爵様の住まいというのは」


 となりに座る老人がふいに声をあげた。

 しゃがれた声が、ナタリーを現実に引き戻す。

 老人は中腰になって右前方の建物をみていた。遠くにあるそれは縦に高い山の頂上にあって、大樹に飲み込まれた古い建物だった。


「はい。大きな木の側の……あれですね」


 ナタリーはちらりと建物に視線をやって応える。

 それから「今日、初めて伺いますが……」と付け加え、手綱を軽く振るった。


「はて、ようやく合点がいった。本当の災難は、争いではなく、新しい公爵への恨みか。火かの……街を捨てるときにはやるヤツじゃ」

「……はい」


 老人の言葉に、ナタリーは街が燃えたときのことを思い出す。

 それはリーリ様の勝利が確実になったときだ。きっかけは、リーリ様が、生き残った公爵一族に、あらためての協議をもちかけた。

 応じたのは一人だけ。それはリーリ様より若い末弟ヨハン様だった。

 内乱が終わるのだという噂がパッと広がり、どこかリーリ様も安心した笑顔で準備をすすめていた。おだやかな横顔をナタリーはよく覚えている。

 バルコニーで二人が挨拶を交わした瞬間も、忘れられない。

 さらに、ヨハン様がリーリ様をナイフで殺そうとした瞬間も。


 ――誰が汚れたお前の元に下るものか!

 ――ソレル家の正当なる後継! ヨハンの意地をみよ!

 

 叫び突進したヨハン様と、反射的に払いのけたリーリ様。

 殺害に失敗したヨハン様が、何かをかみ砕き、バリっと音がして、絶叫する。

 血を吐いた場面も見ている。

 直後、一瞬で赤い火にそまった街の光景も。

 焦げた家々の匂いも。

 風の運ぶひりつく熱も。

 バルコニーで呆然としたリーリ様も。全て、ナタリーは憶えている。

 

 ――なんで……火を放った。私は公爵位なんて要らないと言ったのに。

 

 リーリ様の声は震えていた。小さく消えそうな声だった。

 

 ――街が燃えていく。思い出も全部。

 ――ねぇ、ナタリー……


 すがるようなリーリ様の目。


 ――どうしよう、これ。


 リーリ様の、絞り出した言葉。そして炎の赤色に照らされたリーリ様のお顔。悲しげに揺れる瞳。

 私は全部見ている。

 ナタリーは心の中で呟く。

 一瞬だけ御者台が大きく揺れて、ゴトトンと車輪が鳴った。

 わっと巨馬の背中がみえて、馬車の車輪が石畳を刻む音が変わる。

 緩やかな上り坂に差し掛かったのだ。

 両側の壊れて焼けた建物が、復興の途上にある領地の現実を物語っている。

 ほどなくして、吊り橋に向かって進み出す。巨大な馬車がうまく吊り橋を渡れるのか不安だが、賢い巨馬は怯える様子は全く見せない。

 大丈夫、ナタリーは思った。


「吊り橋はよく整えられているようじゃな」


 僅かに首をのばした老人が恐る恐る下を見ている。ナタリーは、老人のおどけた仕草に妙なおかしさを憶えた。怖がっているというより、楽しんでいる様子に、余裕がありありとわかる。

 この人は、きっと普通の老人ではない。ナタリーは思った。


「橋は点検してほころびがあれば手を入れましたので。全部、だから渡ることに不安は無いんです」

「公爵の指示かの?」

「えぇ。他にも井戸の整備など、様々な事をなさいました」


 ナタリーは当時の混乱を思い出す。

 街の延焼は、内乱の時よりも大きな混乱が領内を襲った。


「リーリ様は必死で、心を砕いて、ソレル領のために奮闘されました」


 ナタリーは老人へと語る。

 領内が上向かない日々。

 すぐに領地の終焉を人々は悟り、周囲は次第に諦めていったこと。

 寝ることすら拒否して働くリーリの姿。


「食料の手配、領民が住む場所の確保。手伝う私たちが間に合わないほどの働きぶりでした。怖いくらいに」


 リーリ様は、諦めていなかった。だけれど内乱と街の延焼がもたらした荒廃には無力だった。

 ひと月、ふた月と、日々は過ぎていく。

 焼け石に水という言葉があると、ナタリーはそのときに知った。それは父が口にした絶望の呟きだった。


 ――私が自害しておけば……領内は平和だったのか? あきらめることが正解だったのか?


 深夜、ロウソクに照らされたリーリ様の横顔と、身に染みて感じた無力。それをナタリーは忘れない。

 力になれるのであれば、何だってする。

 だから、突然にリーリ様が「私に兄がいた」と告げたときも、信じることにした。

 父親違いの兄がいるという話、それは大賢者ラザムの最も信頼する弟子で、自ら二つ名を授けた賢者という。


 ――兄は、太虚のジル! かの百聞ジェイコブ、偉大なるギースボイドに並ぶ凄いお方だ。

 ――だけど、兄上は大変な状況にあるというのだ! お助けせねばならぬ!


 竜騎士たちに出陣を命じるリーリ様を、誰もが現実逃避だと思った。でも、誰一人として止めようとはしなかった。

 急な出発に妙な噂がたった。

 スティミスへ略奪のために侵攻するのだという噂。いつもであれば正しい情報を良しとするリーリ様は否定しなかった。

 とても異様な状況だったけれど、皆は迷わず付き従った。

 そしてナタリーはリーリ様が飛竜に乗り空へ飛び立つ姿を見守った。

 小さくなっていく皆の姿を思い出してクスリと思わず笑った。


「何か面白いことでもあったかの?」


 隣の老人が微笑む。


「はい。ちょっとだけ思い出し笑いを」

「楽しい思い出があることは良いことだ」


 結局のところ、リーリ様は正しかった。

 現実逃避などではなかった。

 リーリ様が連れ戻った人達は……不思議な集団だった。

 彼ら……賢者様達はまたたく間に領地を復興させていく。

 食べきれないほどの食料、領地の安定、リーリ様しか処理できないと思っていた事務の対応。

 それまでナタリーが知っている賢者という人達は傲慢で威圧的だった。

 だからナタリーは賢者という人達が嫌いだった。

 だけど今は違う。


「知っていますか? ラザム様の弟子には前期と後期という二つの流派があるそうですよ」


 ナタリーは最近得たばかりの知識を老人へと自慢げに語る。


「流派とは……確かに時期によってラザム様の弟子は様子が違うのぉ」

「はい。後期の人達はとっても素敵な人達なんです」

「カッカッカ」


 自慢げなナタリーに対して老人は楽しげな笑いで応える。

 ちょうどそのときに、馬車が巨大な影に覆われた。ひんやりとした空気が周囲を包む。やさしい影は大樹が日を遮って作ったもので、それは馬車が目的地にたどり着いたことを示していた。

 ボロボロの小城に襲いかかるような大樹。その二つは黒い塊となって青空の中に割り込むように位置している。

 不気味さはまったくなくて、それどころか黒い塊に目をこらすと、大樹の枝に立ったリーリ様は楽しげで、華やかな足取りで枝を歩いていた。

 笑顔のリーリ様は、建物内の誰かに向かって楽しげに話をしている。

 きっと、大好きなお兄様と話をしているのだろうとナタリーは思った。


「おじいさまは、セリーヌ様にお会いしたいということでしたね」


 馬車を降りたナタリーは、御者台の老人を見上げて問いかける。


「うむ。取り次いでもらいたい。なんでもかんでもお願いして悪いがの」

「いえいえ、ちょうどここに行く途中でしたし、問題なしです」


 笑みを浮かべた直後、ナタリーは大事なことを思い出す。


「私ったら、お名前を聞き忘れていましたわ」


 照れた笑いを浮かべたナタリーに、老人は「ふむ」と呟き、それから杖を手元で一回りさせる。


「仮面の賢者、マスキアス四世だ。セリーヌにはマスキアスが来たと伝えておくれ」


 得意げな老人の手からは杖が消えて、代わりに目元を隠す黒い仮面があった。

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