閑話 思い出語り
ソレル公爵領にある大きな街道の上を、一台の巨大な馬車が走っていた。馬を引くのはずんぐりとした大柄な二頭だ。
その馬が引く馬車はさらに大きく、山のような荷物を積んでいた。
進む先は、公爵の新しい家で、そこはずっと以前に使われなくなった監獄の跡地だ。
馬車を操っているのは小さな少女で、巨大な馬車の御者台にちょこんと座っている。その隣には杖を抱えた老人がうつらうつらとしていた。
メイド服姿の少女はナタリーといった。彼女は、左手側から聞こえてくる大工たちの掛け声を耳にして、小さく微笑む。
「内乱で荒廃した土地を、復興させていく手腕。ソレル公爵というのはなかなかの人物と見える」
今、横で眠りかけている老人が先ほど言った言葉を、ナタリーは心の中で噛み締めた。
ナタリーはソレル侯爵であるリーリの使用人だった。同い年だったこともあり、使用人と主人という関係でありながら、二人で遊ぶこともあった。
だからナタリーにとって、老人がリーリ様を褒めたことが嬉しかった。
笑みを浮かべて、昔を思い出す。
リーリ様との距離は遠くなったり近くなったり、そして離れたり。
どのようにお仕えするべきか理解したと思ったら、そんな理解など軽々と超えてしまう主人。ナタリーにとってソレル公爵、リーリ・ソレルというのはそういう人物だった。
最初の思い出は庭で遊んだことだ。かけっこしたり、木の実をあつめたり。
木から落ちた鳥の雛を二人で巣にもどしたりしたときは、公爵令嬢に木登りをさせるとは何事だと、父親に叱責されたことを思い出す。
その時、リーリ様は必死になって自分をかばってくれた。そして、その態度を見た父親が何とも言えない表情をしていたことも思い出した。
馬車はガラゴロと車輪を鳴らし、ゆっくり進む。
焼け野原に緑がよみがえり、小さな花を咲かせていた。うっすらとした赤い花はかすかに揺れてかわいらしい。
「ああ、そういえば……」
隣の老人の眠りを邪魔しないようにナタリーは小さくつぶやいた。
リーリ様が白詰草で作った花輪を何度も何度も整えて、ようやく夕方になって母親に持って行ったことを思い出した。
――プレゼント!
手を草木の汁で汚したリーリが満足そうに花輪を夕日に掲げていた。
夕日に染まり赤く色づいた顔がやり切った様子でとても明るかった。
他の使用人に気づかれないよう、リーリ様と二人で静かに屋敷の中を進んでいたことを思い出す。
「静かに、静かによ」
リーリ様が何度も人差し指を口にあてて真剣に頷いていた。
あの時の厳しい目と抑えられない笑み、それから草の匂いは忘れられない。
いつもは見慣れた屋敷が、あの時ばかりは巨大な迷宮のように感じられた。
その時はなぜ誰にも気づかれないように必死だったかわからなかった。
でも、今ならわかる。リーリ様は母親を驚かせようとしたのだ。
リーリ様の母親ネッサ様は、別名『人形姫』と呼ばれ、言葉少なめで、物静かで、いつも椅子に座って遠い空を眺めていた。
とても美しい人だった。物憂げな表情は張り付いたようだった。揺れる椅子に微動だにせず座る姿は、まさしく人形だった。
だからこそ、花輪を届けることで驚かせ、ほんの少しでも笑ってほしかったのだろう。
リーリ様は思いつくままに母親にいろいろな事をして見せた。
「あれも、これも……」
ナタリーが手にした手綱をぼんやりながめていると、周囲がさっと暗くなった。
竜騎士が一人、ナタリーの側までやってきていた。
「ナタリーか。気をつけてな」
しばらく側を飛んでいた竜騎士は声をかけると、すぐに飛んでいった。
警護役の竜騎士だろう。大量の荷物を運んでいるから不審に思ったのかな。
ナタリーは後ろに視線をやって、積み過ぎたかもと考える。とはいえ、何往復もする気はないので、気にしないことにした。
「竜騎士といえば」
ずっと後に、リーリ様が語ったところによると、母親が最も笑顔になったのは、リーリ様が飛竜に乗った姿を見た時だったという。
「頭を撫でてもらったの」と、リーリ様は何度も自慢していた。
その後、リーリ様は飛竜とよく遊ぶようになったと少女は思い出した。
ソレル本領の中心から少し離れた場所にあるお屋敷には、いつだって飛竜が沢山いて……。
「カカットに、メンノ……小さいのがケミケト」
リーリ様は多くの飛竜の一頭一頭に名前をつけ、母親に紹介していた。
思えばネッサ様もリーリ様も、いつだってメイドや使用人に優しかった。
「公爵とはなかなかの人物だと見える」
再び老人の言葉を思い出した。確かにリーリ様はすごい人だった。
復興しつつある街をみて、それ以前の出来事を思い出して、より深く実感する。
子供の頃から見ていたが、ここまでのことを成し遂げるとは思わなかった。
優しくて、手先が不器用で、飛竜が好きだということしか知らなかった。
ずっと明るく優しい……自分に似たところが多い人とナタリーは認識していた。
きっと健やかに大人になって、どこかに嫁がれるのだろう。素直に、公爵家の考えのまま、どこかへ。ナタリーはどこまでもついて行くつもりだった。
だけど、それは一変した。
内乱の始まりによって。




