悪夢
気がついたら、ボクは真っ暗闇の中にいた。冷たい床の感触があり、ゆるりと起き上がって辺りを見渡す。
ふと、同じように身を起こした葬送士の一人と目が合った。
彼の姿ははっきりと見えた。着ている黒の衣でさえ、周囲の漆黒とはまったく違うものとして認識できた。目の合った彼の少しそばに、もう一人の葬送士がゆっくりと体をもたげていた。彼の黒髪も、漆黒の中ではっきりと見えた。それはまるで、彼らの体がほんのりと発光しているかのようだった。
自分の手を見ると、彼らと同じように、自分の体もほんのりと発光しているように思えた。
「どういうことだ? どういうことだ? なんで食われない人間がいる?」
甲高い声が聞こえた。それは、小さな子供のような声だった。
ふと見ると、そこには大きくしゃべる玉ねぎがいた。
玉ねぎというか、玉ねぎ型の小動物のような……それはまさしく、喋る玉ねぎそのものだった。
しゃべる玉ねぎは、ボクのよく知っている人間に噛みついていた。
ずいぶん前に、ボクが精神世界……キャンバスで出会った。パーカーの男だ。
「そうそう食われてたまるか。オレの方で法則を書き換えた」
「だから、それがどういうことだって言ってんだ!」
パーカーの男は「ふー」と面倒くさそうに息を吐くと、喋る玉ねぎをコンと足で払った。そして、ボクの方を見て言った。
「目が覚めたようだな。三人とも。ここは悪夢の中だ。どうやら、ソレル領の監獄が使われなくなったのは、この悪夢のせいらしい」
それから「オレが蹴飛ばした玉ねぎは、アルウラネの端末だ」と続けた。
悪夢の中? それが一般的な悪夢とは違う意味合いをもっているのは明らかだ。ここは妙に現実感がある。感覚的には瞑想などで感知できる自分の精神世界に似ている。
アルウラネというのは幻獣の名前だったはずだ。牢獄の半分以上を覆っていた大樹をそう呼んでいた。端末という意味はわからない。
「端末って言い方はよせ! あちきこそ、アルウラネだ」
玉ねぎはクルクルとパーカーの男の周囲を回って喚きたてる。
葬送士の二人もピンと来ていないようだ。もう少し説明が欲しいな。
「偉そうに」
もっとも、パーカーの男から、ボク達への追加説明はなさそうで、彼はへらへらと笑いながら、玉ねぎを足で小突いた。
よく見ると、形は玉ねぎだが、どちらかというとぬいぐるみという方が合っている。玉ねぎ型のぬいぐるみ。くりくりとした目は、特に子犬を彷彿とさせる。
「おい、葬送士!」
玉ねぎは、相手にされないことを察したのか、パーカーの男にかまうことを諦めて、今度は葬送士の方にとことこと歩いて行った。
「フェニックスはどうした? ノームはどうした?」
「ノームは、気配が無い」
「同じくフェニックスも、だ。距離があるのか、フェニックスの言葉すら聞こえない。申し訳ないが、我らもよく分かっていない。アルウラネ……ここは?」
葬送士がしどろもどろに玉ねぎへと答える。困惑しつつも、彼等なりに玉ねぎから情報を得ようている。
玉ねぎが頭をブンブンとふって言葉を続ける。
「ズィボグの死体の中で、そのかけら! 悪夢だ!」
ゆっくりと周囲を見渡し「中? まさか、実体がないというのか?」と葬送士が呟く。
「無い! 実体は! お前達は精神体! くそぅ、役立たずばっかりが増えてきた」
ボク達は精神体か。驚きはなかった。最初に自分の感覚から想定していた答え通りだったからだ。
だけど、少しだけ緊張してしまう。想定通りだったとしても、精神世界……キャンバスと同様の世界ということであれば、ここでは魔法を使うことができない。
むき出しの精神は、外敵に弱くちょっとしたことで再起不能になる。
武器になるものも見当たらない……というより真っ暗でわからない。
戦うとしたら素手になる。相手がどういうものかわからないが、玉ねぎが言うとおりなら、素手のボク達が叶わない相手がいるのだろう。
「良かったじゃないか。仲間が増えて。負けかけてたんだろ?」
パーカーの男がチャチャを入れるように声をあげる。
「うるさい」
「だからさっき言ったように、手助けしてやるって」
ここで一番余裕があるのはパーカーの男だった。彼は全て理解しているといった風に余裕で、どちらかというと楽しんでいる風でもあった。
玉ねぎが再びパーカーの男にからんでいく。それから小声で言い争いというか、一方的に玉ねぎが罵声をあびせていた。
その話を聞いていても、彼らの言っていることが、さっぱりわからない。訳も分からないうちに変なところに連れてこられて、訳の分からないことで言い争って……置いてけぼりにされている感じだ。
この中で唯一話をしてくれそうなのはパーカーの男だけ。
だから、ボクは問いかけることにした。
「結局、“悪夢”ってのが何なのか、教えてくれると助かるんだけど……」
ボクの問いかけに、パーカーの男は「そうだな」と言って、それから「歩きながら喋ろう」と提案した。
二人の葬送士は、そんなパーカーの男を観察するように凝視していた。
真っ暗な闇の中の散歩。ここは無音の空間だった。つめたい床は暗闇のなかで全く見えない。もっとも、段差の無い真っ平らな世界なので、歩くことは苦にならなかった。
僅かに足を動かすたびに黒い煙のようなものが見えた。それはボク達の足下を僅かにかくしている。特に害はなさそうだ。
パーカーの男は、何かに警戒する様子もなく、ゆっくりと歩みを進める。
ボクはそれについて行った。
「余計なことを言うなよ」
ぶつぶつ文句を言いつづける玉ねぎを無視したまま話は始まった。
「ここでいう”悪夢”ってのは、人を超えた存在の亡骸。その破片のことだ」
「人を超えた存在?」
「昔、この世界には外の世界からの来訪者がいた。来訪者は世界を壊そうとした。そいつらを、光と闇の女神が始末した。だが、完全に殺すことはできなかった」
パーカーの男の声は淡々としていた。
いきなり始まったのは神々の戦い。来訪者というのは初耳だ。それより、神が戦うという話自体が神話に無い。
彼は前を向いたまま話を続ける。
「神の力を超えた来訪者の死体は世界中に飛び散った。で、光と闇の女神は、それらの死体の処理をしなきゃならなくなった。放置すれば復活するからな。でもな、そのときにはもう、女神は力を失っていて処理は不可能だった」
それからしばらく沈黙したのち、パーカーの男はこちらを向いた。
「だから、女神は世界をデザインしなおした。死体を処理するために幻獣を作り、人々に役目を与えた」
「それって……神話の話?」
スケールが大きい話だ。それにとっかかりもつかめない。世界がどうやってできたのか……そんなことを考えたこともなかった。
「現実の話だ。だが、神の話だから神話ともいえる」
ボクは多分、怪訝な顔をしていると思う。それほどまでにイメージができなかった。
神話と現実がリンクしているという話をいきなりされても対処ができない。
だけど、それが本当の事だとはわかった。現に葬送士も玉ねぎも、話自体には驚いていない。
パーカーの男の視線は、何か言いたげな二人の葬送士を見ていた。そして言葉を続ける。
「隠すようなことでもないだろう。死体を処分できない現状も、近い将来には死体の重さに世界が壊れることも」
彼は肩をすくめると、また前を向いて歩き出した。
「どこまで話したっけかな?」
気の抜けた口調でそんなことを言う。
だけど、ボクはその話より先に、聞かなくてはならないことに気づいた。
「クリエは? リーリは? 二人はここにいないの?」
この場所に近づいていたのは、ここにいる人間だけではない。
クリエにリーリ。幻獣でいえばフェニックスだっていた。パーカーの男がボク達を助けたと考えた場合、だったら他の二人はということになる。
「あぁ、そうだな。先に言うべきだったな」
のんびりとした口調、そんなこともあったかという他人事そのものの口ぶりに、気が焦る。
「神話の話よりね」
とはいえ、不満をぶつける気はない。知っていることを教えてくれそうな現状ではなおさらだ。
「クリエだが、無事だ。ここには招かれていない。あの娘を悪夢は捕食できないと判断したんだろう。それから、リーリは、クリエの近くにいたから、彼女も助かった。あとセリーヌは……違和感を抱いて離脱した。さすが賢者だ。だいたい、あいつも知ってるんだろうな」
つまり、捕まったのはボクと葬送士だけか。
あの状況でセリーヌ姉さんは離脱したのか。相変わらず勘がいいというかなんというか。しかし、そんな違和感があったら教えて欲しかった。
とはいえボクも、セリーヌ姉さんのことを素で忘れていたからどっちもどっちといえる。
「つまりは、とっ捕まったのは、楽観的なお前と、間抜けな葬送士の二人だけってことになる。まあ、捕まってよかったんじゃないか。おかげで親睦を深めることができる」
彼の言う通りであれば、みんなは無事ってことだ。安心した。
今度は自分のことを考える番だ。
「捕まってよかったって……ここから出る方法があるってこと?」
「壊せばいい。悪夢を」
「できるのか? 壊すってか、殺すことが?」
玉ねぎが嬉しそうな声で割り込んできた。ボクも胸をなで下ろす。
「あぁ。今、向かっているところだ。悪夢の核に。もちろん壊すことも出来る。お前と違ってな」
「あちきは一生懸命にやってんだよ」
「そっか、悪い悪い」
玉ねぎは「むー」と唸って葬送士を見つめた。なんか言えと訴えているようだ。
「それで、お前の正体は……?」
しばらくの沈黙があったのち、葬送士がようやくといった様子で声をあげる。
「余計なことは喋る気はないな。それとも、何か情報を提供してくれるのか? 情報交換なら聞いてやっても言い」
パーカーの男はおだやかな声で応える。だが葬送士は、警戒心を緩めずにいた。
……だけど、ここで争うことに意味はないと悟っているのだろう。距離は取りつつも、何かを仕掛けてくる気配はなかった。
「ああ、そうそう。神話の話だったな」
パーカーの男は、再び語り出した。
「さっき言ったように、光と闇の女神は人々に役目を与えた。奇跡のための生贄という役割だ。自らの体を維持できない女神が、現実世界で活動するときのための器としてな」
確かに神話では、光と闇の女神は世界の調和と安定を役目とする。
女神は神殿にてまつられていて信仰の対象だ。逆に特定の組織によってまつられることのない神として、善神アーヴィと、悪神ズィボグがいる。
この二柱の神は、人々に知恵をあたえた。文字や魔術といった知恵だ。女神の従属神というのが一般的な知識としてある。
ボクの知っている神話ではそうだった。
だけど、パーカーの男の話が正しければ、ズィボグと、光と闇の女神はでてきても、アーヴィの話はまったく出てきていない。
違和感がある。
「そうそう、クリエって娘がなぜ取り込まれなかったのか?」
パーカーの男が続けた。
「それは、彼女が……場合によっては神の力を行使する可能性があると悪夢が恐れたからだ。この悪夢の中で、神の力を解放すれば、簡単にズィボグの死体のかけら……つまり悪夢は砕けてしまう」
「悪夢っていうのは魔物かなにかで意志があるってこと?」
「意志というか復活のための渇望がある。だから、人を取り込もうとするし、消えたくないからクリエという人間を無視している」
渇望といわれても、パーカーの男が話す内容からは、悪夢という名前の魔物がいるという意味にしかとれない。だいたい、彼の言葉はわかりにくい。
「ついでにいえば、葬送士は、だから葬送という名を冠している。ズィボグ達の死体を完全消滅させるためという意味で」
ボクはふと、あることに気がついた。
「だから、神の力を内包するクリエは、髪の色や目の色が神に近づく色になった」
光と闇の女神についての伝承だ。女神もまた銀髪をしているという。
「鋭いじゃないか。そういうことだ。まあ、誰だって神の器になる可能性はあるんだがな。神の器として理想的であればあるほど姿が神に似る。だって、そのためにデザインされたんだから」
……それじゃあ、ボクたちは――。
口には出せなかった。なんだか、出しちゃいけない気がした。
けど、パーカーの男の言う通りであれば、神話というのは現実と地続きで、人間も幻獣も、全部……神々の戦いの後始末のために存在しているということになる
「考えすぎないことだ」
パーカーの男が唐突に言った。彼はボクに小さく微笑み、言葉を続ける。
「ジル、お前は好きにして暮らせばいいさ」
それはまるで優しく諭すような口調だった。そしてひどくさみしそうにも見えた。
「でも、知らないまま生きるより、知って生きるべきだろうな。知ることが世界を広げる。ラザムも言っていただろう?」
そんなこと言っていたかなと疑問が頭をよぎる。だけど、その直後に、パーカーの男は師匠の知り合いなのかという発見が、疑問を塗りつぶした。
どういう知り合いなのだろう。聞くべきかどうかを考えつつ、歩みを進めていくと、暗闇の中に、人影が見えた。
「よかった。人がいた」
向こうから近づいてくる人影は、優しげな男の声だった。
対してパーカーの男は「面倒な姿をしやがって」と呟いた。
目を凝らしていた葬送士の一人が、ゆっくりとボクの脇をすり抜け、パーカーの男よりもさらに前へ出る。語りかけてくる彼をみて、つぶやいた。
「……どういうことだ?」
それから、振り向いてボクを見た。ボクの顔を、凝視する。
「よかった……ジル」
その人影が、優しい声でボクの名前を呼んだ。
近づく彼の顔を見たとき、あれ? と思った。どこかで見た、覚えのある顔、声だ。本当に――どこかで。
パンッ、と音がした。
声をかけてきた男が、倒れた。
パーカーの男が拳銃を握っていて、その銃で近づいてきた男の眉間を撃ち抜いていた。
一瞬のことで、何が起きたのか分からなかった。
だけど、側で聞く銃声はひどく大きな音で耳が痛い。
「どうして……武器が使える?」
葬送士が呟く。
その疑問はもっともだ。精神世界の中に武器を宿す者はいるらしいけれど、今の場所は似て非なるものだ。ボクは自分の精神世界にある品物をここに持ってこられていない。
つまり、パーカーの男は普通とは違う形でここに存在している可能性が大きい。
パーカーの男は葬送士を無視して静かに言った。
「……これで終わりだ。悪夢は晴れる」
それからアルウラネ……つまり玉ねぎに向かって、彼は笑った。
パーカーの男の背後から、ふわっと明るい光が差し込んだ。
「お前達が餌になってくれたおかげで、楽に懐にはいれたよ。おかげで楽に始末できた」
「狙っていた?」
ボクの問いにパーカーの男は声を出さず笑った。そんな間も、周囲がますます明るくなる。
「気になるようなら、調べると良い。道具なら……パソコンを渡しているだろう」
軽い口調でかたるパーカーの男の声がした。
さらに、光は強くなって、周囲は眩しいくらいの強い光に包まれた。




