閑話 崖のうえにて
崖のそばには多くの人が集まっていた。
その崖の縁には小太りの男が一人立ち、右手を高く掲げていた。
彼の指先の遥か上空には、四角い板が揺らめくように浮かんでいる。板には遠くの景色が映し出されていた――そこには、ジル・オイラスが戦う姿があった。
銀色の巨大な魔物……大魚を相手に、ジルは一歩も引かず、勇敢に立ち向かっていた。
「あれが大魚なのか……? 大魚はあんな姿だったのか?」と、どこかで声が上がった。その声は、しゃがれて弱々しい声だったが、不思議と遠くまでよく響いた。
「ああ、大魚だ。そして、あの大魚を軽く始末したのが……ジル・オイラスだ」
ソレル公爵リーリ。彼女はその声に直接答えたわけではなかったが、満足げにそうつぶやいた。
さらに蛇のようにうねり、銀に輝く巨大な魔物に対し、ジルは遊ぶようにその体躯を駆け抜けてみせた。
それだけではない。
彼は何かの魔法を使い、巨大な大魚を三分割してしまった。それはそこにいる誰もが見たことのない、不思議な魔法だった。
「んん、あれが処刑魔法」
「すごいの一言だよねぇ」
空中に板を作った魔法使いであり揚げ物の賢者ロアドに、同じく賢者であるセリーヌがヘラヘラと笑いながら話しかける。
「見たこともない魔法ですが……このロアド、認めざるを得ません。確かにすごい」
「でもジル君っぽくない……よね」
ロアドは深くうなずいた。
「ジルっぽくない?」
不思議そうな表情でセリーヌに問い返したのはリーリだった。
「アンコモンというのはね、人の願望が形作るものなんだよ」
「それは一応知識としては知っている」
「さすがは公爵様。そして願望というのは決して偽ることができないんだよ。なぜなら願望は願望だから」
「つまり?」
「ジル君は、何らかの願望によってあの魔法を作り出したってこと」
セリーヌの言葉を聞き、リーリはハッと何かに気づいたような顔をした。
「察しがいいよね、リーリちゃん。その通りだよ。あの処刑魔法そのものが願望の形ってこと」
「魔法により木枠が大魚を取り囲んだ時……大魚は動きを止めました。つまりはあの魔法は対象を拘束できる。拘束し、切断する。効率と冷徹さを併せ持ちます」
んっと、小さくロアドが咳払いしセリーヌを見る。
「とにかくだ。ジル君は何かをあの魔法で排除したいんだよ。『処刑魔法』って言うからには、何者かを処刑したいのかな」
セリーヌの珍しく真面目な語り口に「まことに」とロアドが深く同意する。
「結局さぁ、ジル君は何を処刑したくてあれを作り出したんだろうね」
セリーヌは目を閉じ、噛みしめるように言った。
いつにもなく思案している様子に、リーリは何も言えない。
「確かにそうですが……すぐに答えが出ない話は、一旦やめにしましょうか」
ロアドの提案に、セリーヌはケラケラと笑って応じる。
リーリは何も言えずにいた。何と言えばいいのか、分からない様子だった。
「さて、これでジル・オイラスは大魚を片付けました。これから持ち上げることになりますが、いかがいたしましょう?」
ロアドが無言のリーリへと問いかける。
「ああ、それならせっかくだ。皆にも見てもらおう。ロアドよ、その魔法はもうしばらくそのままにしておけ」
リーリはロアドの質問に気持ちよく頷くと、鋭く口笛を鳴らした。
その音に応えるように一匹の飛竜が彼女の目の前に舞い降りる。
リーリは飛竜の背に軽やかに飛び乗ると、「さぁ、空へ続け!」と号令をかけ、大空へと飛び立った。
飛竜を駆る彼女は一気に上昇していく。リーリの後に数多くの竜騎士たちが続いた。
「皆よ、歌え。天空の歌を!」
凛としたリーリの声が響くと、竜騎士たちは声を合わせ、古代語の歌を歌い始めた。地響きのような音が辺りに広がる。
「まさか、あれは合唱魔法か……?」
誰かのつぶやきがあった。
それとほぼ同じくして、辺りの空気が一変した。
その異変に最初に気づいたのはロアドだった。彼は自ら作り出した正方形の板へと視線を移した。




