閑話 壺の文字(少女の視点)
私は久しぶりに外出する。メモの書かれたツボを抱きかかえ森へと。
森はとても危険なところで、私のような小娘1人では生きて帰れないこともある。
だけど意を決して森へと入る。
「まだ日は落ちていない。大丈夫」
無理矢理な笑顔で呟いた。
それから監獄と外をわけ隔てる鉄柵に視線をやる。
巨大で重い鉄柵の隙間から外の街道へと出るのだ。
小柄な私なら苦労せず鉄柵の隙間を通り抜けられる。
錆だらけの柵に服が触れて、茶色い跡が残った。
柵を抜けて振り返ると、柱の陰に座り込む門番が目に入る。
座り込んだ兵士は私に気がつかないほど泥酔していた。
昔はこんなことは無かった。
仕事を放棄する者はいなかった。
ゆっくりと監獄の人達がおかしくなっていく。
囚人も、看守も、皆が。
この調子では森で助けをよんでも無駄だろう。
「大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせ森を進む。
狼の吠え声が聞こえた。
いつもであれば震え上がる声を聞いても、私はなぜか平気だった。
そのうえ冷静だった。
だから落ち着いて森の木々を調べることができた。
私の目当てとするものは、監獄から出てすぐ近くにあった。メモの通りだ。
絵のとおりの姿をした植物は、監獄のそばにきちんと生えていた。
どのようにして、あの方……ジル様がここに生えていることを知っていたのかわからない。
必要な材料は簡単に揃えることができた。
そして指示通りにそれらを加工する。
それは料理のようでもあり、何かもっと別の作業のようでもあった。
葉っぱを刻み、湯沸かし、決められた分量の塩を入れて茹でる。
それから薪の燃えかすを削って灰を入れる。
ポコポコとわきたったあと、パンのかけらをゆっくり浸して、表面に浮いたあくを取る。
出来たのは茶色く透き通った液体だった。
「美味しい」
塩をあれほど入れたにもかかわらず、完成した液体は甘い。
これが私の咳を止める薬らしい。
思いもかけず手に入れた薬。
数日前には夢想さえしなかったものだ。
「希望は毒になる」
囚人が私にそう言ったのを覚えている。
嫌な言葉だけれど、私の直感は正しいと伝えた。
「いつかはきっと救われる」
私は小声で、だけどしっかりと呟く。
嫌な言葉から目をそらすために。
昨日まで呟きはただのおまじないだった。
だけど今日は違う。
救いはあった。
そして、それをもたらしたジル様はあの鉄扉の向こうにいる。
そう。
あの独房に住むあの方は、私よりも劣悪な状況下で、他人である私の事まで気にかけた。
善意がこれほど嬉しいとは思わなかった。
誰かが気にかけてくれることが、こんなに心を温かくするとは思わなかった。
「私にも何かできることはないかな」
ジル様に何か……。
いえ、ジル様だけではなくて、別のだれかにも。
ツボに書いてあるきれいな文字を見ながら考える。
それだけで心が温かくなった。
文字を撫でるだけでなんだか勇気が湧いてきた。
「ふふっ」
飲んだばかりで効くかどうかわからない。
それでも私は確信していた。
寝る前に、そっとツボに書かれた文字を触った。
ざらりとしたツボの表面にある文字がとても愛おしかった。
世界が明るくなっていく予感がした。
「明日はきっといい日だ」
私は小さく呟いて、倉庫の隅で丸まる。
それから、ツボをソッと触ってから……少し考える。
「どんな姿をされているのだろう。どんなお顔だろう」
延々とジル様の姿を想像する自分に気がつく。
聞いたら教えて下さるかな。
最後に「ふふ」と小さく笑って、それから静かに目を閉じた。