スティミスの蛇
「あれは……」
唐突に出現した巨大な蛇の幻には見覚えがあった。
監獄がスティミス軍に攻められた時に、その場から離脱するときに、最後に追いすがってきた蛇だ。
ということは合唱魔法。
一軍が集団で唱えて実行する魔法だ。
その特徴は、使用者ごとの固有効果と……抑止効果。
抑止効果は、対象者の力を大きくそぎ落とす力だ。
合唱魔法の発明により世界のパワーバランスは大きく変わった。
かつては英雄と賞される強者が戦場の優劣に影響を与えていた。だが、合唱魔法の発明後は、兵士の数や質が戦いを左右するようになった。
それほどまでに、合唱魔法の抑止効果は個人の力をそぐ。
「抑止効果は、食らったことがないけれど」
ボクは地面を蹴った。
いずれにせよ、臨機応変に行動するのみだ。
公爵の兵達も追いすがろうと動いてはいたが、間に合わない。
瞬きするほどの時間。
それだけで、公爵を奪われてしまうだろう。
「残念」
だけど、ボクがいる。
蛇の口に飲み込まれる直前に、公爵の細腕をつかむ伯爵の手首をボクは握りしめた。
合唱魔法の抑止効果がしょぼくて笑ってしまう。
「蛇の力が、効かぬと?」
驚愕の表情でスティミス伯がボクをみた。彼の瞳に映るボクは悪い笑みをしていた。
「公爵は残してもらうよ」
ぐっと手に力をいれる。ボギャという鈍い音がした。
スティミス伯の手首を握りつぶした音だ。
「ぐぁぁぁぁ」
悶絶したスティミス伯が公爵から手を離してうずくまる。
「ボクの背に隠れてて」
公爵をボクの背にかばって、スティミス伯と対峙する。
彼は潰れた手首をかばうようにうずくまっていた。
嗚咽しながら「ワシだけだ! ワシだけを飲み込んで、それから無差別にやれ!」と、かすれる声でうめいた。
「逃がさないよ」
手を伸ばしてスティミス伯の首をつかもうとしたが、空振りに終わる。
彼が蛇に飲まれるスピードが速かったことと、抑止効果のせいだ。
合唱魔法の抑止効果は時間経過で強くなるらしい。
体が重い。まるで水の中にいるような、全身を襲う不思議な圧力だ。
「魔法がうまく成立もしないか……」
手を動かし詠唱印を結ぶが、うまくいかない。
意図しない魔力の乱れに適応するには少し慣れが必要なようだ。
自分の手に視線と意識を集中し、ゆっくり確実に魔力を操作しようと試みる。
スティミス伯は蛇に飲み込まれ消えたが、当の蛇はいまだに健在で、消える気配がない。
放置はできない。
蛇は未だに辺り一帯へ影響を与え続け、周囲のものを飲み込んでいる。
さきほど、一人の兵士が飲み込まれていた。
飲み込まれたのは彼だけではない。先ほど、公爵へと駆け寄ろうとした兵士の何人かがすでに蛇の喉奥へと消えている。
「私はいい! 蛇から距離を取れ!」
ボクの背に立つ公爵が大声をあげた。
蛇に吸い込まれるリスクを冒してもなお、公爵に近づこうとしている兵士達がいる。
きっと忠誠心からなのだろうが、この場では無意味だ。公爵の指示は正しい。
しかし、このまま抑止効果が強まれば、ボクが倒れる可能性も……。
「ほぅ、これがスティミスの蛇か」
不安が頭をよぎったとき。
テントからのっそりと一人の男が姿をみせた。
禿頭のアーバン将軍。
「アーバン殿」
「心配無用だ。公爵殿」
ニカリと笑った彼は、つかつか蛇の前へとあゆみを進める。
まるで自分から飲み込まれにいくような感じだ。
「スティミスの蛇。世を支配する三公八伯の一角、スティミス伯爵家が作り出した合唱魔法。双頭の蛇を作り出し、片方が飲み込んだ物質をもう一方から吐き出す」
「近づきすぎだ!」
「心配するな、坊主。問題ない。この程度。抑止効果の矛先がワシだけならば危ういが、今は無差別ゆえ。壊す程度の時間は耐えられる」
「壊す?」
手を軽く振ってから、アーバンはニヤリと笑い言葉を続ける。
「合唱魔法は、戦時の高揚感あってこそだ。敵を眼前にとらえ、それをもって軍の士気や一体感は増す。それらがあって魔法は成立する」
彼は蛇の口の中へとあゆみを進めた。
確かに余裕そうだ。蛇の吸い込む力を前にして、疲弊するそぶりもない。
「さて、話を続けると……だ」
そこでアーバンはこちらを一瞥して、ばっと口を大きく開けた蛇へと向かい合った。
「スティミス伯爵よ」
彼は蛇の喉奥へと向かって語り掛ける。
「いや、合唱魔法を行使しているのは別の者か? 無理をしているのだろう? 敵を前にせず、ここまでの形をつくるのは見事だが……」
アーバンは語るのをやめて、大きく息を吸い込んだ。
「甘いわ!」
直後、アーバンが蛇に向かって馬鹿でかい声で叫んだ。
耳が痛くなる。とんでもない大きな声。
だけれど、彼の叫びが無駄ではないことはすぐにわかった。
抑止効果が途切れたのだ。よく見ると、蛇の姿もぼやけた。
「軍の指揮につかう。声に魔力を乗せるやり方だ」
「声により反撃したのか?」
得意げなアーバンに、公爵が問いかける。
なるほど。蛇を通じて向こうへ声を届ける……か。確かに、さきほどスティミス伯は言葉で指示を出していた。
公爵を飲み込め、自分を飲み込めというように、ターゲットを支持していた。
「左様。しかし、公爵様。ウルグ殿に、蛇の能力を確認することに手間取ってしまった。助けが遅れたことは許されよ。だが、この蛇はしぶといな。さすがスティミス伯か」
のんびりと公爵へと顔を向けて答えたアーバンが、面倒くさそうに、蛇を見やって言葉を続ける。
「あと何度か叫ばねばならんかな。喉の痛みは酒で癒やすか」
蛇はいまだ健在、飲み込む力も復活した。
だからアーバンは蛇が消えるまで叫ぶつもりなのだろう。
「いや。もう終わり」
だけどボクの意見は違う。
「どういうことだ坊主」
「ほんの少しだけ、抑止効果が消えたからね」
ボクは一瞬の間に魔法を完成させた。
抑止効果がなければ、片手を素早く動かして魔法を作ることはたやすい。
「何の魔法をつかったのだ? ジル」
「それは公……いや、リーリ。処刑釘って魔法で、ソフトボールサイズをした鉄の釘を球状にしたものを破裂させる魔法だよ」
「そふとぼーる?」
たまにでる前世の知識は、公爵に通じない。
ボクは手でおおまかなサイズを示しながら説明を続ける。
「処刑釘の魔法で作り出した鉄の塊を蛇に飲み込ませた。ボクの思ったときに破裂させることができる鉄の玉だね」
そうしてボクは軽く蛇を指さして「バン!」と言った。
次の瞬間、蛇は消えた。
「合唱魔法が……消えた?」
「アーバンの声だけで存在が揺らぐんでしょ? だったら飛び散る釘なんて食らった日には、どうしようもないでしょ」
「確かに……そうだな」
「ガハハハ! 見事なものだ。おかげで何度も叫ばず済んだわい」
あっけにとられる周囲を前に、アーバンが楽しそうに大笑いした。




