頼れる姉弟子
ボク達は森の中を歩いて進む。
小猿の案内に従って西へ西へと。
ズィロと戦ってから3日。ひたすら歩くだけだが、景色は変わっていく。
背丈の高い木は、頭上のはるか上で枝を伸ばし葉を茂らせ光を遮る。
静かな森はますます深くなって、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「今日も晴れだね」
「匂いも悪くない。おそらく晴れた日はまだまだ続くだろう」
クンクンと小さく鼻を鳴らせてフェンリルが答えた。
フェンリルの白くふんわりとした背中に寝っ転がったボクは、深い森をぼんやりと眺めていた。
今は休息に集中している。
「ガハハハ」
楽しげな笑い声が聞こえた。
2人の男のうち髪の薄い男の笑い声だ。名前はアンバー。僕が子供の頃活躍したという将軍らしい。
僕たち一行の中で一番年長だというが、そんなに年には見えない若々しく豪快な男だ。
「我々は逃げている身だ。必要以上に騒がしいのはよくない」
さすがに騒がしいと思ったら、同じように考えていた。
クィントスがアンバーを窘める。
2人は遠目から見れば背丈は似ているのだが性格は大違い。
豪快アンバーと、繊細なクィントス。性格は対照的。
でも笑い声が起きて、足取りが軽くなるほど状況は良くなっている。
きっかけはセリーヌ姉さんの援助物資。
そして、その始まりは一昨日、つまりズィロと戦った日の翌日のことだった。
「キキッ」
クリエの肩に乗ったり頭に乗ったりしていた小猿が、小さく叫んだ。
それから地面に降りて四つん這いでダッシュしていた小猿が消えた。
枯れ葉をまきちらして、フッと。
フェンリルの背中で空を見ていたボクはその瞬間をみていない。その時のことはクリエの伝聞だ。
「おぉ、こいつぁ」
ボクはアンバーの声で何かがあったと気がついた。ついでに、それが悪くないことも。
「クリエ様。心配は不要です。罠や攻撃の類いではありません」
ゆっくり起き上がって声がした方をみると、やや離れた場所にいたアンバーとクィントスが地面を見つめていた。
「そこで……何があったのですか? クィントス様」
「窪みです。穴を掘って品物を隠したようだ。猿は品物の上でじゃがいもを抱きしめているようです」
「品物、ですか?」
「クィントスのいうように……どれ」
アンバーが軽々と大樽を引き上げる。小柄な人と同サイズのそれには液体が入っているようで、タプンと軽い音を鳴らせた。
それからアンバーとクィントスを中心として皆が地中から荷物を取り出していく。
天然の窪みに品物を置いて、上から木の枝と枯れ葉で偽装していたらしい。
隠してあったのは、水と酒の入った樽、干し肉やパン、雨を防ぐ為の布、武器や防具、そして薬類。
「これは助かりますな。さすがは賢者様。前期後期と言っていたのが恥ずかしい」
「まさしくそうです。ウルグ様が言うとおり、私が浅はかでした」
盛り上がる皆の中で、ウルグとクィントスが言葉を交わす。
こんな出来事があったのだ。
そして援助はそれで終わりではなかった。
次の日も、さらに次の日も、案内の途中で小さなジャガイモを拾ってきて、それが落ちている場所には姉弟子の用意した物資が置いてあった。
潤沢な物資によって、ボク達は随分と救われた。
大雑把なイメージのある姉弟子が、ここまで計画的に動けるなんて意外だったけれど、嬉しい。
「ルルカンー、いじわるしちゃダメですよー」
クリエが楽しげな声をあげる。続いて、数人の笑い声。
どうやら黒猫ルルカンが小猿を追いかけているらしい。
「一息ついたって感じだ」
良い雰囲気の中で、ボクはふぅと息を吐いてつぶやいた。
「ジル坊もようやく休めるのではないか?」
ボクを乗せたフェンリルが低い声で言った。
「ずっと休んでるよ」
「俺の背で横たわっていても気配は探っていただろう?」
そうだったかな……と言いかけてやめた。確かに周囲の警戒は続けていた。
ボクはいまだに満足に動けていない。
姉弟子のくれた回復薬は皆で分けたし、そもそも一般的な回復薬の効果はたかが知れている。ボクを癒やすには効力が足りない。
「そうだね。休むことにするよ。でもさ、休めないというか……ズィロがまだ追ってきそうなんだよね」
「あれは真面目だからな」
ズィロはボクが小さい頃に賢者の塔から出て行った。
だから彼の事はあまり憶えていない。
だけど、ズィロはボクに対してうるさいと言って怒ってばかりいた。
研究の邪魔だろうがという怒鳴り声は、はっきりと憶えている。
いつも真面目に研究していた事を憶えている。
「その真面目なズィロが、クリエを殺そうとした。世の中のバランスが崩れるとか言って」
「だが、ジル坊は阻止するのだろう」
「まぁね」
「一つ言っておく事がある。今後、俺はジル坊に力を貸せぬ」
「人の争いだから?」
「もっと別の理由だ……ジル坊、お前は何と契約した?」
それは小さかったが真剣さのこもった声だった。
「契約?」
「今のジル坊には何か異質な力が宿っている」
「さぁ、何かと言われても……契約をしたつもりはないんだけどね」
パーカーの男。あいつは助けてやる的な事を言っていただけだ。
ボクが、あの時、聖王の魔法陣……クリエから依託された魔法を使おうとしたときに。
「ねぇ、フェンリル。ボクがあの時、聖王の魔法陣を使った時、聖王の魔法を使ったことで死ぬ可能性はあったと思う?」
あの時のボクはパーカーの男が口にした言葉を疑わなかった。
でも、あれは本当だったのかと、今頃になって気になった。
「可能性は、無くも、無い。聖王の力は神の欠片。人には強すぎるし死ぬ危険はあっただろう」
「そっか」
聖なる力なのに術者を殺す事があるのか。
変な話だけれど、世の中そんなものなのかな。理不尽で満ちている。
揺れるフェンリルの背中でボンヤリと考えていると、あっという間に時間が過ぎた。
森の中は薄暗くなって、少しだけヒンヤリとした冷気に包まれる。
「いずれにせよ、あの時からジル坊には何か別の力がみなぎっている。幻獣のあり方として、それは……異質な力は排除対象だ」
そんななかフェンリルが言った。
急に何の事かと一瞬思ったが、先ほどの話の続きだと気がついた。
ボクの中に満ちている異質な力の話。
「じゃあ、ボクも?」
排除か。フェンリルが敵に回るのは嫌だな。
「俺にその気は無い。だが幻獣はそれぞれが別個の考えをもっている。ジル坊を殺そうとする幻獣もいるだろう」
敵に回る幻獣か。
「まるで魔物扱いだ」
「いや、もっと優先度は高いぞ」
「まったく何の優先度だよ」
「排除の、だ」
「わざわざ言わなくてもいいよ。まったくもう」
フェンリルが敵にならないんだったら別にいいや。
「思ったより、ジル坊は平気なのだな。幻獣が敵に回ると聞いても」
「そんなこと無いよ。でも、なんだかさ……王様が敵に回って、三公八伯の大半が敵にまわりそうで、最後に幻獣か。敵ばかりが増えていくよね」
「頭が痛いな」
フェンリルが静かに首を振る。
その仕草が、妙におかしくて「アハハハハ」と声を上げて笑ってしまった。
そんな時のことだ。
「ハハ……あれ、この匂い……」
森の中をヒュウと風が吹いた。微かな熱風には焦げた匂いが混じっていた。




