芋の賢者
チャドに引きずられるように空を進んでいく。
スティミス軍は遙か彼方、眼下にはうっそうとした広葉樹林が広がっている。
目的地は感覚でわかる。
もう一匹の使い魔である黒猫ルルカンのいる場所だ。
クリエ達は、ズィロが燃やした砦の炎に紛れて森へと逃げている。
「あっちだ」
ルルカンの気配をさぐり、チャドへそこへ向かうように指示を出す。
チャドは「カァ」と小さく鳴くとバサリと強く羽ばたいてみせた。
ぐんとスピードが上がり、ボクの肩を掴んだチャドの爪が食い込む。
「痛いよ」
すぐに苦情の声をあげるがチャドはボクを見ることはなかった。
それからしばらくしてクリエたちに合流した。
「ジル!」
じめじめとした森の地面に投げ出されたボクを最初に気にかけてくれたのはクリエだった。
濡れた森の土をパンパンと手で叩き落として笑顔を彼女に向ける。
「なんとかズィロもスティミス軍も巻いてきたよ」
「でも、ひどい怪我……」
近づいてボクの顔を見上げた彼女は酷く心配そうだ。
「大丈夫、大丈夫」
本心をいえば、ボロボロで辛いがクリエに対して強がって見せた。
あたりを見ると泣き言を言ってはいられない状況は一目瞭然だからだ。
人数は随分と減っていた。
20人弱だろうか。そして五体満足な人間はほとんどいなかった。
「ジル殿」
さらに、そこにはクリエ達の他に疲れ切ったウルグがいた。
白髪が目立つ赤の長髪はボサボサで、服はいたるところが破れていた。裂けた服は血ににじんでいて、いたるところに裂けた傷が見える。
どうやら鞭打たれていたらしい。
「その怪我、どうされたんですか?」
「スティミス様のご不快をかってしまった」
それから彼は説明を続けた。
最初にウルグは停戦の交渉に行ったらしい。
クリエの命を奪うほどではなく、まずは客人として迎え入れてはどうかとスティミス伯爵に進言したそうだ。
あれほどの力を見せた人間に対して、伯爵も扱いを考えあぐねているのではないかと思っての行動だという。
「でもうまくはいかなかった?」
当時のことを考えると、ウルグの考えは間違ってはいない。
聖王の力を発揮した人間を、即座に殺す判断など普通の人はしない。
理屈の上では、王様の他に別の人間が王の力を発揮することは認め難いが、心情的には簡単に割り切れない。
いわゆるバチがあたると考えてしまう。
つまりは天罰。聖王の力とはそれほどまでに普通の人にとっては神秘的なものだ。
「ところが、スティミス様の所へ行った時には、すでに王命が下っていた」
「早すぎますね」
ボクが倒れていたのはわずか2日程度の話だ。
クリエが力を発揮して、それが王の耳に伝わり、王命を下すとしても早すぎる。
「故に王はクリエ様のことを事前に知っていたのではないかと思う」
「不気味ですね」
「左様。それはそれとして、一旦話を戻すが、それから伯爵の不興をかった私は捕らえられ、クリエ様やジル殿達のことを尋問された」
「それがウルグ様の傷ということですね」
尋問というより拷問だ。見るからに痛そうだ。
「多少は痛いが、これでも若い頃は何度か戦場にも立ったことがある。多少の我慢はする。特に今のような状態であれば」
「ビカロは?」
神官の力を持つビカロであれば、ウルグの傷を治せるのではないかと思った。
だけどそれは違うらしい。
「悪いが限界だ」
巨大な白い犬の姿をしたフェンリルの背中にいたビカロは軽くて手をあげた。
彼もフラフラだった。
「私がビカロへ後回しでいいと伝えたのだ」
それからウルグが続けて語る。
伯爵に拘束された彼は助け出されたらしい。
「助け出された……ですか? 誰に?」
「ジル殿と同じ賢者によって。彼女が言っていた。ジル殿から助けを求める手紙をもらったから動いている……と」
そういえばスタンピードが起こるとなった時に、手当たり次第に助けを求める手紙を送ったな。
わかってる範囲で送ったけれど、そのうちの誰かか。
ボクの知っている兄弟子や姉弟子は自分勝手な人ばかりだと思っていたが、心配に思ってくれている人がいたと思うとちょっと嬉しい。
「それでその人は今どこに?」
周囲を見ても、それっぽい人はいない。
「彼女は他にやる事があると言って、そこにいる猿を置いていった」
ウルグが首を振って一方を示した。
クリエの足元に握りこぶしサイズの小猿がいた。猿は何かを持っている。
近づいてその猿に目をやると、猿が手に持ったそれをボクに差し出した。
それはジャガイモだった。
「ジャガイモ……てことは、ウルグさんを助けたのは……」
「あぁ、芋の賢者セリーヌ様だ。あの方はスティミス領で暮らしていたらしい」
セリーヌ・ペコ。彼女は芋の賢者として有名だ。飢餓と闘うために、師匠であるラザムと協力していくつもの芋の新種を作り上げた。
特に有名なのはジャガイモ。それは世界中で育てられて、多くの人を飢えから救った。
もっとも、あの人はそんな高尚な考え方では動いていない。
ただの芋好きだ。自分の趣味のために生きているだけだ。
「セリーヌ姉さんが……そうだったんですね」
でも、おかしいな。
ボクはスティミス領に手紙を送った覚えがない。
確かにセリーヌ姉さんに手紙を送ったが、もっと別の場所に送った気がする。
どこだったか思い出せない。疲労で頭が働かない。
「セリーヌ様は、この小猿についていけば、クリエ様と合流できると言われた。確かに私は合流することができたが、そこから先どうすればいいのかわからなかった」
「それはそうでしょうね」
ボクは、子猿が突き出したジャガイモを手に取って魔力を流す。
猿が持っていたジャガイモは普通の芋ではない。
「キキ」
ボクが手に取った芋を見て小猿が声を上げた。
魔力を流したことで芋の調理が完了したのだ。
「それは?」
「蒸し芋です。あの人は一見ジャガイモだけど全く違う品種をたくさん作っていて、そのうちのひとつです。魔力を流すだけで調理が完了する。たぶんそれだけじゃないかと……」
言っているそばから、小猿はボクの手から芋を奪い取りパクリと口に入れた。
「まあ」
クリエが嬉しそうに、そして驚いたように声を上げる。
そんなクリエを無視して、小猿が一心不乱に芋をパクパクと食べた。
「いやぁ、ジル君! 久しぶり! 君の親愛なる姉弟子のセリーヌだよ」
食ベ終わった小猿は、掠れた声で喋りだした。




