スプリンクラー
ズィロがボクを見た時、脳裏に炎が浮かんだ。
炎はブワリと周囲に広がり、視界が真っ赤に染まった。
「俺はなぁ、心でさえ焼ける。まぁ、しばらく遊んでろ」
視界を覆う炎の向こう側で、ズィロが言った。
グワリとめまいがする。
意識が精神世界に無理矢理に移行していく。
「このままではクリエが……」
酷いめまいの中、歯をくいしばり、ズィロに飛びかかる。
だけど、それも予想通りだったらしい。
ハッハーと楽しげにズィロが笑う。
「やっぱりジル坊はすげぇな。だけど少し足りない」
飛びかかるボクをヒラリと交わしてズィロが続ける。
「まぁ、アレだ! お前の敗因は、過信だ! 聖女の魔法を代理行使した反動はお前の想像を超えてダメージを残した!」
笑うズィロに、ボクは彼に肘打ちされて倒れ込んでしまう。
「ジル!」
クリエが叫んだ。それと同時にズィロが一瞬で彼女へ接近する。その勢いのまま、彼女の顔面をわしづかみにした。
「悪いな。お前の首が必要なんだ。焼くのは心だけ、痛みを感じねぇよう全力で焼い……」
ズィロがクリエに語っている途中、ボクの心は強制的に自分の精神世界に飛ばされた。
キャンバス……フローリングの床にノートパソコンが置いてある部屋に。
『ゴォォォゥゥゥ……』
炎が不気味な音を立てていた。フローリングの床が燃えている。
精神攻撃を受けているのだ。この炎を消さなければ、ボクはまともに現実世界で戦えない。
キャンバスに異常が発生している間は、現実へ意識を持っていけない。
だけれど、対処手段は限られる。
この手の精神攻撃は、キャンバス内にある品物で対処しなければならないのだ。
今回であれば、火を、室内にあるもので消さなくてならない。キャンバスはその人の生き様によって作られる。火があるからといって、消化のための品を即興で用意できない。
「転がって……自分の身体で消すしかないかな。かなり間抜けな話だけど……」
投げやりにぼやいたときだ。
『ジリリリリリ』
ベルの音がキャンバス内に鳴り響いた。
そして直後、雨のように水が降り注ぎ火を消していく。
「ひょっとして、ベルの音は火災報知器で、この水は……」
いやいや、考察は後だ。
すぐに現実へと意識を戻さないと。
目を細め、意識を戻すと、横たわったクリエをズィロが見下ろしていた。
「どういうことだ。魔法が効かない? 聖女の力か……検証が必要か……」
彼は目を細めて、何かを考えていた。
注意はボクに向いていない。考える事に夢中だ。
チャンスとばかりに彼の背後から殴りかかる。
『ガッ』
ギリギリでボクの拳をズィロが受け止めた。
本当にギリギリ。惜しすぎて、ボクは「チッ」と舌打ちする。
「危ねぇな。復帰が早えだろう、ジル坊!」
驚愕した表情でズィロが放った言葉と共に、狭い室内で格闘戦が始まる。
「どうやった? 死なねぇように手加減はしたが、すぐに戻れるほどじゃなかったはずだ」
「魔法がショボいんじゃないのか?」
殴り合いは続く。お互いに決定打が放てないまま、ガッガッという鈍い打撃音のみが響く。
膠着状態はしばらく続くと思った時だ。
「ようやく隙を見せたな」
ズィロの背後にビカロがいた。彼は逆手にもったナイフをズィロの首筋に這わせる。
「お前は全力で焼いた筈だ!」
「黙れ!」
怒りの形相をしたビカロが、ナイフでズィロの首をかっさばく。
コポリと音がした。そしてズィロの首から血が溢れる。
「グッ」
ズィロが首を押さえる。彼の指の隙間から赤い血が漏れて床にポタポタと落ちた。
そんな状況のまま、ズィロはヨロヨロとボクの脇をすり抜けて窓まで進んだ。
だけれど彼はそこで力尽きたようにへたり込む。
ズルリと壁に背をつけて、うなだれて。
「俺の心に火はつかない」
ビカロが言った。
彼はナイフをお手玉するように持ち替えて言葉を続ける。
「俺は晴れた日が嫌いで、キャンバスにはいつだって雨が降っている」
「なるほど……、で、聖女、お前は?」
俯いたままズィロがクリエと問いかける。
問われたクリエは両手をついて、ゆっくりと立ち上がる。
身体はフラついていたが、顔をあげた彼女の目はしっかりしていた。
「私のキャンバスに火はつきませんでした。何処までも続く真っ白な世界は火を排除するようです」
「で、ジル坊はどっちだ? 雨か、不燃物か?」
結構苦しそうなのに、ズィロの興味は魔法が効かなかった理由にあるようだ。
学者肌のズィロらしい。というか大抵の賢者はそうなんだけど。
「スプリンクラーだ」
「は?」
「最初にベルが鳴った。すぐに気がついた。あっ、これ、火災報知器だって」
「あ? 何を言っている?」
「それから、雨のように水が降り注いだ。そこでふと思ったんだ。あっ、スプリンクラーだって」
「だからなんだって聞いているんだ! なんだ、スプリンクラーって、答えろ」
ズィロが怒鳴った。相当イラついている。
「スプリンクラーってさ、結構、お金がかかるんだって。水を通す送水管が必要だからね」
「わざとか?」
ズィロがチラリと顔を上げて言う。ボクがなかなか本題に入らないので怒っているのだ。これは……予想通り。ずっと馬鹿にされていたから軽いお返しだ。
「多少はね。スプリンクラーってのは、消火する装置だよ。ボクのキャンバスには、火を消すための仕組みが備わっている。そう、スプリンクラーがある限りズィロの魔法は効かないんだ!」
「ざけんな! なんでピンポイントで俺の魔法が対策されてんだよ!」
口から血を飛ばしつつズィロが叫んだ。
悔しそうな様子だ。
「残念だったね」
「で、そのスプリンクラーってのも前世の知識から来ているものか?」
「多分ね」
「そうか……。お前はともかく残り二人の対処法を知れたのは悪く無い」
やられっぱなしだった仕返しをしたつもりだが、なんだか妙だ。
激高し感情的になったはずのズィロは、すぐに真顔になった。いや微笑んですらいる。
どうしてコイツ……こんなに余裕なんだ?
「おいっ! 増援だ!」
ズィロと話をしていると背後から大声がした。
振り返ると出入り口そば、クリエの背後に男がいた。筋骨隆々な男のうち、長髪の方だ。
彼は敵が増えた事を訴えている。
まずい。
先ほどは50対400の戦いだった。400の兵は、処刑釘の魔法で混乱させたってのに、増援があれば力を取り戻してしまう。
ズィロはビカロにまかせて、外の軍隊を叩かないと……。
「増援? 800の?」
「そうだ! ビカロ! もう持たない! 籠城か逃げるかだ!」
すでに対処は検討済みか。
だけど籠城しても後は無い。ボロボロの塔では長持ちしない。だから、いままで戦える人は外で戦い、塔は治療と休憩に使用していた。
逃げるか?
いや、厳しい。ボクが軍を叩いて、ビカロがズィロを押さえて、それから……。
「おおぉぉぉぉ!」
考えていると、外から歓声があがる。
そして。
「さてと」
ズィロがスッと立ち上がった。彼の首元は黒く変色している。喉の傷は焼いて塞いだようだ。
「弱っていたのは芝居?」
「あぁ。ジル坊をここに足止めするための芝居だ」
二ヤリと笑ったズィロは言葉を続ける。
「建物は、その完成をもってある程度の魔法耐性を持つ。だけど、破損すれば耐性は失われる」
「何をするつもり?」
「こうやるんだよ」
ズィロはパンと壁に手をつけた。その直後に、彼の手を起点として壁中に火が広がる。異様なスピードで部屋が燃えていく。
「皆、逃げろ!」
反射的にボクは叫ぶ。
「さぁ、ジル坊、どうする? 建物は燃えて籠城は出来ない。外にはスティミス軍が待ち構えていて娘を狙う。当然、俺も娘を殺すつもりだ」
ズィロは窓から外へ飛び出す。
「俺と戦って、軍が娘を殺す結果か! 軍をジル坊が押さえている間に、俺が娘を殺すか……好きな方を選ばせてやるよ!」
外に飛び出たズィロが叫んだ。




