戦端は開かれた
暗闇の中、喧噪の音が聞こえる。
遠くの方から聞こえる音は次第に近づいてくる。
続けて、ボクは体を上下に揺さぶられる。ガクンガクンと。
なんだ? なんだ?
さらに続いてパチンとボクの頬を叩かれた。
「痛っ!」
バッと目を開くと、目の前に必死な顔をしたビカロがいた。
「起きたか?」
「痛いよ」
ボクは訳も分からず抗議する。
「ようやく目を覚ましたか。いいか、よく聞け。とりあえず質問は無しだ」
「わかった」
「今、スティミス伯の軍に攻撃を受けている」
「え?」
「敵の数は約400。さらに第2派として最低800。俺たちは70人。戦えるの50人だ。スティミス伯の目的は、クリエさんの首……つまりは命だ」
クリエを殺す?
スティミス伯爵領はソレル公爵の軍から攻撃を受けているとは聞いていた。
でも、わけがわけがわからない。
スタンピードが終わったのは昨日の今日だ。ボクが少し寝ていたとしても、時間は経っていないようだ。それはビカロの恰好などからもわかる。
「どうして、クリエを狙うんだ?」
「ソレル公の攻撃に対して、スティミス伯爵は王に助けを求めた。見返りにクリエさんの首を条件とした。王座を狙える者は生かしておけない……ってやつだ」
「いつのまに……」
「お前は気を失っていたんだ。丸2日。フェンリルが言うには、聖王の武器を呼び出した反動と、敵の攻撃によるダメージが原因だ」
言われてみると体中が痛い。
「ごめんなさい」
クリエが俯いたまま謝罪を口にする。
だけれど、彼女が悪いわけじゃない。何もしていないのに殺すって話をする方が悪い。
「クリエが謝る事じゃないよ」
体の節々が痛むが、無理をおして立ち上がる。とりあえず体がどれぐらい動くかを確認する。屈伸したり、手をグルグルと回してみる。
「どうだ? 行けるか?」
「とりあえず何とかなりそう」
獄中で伸びた髪を後にまとめて縛りながら答える。
状況を聞いた後で、あらためて外の物音に注意をむけると、確かに戦闘の音だ。
「スティミス伯爵っていえば、ウルグさんは?」
「彼は戦う前に交渉に出向いたまま戻ってきていない。そのまま戦端は開かれた」
「フェンリルは?」
「俺ならここにいる」
部屋の隅で寝そべって目を閉じたままフェンリルが答えた。
「クリエを助けるって言ったじゃないか?」
この状況で他人事なフェンリルにムカついた。
「これは人の戦いだ。幻獣は関われない」
だけれどフェンリルは、ボクの反応はお見通しとばかりプイと顔を逸らした。
「そうだったね」
残念な事だが、幻獣は人間の組織同士の争いには関与しない。
野生動物を殺すガスや、度を超えた火計など、自然に大きな影響が出れば介入するが、基本的にはノータッチだ。
山賊をはじめとしたならず者相手ならば助けてくれるが、正式な戦闘行為には加わらない。
何が正式な戦闘行為にあたるかは、互いがルールに基づいた争いをするかどうかにかかっている。
そのルールは古い時代に女神様が決めた事で、ひとつが宣戦布告。
最低限の合意をしたうえで、戦端を開くことを宣言するのだ。
でも……あれ?
「今回はスティミス伯の軍と、監獄の人が戦うって形だけれど、クリエを団体の指導者にしなければよかったんじゃないの? そうすれば人の争いからクリエは除外される」
だからボクは素朴な疑問をビカロに投げた。
向こうが宣戦布告をしたとしても、クリエは客人であり、指導者は別だと答える手だ。
「その手が……あったな」
ボクの言葉に、ビカロはアッと小さく口を開いた。
それから申し訳なさそうに言葉を続ける。
「そういえば、そうだな。すまない。いきなりの事だったので、そこまで頭が回らなかった」
急の事だったから、細かいところまで頭が回らなかった……か。
確かにスタンピードからわずか数日で、こんな状況になっていたら細かい条件設定まで頭が回らないとしても仕方がない。
「ところでここは?」
「監獄の内壁部分にあった塔の中だ。ほとんど壊滅状態だった監獄で、比較的無事だったところになる。他は駄目だったのでここに逃げた」
状況確認をしていると、すぐ足元で剣撃の音が聞こえた。
敵の侵入を許したらしい。
この下の階でなんとか食い止めている。
「わかった。ボクは早速迎撃に行くよ」
身体の節々は痛いが、笑顔を作ってビカロとクリエに伝える。
クリエは「うん」と小さく答えた。
「頼む……下の階は俺が行くから、外からジル・オイラスは叩いてくれ」
ビカロは窓に顔をやって言った。
「了解。空中から敵をかき回してみせるよ」
「頼りにしている。贅沢をいえばお前をもうすこし回復させてやりたかったが、本職じゃないのが辛いな」
苦笑したビカロが、短剣を腰に差して階段へと歩いて行く。
確かに自然治癒にしては切り傷などが無い。
あの金竜にぶん殴られて、もっと酷いダメージを受けいたはずだけれど、跡が残っていない。
「これで十分だよ。ありがと」
ボクは飛翔の魔法と空中歩行の魔法を自らにかけて窓から外に飛び出す。
まず状況の確認だ。
上空から全体を俯瞰してみる。
敵の中に空を飛べる勢力はいない。
塔は、破壊された監獄のガレキに囲まれてかろうじて建っていた。
積み上がったガレキは足場を不安定にしていて、この塔を偶然できた要塞に仕立て上げている。
だけれどビカロの言うとおり、10倍近くの兵力差がある。装備も段違いに敵が有利。練度も高そうだ。
というか、こちらはぼろ切れを着た囚人がほとんどだ。
あちらが優勢になるのも当然だろう。
だけれどこちらもまだまだ戦える。その理由としては、ひとつがルルカンとチャドの存在だ。
使い魔達はボクが寝ていた間も一騎当千の活躍をしてくれていた。
それから数名の戦いに長けた人たち。
特に、赤髪の筋骨隆々の男と、髪の薄い男。スタンピードでも活躍してくれた二人が指揮官兼戦士として戦っているのが大きい。
この二人がいなければ囚人達は全滅していただろう。
だけれど全員随分と疲労していた。塔の根元には横たわっている人も多い。
「カァカァ」
周囲の状況を確認していると、チャドがボクの姿を見つけるなり、ヨロヨロと飛んできてその塔の屋根に横たわってしまった。
「あとはボクに任せて。しばらくお休み」
ボロボロになるまで戦ってくれたチャドに労いの言葉を投げた。




