10年
気がついたら、真っ白い床の部屋にいた。無秩序に乱立する白い石板。どこまでも続くシンプルな世界。
すぐにここが自分の精神世界……キャンバスだと気がつく。
どこからか声が聞こえた。
おそらく男の声……おごそかという言葉が似合う声だ。
「後をみろ」
振り返ると白い壁があった。壁には巨大な金色の魔法陣がはりついている。
魔法陣はとてもゆっくりと回転していて、その輝きは眩しいほどで、ボクの体を金の光で照らしていた。
「それを使え」
声には感情がなかった。
「これは?」
「あれを滅ぼす魔法だ。聖王の力……神の力をもって怨敵を排除せよ。時間が無い。急げ」
改めて魔法陣を見る。
神々しい輝きに思わずひるんでしまう。何の魔法かしらないけれど、これを使うだけで問題が解決するなら使うさ。どうせ他の手は無い。
「了解」
ボクは魔法陣へと手を伸ばす。
それは手が魔法陣に触れる直前だった。
「ちょっと待て」
先ほどの声とは違う男の声が聞こえた。反射的にボクは手を引っ込める。
若い男の声だ。
今度の声は、声のした方向もはっきりとわかった。だから声がした方を見た。
そのときになって初めて、真っ白いキャンバスが変容していることに気がついた。
真っ白い床は、ある部分を境に違う風景となっていた。
フローリングの床が延々と続く空間だ。それから質素で青いオフィスチェアが置いてあって、男が座っていた。
灰色でフード付きのパーカーに、藍色のジーパン。フードを深く被っていて顔は見えない。わずか口元が見えるだけだ。その口は笑みを浮かべていた。
「誰だ?」
「話すと長くなるし理解もできない。そして、お前は理解しようともしないだろう。そうであっても、オレの言葉に嘘が無い事は理解できるだろう?」
男は言った。雑談でもするような軽い口調だ。
初対面なのになれなれしいと思った。
だけれど彼の言葉は本当だと感じた。いや、感じたというより理解した。
自分でも理解できないが、妙な確信があった。
「それで?」
「リントヴルムは全てを語っていない。それはフェアじゃない」
リントヴルムが……語って……先ほどの声の事か。
わからないことがどんどん増えるな。
「それで?」
「結論を言うと、その魔法を使うとお前は消えてなくなる。それは使って直ぐではないが、いずれお前を消し去るだろう。もって2年くらいだろうか」
男はフーッと息を吐いて、言葉を続ける。
「そしてリントヴルムはそれを狙っている。喰らい続ける泥を始末すると同時に、お前をそそのかして自滅させる。姑息な考えってやつさ」
自滅? ボクが死ぬ?
この魔法を使ったら死ぬ?
だけど、魔法を使わないとあの場は切り抜けられない。
そういえば……。
「ボクはあの魔物に踏み潰されたはずだ……」
「いや、ギリギリで助かっている」
ボクの疑問に男は即答した。訝しげなボクに男が言葉を続ける。
「間一髪で体勢がくずれたのさ。不安定だった足場が幸いしたんじゃないか」
「で、この魔法を使うとボクは死ぬ……だから使うなって、お前は言いたいわけだ」
「違う。全て理解したうえで判断すべきだってことさ。だいたいリントヴルムのやり口が気にくわない。良いことばかり言って、混乱しているうちに決断を急かすのはフェアじゃない。それは詐欺師のやり口だ」
男は背もたれに身体を預けた。静かなキャンバスにギィという椅子の軋む音が響いた。
使えばボクは死ぬ……か。
「それでもいいよ。魔法を使って、この場を切り抜けることができて、クリエが幸せになるのなら」
「どうかな。この場で死んでおいたほうが彼女にとって幸せかもしれない。今なら事故で亡くなった可哀想な女性で終わる」
可哀想な女性。
まるで不幸な運命が確定済みと決めつけている。彼女が何をしたというのだ。
彼女はボクと違って……違って……なんだっけ。いや、それより話が見えない。
「何が言いたいんだ?」
「断言しよう。彼女が助かっても未来は暗い。考えてみろ、彼女はなぜ監獄にいた? どうして外の世界を知らない?」
「だから何が言いたいんだ?」
意味の分からないことを言われて苛立ってしまう。
タチが悪いことに、彼が嘘を言っていないと理解出来てしまう自分が嫌だ。
「知り合ってそれほど時間は経っていないだろう? 数年もすれば忘れるさ。あーあ、あの時は残念だった……ってね」
「そうは思わない。それに何かあっても助けるよ。ボクは……大賢者ラザムの弟子だから」
「わかった、わかった」
男は笑った。言うだけ無駄だったというリアクションだ。
それでも彼は不機嫌そうではなかった。抑えられない笑いといった笑みで、彼が喜んでいるとわかった。
「お前の出した答えを尊重しよう。リントヴルムを責めたが、オレも話せない事があるわけだし、ある意味お互い様だな」
男はそう言って、右手をスッと動かして金色に輝く魔法陣を指し示した。
ご自由にどうぞって感じだ。
ボクはようやく魔法陣に手をついた。ペタリと白い壁に手をつく。魔法陣は輝いているのにヒンヤリとした感覚があった。
2年か……。
ボクはどうやって死ぬのだろう。
不思議と恐怖は無かった。
妙な好奇心と、それからクリエと別れる事になる寂しさがあった。
ボクはゆっくりと魔法を詠唱する。
魔法陣は煌々と輝いて眩しい。現実味がなかった。
「10年だ」
男が再び口を開いた。
ボクが魔法陣に手をつけたまま視線をやると、彼はオフィスチェアにグッと身体を預けたままの姿勢で、開いた両手を前へつきだしていた。
「10年?」
「お前が消えるまでの時間、オレならその時間を延ばすことが出来る。おそらく10年程度は伸ばせるだろう。それで、お前の望みが叶えばいいな」
男は椅子から立ち上がった。
彼の背後に小さな一本足の木製テーブルがあって、そこにノートパソコンが置いてあると知った。
彼はノートパソコンをトンと叩いて言葉を続ける。
「自由に使え。オレからの餞別だ」
男はゆっくりとボクに背を向け歩いて行く。それに連動するかのように、白いキャンバスが、彼の立っているフローリングの床へと塗り変わっていく。
「キャンバスが塗り変わっていく……」
「これが本来の姿だ。白いキャンバスは、ラザムが葬送士の知識で塗り替えたもので、すでに役目を終えている。お前が聖王の魔法を使ったときに」
そして最後に片手をあげて「よそ見せずに魔法を使えよ。せっかくだから景気よく全力で! オレからのアドバイスだ」といって男は消えた。
ボクは魔法陣に向き直る。
フローリングの床から立ち上る真っ白い壁と魔法陣。
金色の魔法陣はますます輝き、ボクは詠唱を終え魔法を完成させる。
「軍器創造……聖王の武器を作る魔法だコレ」
魔法が完成し、魔法陣の正体を知った時、辺りを光り包むほどの輝きとなっていた。




