はじまりのおわり
スタンピードが始まった?
そんなはずは無い。チャドを使っての見回りは欠かしていない。
強力な魔物の接近は無かった。斥候虫の羽の色もまだ真っ青になっていなかった。
「見落とし?」
すぐさま、独房の片隅でパンをつついているチャドに服従の魔法をかける。
外の状況を確認するためだ。
窓から飛び出たチャドは急上昇し、監獄全体を見下ろす。
「ストームジャイアント」
そこには予想外の存在がいた。嵐の巨人。
嵐や雨、そして雲。天候現象に姿を変える事ができる魔物だ。
それがいた。
直前まで、魔物などいなかったはずの監獄に。
ストームジャイアントの生態から推察するに、雲に姿を変えて接近していたのだろう。
あれは雲や霧に姿を変えることができる。
白いマントをまとった真っ青の巨人。虚ろな目、半開きの口。海のように真っ青な顔に、不気味に赤い目が光っていた。
それが立っている。監獄を取り巻く二重の壁……その内側の壁の歩廊に。
看守や囚人達……全員が、突如出現した巨人に面食らっていた。
内壁の上、足場の不安定な場所でストームジャイアントは棒立ちしている。
だけど壁は巨体を支えきれない。
すぐに壁はガラガラと崩れ、ストームジャイアントは付近の壁や建物を巻き込んで仰向けに倒れた。
見た目通り、あまり知能は高くないらしい。
ストームジャイアントは現状が分からず手足をバタつかせ、付近の壁を破壊した。
いまのうちに壁の上に備え付けられているバリスタを使え。狙い撃て!
そう考えて、ボクは周囲の状況を再び見やる。
だけど、反撃どころではない酷い状況が眼に映った。
「カァ!」
ボクは門に向かって叫ぶ! だけれど、鳥のチャドの身体では、言葉が出せない。
門にいた看守や人は混乱していた。真っ青な体躯をしたストームジャイアントから逃げようとして、とんでもない暴挙に出ていた。
「逃げろ、逃げろ!」
彼らは口々に叫び、門を開けようとしていた。
壁面を登ってバリスタへ向かわず、金属の門をあけようとしていた。その向こう側にも、沢山の魔物が潜んでいるにもかかわらず、開けようとしていた。
「なんで? 魔物が外に集まっているって知っているだろう!」
ボクは独房で叫ぶ。
焦りのあまり、チャドとの同調を切ってしまった。
落ち着け、落ち着け、そう自分に言い聞かせ再びチャドの視界を借りる。
ほんのわずか目を離した隙に、門は少しだけ開かれて、魔物の侵入を許してしまっていた。
「ジル坊!」
ボクを呼ぶ声に気がつき、チャドから独房へ視界を移す。
そこには異変に気がついたフェンリルがいた。
「もう監獄は駄目だ。フェンリルはクリエと一緒にここから逃げて」
ボクに何かを言おうとしたフェンリルへ、言う暇を与えず訴える。
「よかろう。して、どこに逃げる?」
「ウルグと相談して! なんとかして安全な場所に!」
「わかった。ちょうどクリエ嬢はウルグと一緒だ」
「ルルカンは?」
「あれも一緒だ」
そしてフェンリルは去って行く。
「ジル坊も状況をみて独房から逃げろ」
「わかっている。大丈夫だよ、ボクは」
こんなやり取りを残して。
そしてボクは再びチャドの視界で状況を確認する。
ストームジャイアントは、かんしゃくを起こした酔っ払いさながらに、考え無しに暴れていた。
その巨体は、監獄の城壁と同程度の高さで、腕を振り回すだけで石作りの物見塔に穴が空いた。
そして、開け放たれた門からは、多種多様な魔物がなだれ込んできていた。
ゴブリン、ホブゴブリン、ダイアウルフ。
どこに潜んでいたのか。相当な数だ。
「ボクがチャドやルルカンを使って狩っていたのは、ほんの一部だった。いわゆる、つまりは、焼け石に水ってわけだ」
ボクは自嘲する。
それと同時、大気が再び震えた。
よだれをたらし、視点の定まらない表情のストームジャイアントが空に向かって叫んだのだ。
理解のできない言葉だった。おそらく巨人族の言葉だ。
言葉は魔力を帯びていて、効果はすぐに判明した。
「あれはワイバーン……ハーピー……眷属を呼んだ?」
空を浮いていた雲が禍々しく色づき、魔物の形をとった。
それらはチャドより上空に出現していて、一斉に降りてくる。
さらなる魔物の襲来に、監獄の混乱は増していく。
壁の上で、弓を構えて応戦しようとしていた看守も、すでに戦意を失っていた。
それどころではなく、恐慌状態になった人達は、高い壁の上から飛び降りていた。
「チッ」
思わず舌打ちする。
看守達のこともあるが、敵はチャドも標的にしていた。
クリエの居場所を確認する間もなく、チャドに襲いかかる魔物の相手をしなくてはならない。
もっとも、チャドはボクの使い魔となっている。
つまり普通の鳥ではない。
凝縮した力の解放をチャドに命じる。茶色いカラスといった外見はそのままに、サイズが大きくなる。
大きくなるといっても3倍程度の大きさで、襲いかかるワイバーンやハーピーに比べれば小さい。
それでも十分だった。
飛びかかる魔物の群れをみて、ボクは笑みを浮かべる。
『サクッ』
まるで果物を包丁で切り分ける時の音だった。
すれ違いにワイバーンの喉を切り裂いたチャドの爪音は、簡素な音をたてた必殺の一撃だった。
同じ音は、ハーピーなど他の魔物に対しても鳴った。
その度にチャドへと襲いかかった魔物は墜落した。
爪は魔力で強化されていて、大抵の魔物は相手にならない。今回もそれを証明したわけだ。
まとわりつく面倒事を振り払い、ボクは再び周囲の状況を確認する。
「いた!」
クリエを見つけた。混乱の中でもよく目立つフェンリルの側にいた。
彼女は看守や囚人達と一緒に、比較的魔物が少ない方角へと逃げているようだ。
「あっちは任せておいても大丈夫だろう」
ボクはとても気が楽になった。
「あとはクリエが無事に逃げられるように……」
ホッとして気楽になったボクは、チャドをストームジャイアントへと近づける。
「こいつを何とかしなきゃね」
独房の中でボクは苦々しく笑う。
そしてあほ面をさげた真っ青な巨人へとチャドを突っ込ませた。




