世界の形
今日は平和だ。
鉄扉に背を預けたボクはのんびり軽作業。
クリエのために、魔物避けのお守りを作っている。
もちろんスタンピードまで時間は無い。
監獄の周囲には目立って魔物が増えているし、斥候虫の羽はほぼ青い。
それでも焦らず対応するしかない。
ボクもチャドを使って斥候虫を狩り、意気揚々と近づく他の魔物にも対処している。
ルルカンは意外と好戦的で、普通の猫がネズミを狩る感覚で魔物を狩っている。一昨日なんかは、クリエが朝起きたら斥候虫の死骸が枕元にあって、ルルカンが自慢げに座っていたらしい。
彼女が驚いていると、ルルカンは立ち上がり死骸を咥えてから、後足でピョンピョン跳ねて部屋を出て行ったという。
ちなみに、その後はボクの所にやってきてポイと斥候虫の死骸を捨てていった。
斥候虫はプレゼントにならないと思ったらしい。
それはともかく対応方針は定まっていて、準備も着々と進んでいる。
予想外の事態は発生せず予定通りだ。
その上、ここ数日入り浸っていたビカロも、うだうだうるさいフェンリルもいない。
そんな中、クリエと雑談して過ごしている。
うん。今日は良い日だ。
「ウルグ様は罪を許されたのね」
鉄扉の側に座って傷薬の下ごしらえをしているクリエが言った。
「そうだね。もともとウルグさんは悪い事していないらしいよ」
ボクは鉄扉に背中を預け、座って作業しながらクリエに答える。
倒したまま放置していた斥候虫の羽を、ルルカンの爪で裂いていく。
ルルカンの腕をつまんで赤い羽に這わせていると、スッと簡単に裂けていって楽しい。
もっともルルカンは嫌なようだ。
ほんの少し力を緩めると、スルリとルルカンは手を引っこ抜き、鉄扉の隙間からクリエの方へと逃げていった。
「邪魔をしてはだめですよ」
鉄扉の向こうでクリエが楽しげな声をあげた。
しばらくして「ゴロゴロ」とルルカンが鳴いた。
「でもウルグさんは大丈夫なのでしょうか? 戦争になりそうなんでしょう?」
ルルカンの「ニャニャ」という鳴き声に紛れてクリエが質問する。
「争いはいつもどこかで起こっているからね……よくあることだよ」
「そうなのね。でも、どうしてソレル公爵様は攻めるのでしょう……」
「多分、スタンピードのせいだよ」
「でも、ジル。スタンピードはスティミス領ではなくて、監獄が標的よね?」
「それは監獄が、王領の西端……つまりはスティミス領の直ぐ近くにあるからだよ」
「近くに……」
「クリエはスティミス領がどこにあるかわかる?」
「ううん……地理には疎くて。この世界は蝶の形というくらいしか」
クリエの言うとおりだ。
世界は蝶の形をしている。左上に向かって頭を向けている蝶。沈む太陽を追う蝶とも呼ばれる。
「そうそう。それで、スティミス領は左前羽に位置している。もっと細かくいうと羽の胴体よりだね。ちなみに胴体のあたりに王領があるよ」
「監獄は王領よね。ソレル領はどのあたりなの?」
「ソレル領は、左前羽の先端。公爵に相応しい大領地で……多分スティミス領の3倍くらいの大きさだよ」
「そんな領地の軍隊が……」
「今回は監獄にスタンピードが発生したからね、すぐ近くのスティミス領にも魔物が多数襲いかかるとソレル公爵は判断したんだろうね」
「魔物と軍隊が戦うから、今攻めると敵は少ないとソレル公爵様は考えた……ってことですか?」
「そういうこと。多分ね」
「なぜ、どなたも争うのでしょう?」
「王の力が弱くなって、どの領地も力を誇示し続ける必要があるから……らしいけど、お偉いさんの考えはわからないね。平和が一番なのに」
などと話しながら手はお守り作りを休めない。
ルルカンの爪で裂いて細い棒状の羽を編み込んで腕輪を作る。
硬く赤い羽根は、編みにくい。しかし、太陽の光を反射して赤く煌めく。完成すれば、ちょっとしたアクセサリーとして良い物になりそうだ。
「そうよね。争いがない方がいいですよね」
クリエの言うとおりだ。平和が一番。何もない日々を、こんな感じで工作でもして過ごしたい。
「スタンピードも……」
「あっ。ちょっとルルカン!」
突如クリエが大きな声をあげた。
「どうしたの?」
「ルルカンが、傷薬の材料を取ってどこかに……ちょっと追いかけてくるね、ジル」
慌てた様子でクリエが走って行った。
まったくルルカンのやつめ。猫は本当に思いつきで行動する。
それにしても、今日はスタンピードや諸々を除けば穏やかな日だ。
天気もいいし、ここ数日の喧騒が嘘のように、静か。
それというのも、ルルカンとチャドを使い魔として、斥候虫を狩りまくったのが大きい。
虫といえども、警戒心はあるようで、昨日からチャドを見かけると逃げるようになった。
おかげで壁の修理もはかどっているようだ。
「オーライ! オーライ!」
耳を澄ませると掛け声が聞こえる。
囚人達を使った壁の修理の声。看守へのアドバイスをした翌日から作業を始めたらしい。
自分の助言が役にたって良かった。
チャドを使って様子を見ると、壁を修理して、バリスタや武器類を外に向けている。
門は一つを除いて閉めきることにしたようだ。
そして、全体の指揮をしているのはウルグだ。
彼は釈放されたが、スティミス領から監獄に留まるよう命令されてしまった。
今後の処遇を検討中なのだとか。
スタンピードがあるというのに何をグズグズしているのかと、独房でウルグも憤慨していたそうだが、もっともな話だ。
といっても、怒りはすぐに静まって、今は看守達に命令しだしている。
どういう理由かはわからないが、看守達もウルグの命令には従っている。偉い人はどこでも偉いらしい。
そのおかげで、ボクは魔道書を手に入れることができた。
念の為、スタンピードに対処できるよう魔法を装備して欲しいとのこと。
こちらとしても願ったり叶ったりだ。喜んで魔法を装備する。
彼としては独房の囚人を、一時釈放すべきと主張しているそうだ。
さらに彼は、スティミス伯爵へと手紙をだした。
王に現状を訴え、囚人を含めた人達の避難を進言すべきという内容の手紙だ。
この進言が受け入れられれば、クリエも逃げることができる。
ウルグも避難民として監獄から脱出すればいい。
「クリエ、逃げられたらいいな」
ボクはお守り作りをしながら呟く。
今日は静かな中でのんびり過ごせる……と考えていた。
だけど……。
「オオオオオ!」
強力な魔力を伴った雄叫び。
独房の中からでも、大気が震えているのがわかる。
「魔物……声?」
静かな日常は終わった。




