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獄中賢者は侮れない  作者: 紫 十的@漫画も描いてます
第一章 聖女を見いだす
32/101

閑話 太虚のジル

 夜の独房にポッと光が灯った。


「ほぅ」


 独房の主であるウルグが声をあげる。

 それから「明かりの神秘か」と言い、さらに「だが、深夜に音もなく訪れるのは感心しない。ビカロ」と言葉を続けた。


「あぁ。ただの神秘さ。神官の力があれば誰でも使える。驚くことじゃない。それで、これが手紙だ。ウルグさん」


 執事の姿をしたビカロは笑う。そしてクルリと巻いた羊皮紙の手紙を差し出した。


「確かに首尾良くいったようだ」


 静かに灯った明かりの中で、ウルグは受け取った手紙に目を通して言った。


「早馬は、明後日までには着くだろう。それで、ウルグさんは釈放になるだろうよ」

「驚嘆すべき速さだ」

「向こうは向こうで準備をしていたらしい。それからソレル公爵の動きもあった」

「ソレル公爵が、何を?」

「監獄の状況……それをソレル公爵は利用するつもりのようだ。公爵自身が軍を率いて動いているらしい」

「スタンピードで、スティミスの背後が脅かされる……と?」


 ウルグは世界地図を思い浮かべながら首を振った。

 自身の所属するスティミス伯爵領は、監獄と、ソレル公爵領に挟まれた位置にある。

 国力はソレル公爵領の方が遙かに大きい。公爵が本気なら勝てない。


「そうだろうな。スティミス領はちょっとした騒ぎだった。共通の敵が現れれば、それなりに団結するらしい。すぐそばでスタンピードが発生し、反対側にはソレル公爵の軍だ」

「そうか……良くない状況だな」

「先行きも良くない。おそらくソレル公爵だけじゃない。他の諸領も動きそうだからな。異常な数の斥候虫が予告するスタンピードに、世界中が興味津々ということだ」


 歴史上類を見ないスタンピードを前に、自分の事しか考えない諸領。そんな状況に、ウルグは溜め息をついた。

 だけれど、そんな諸領の一つであるスティミス伯爵領へ戻るしかない。


「いずれにせよ、監獄よりかはマシだろう。で、ジル殿はどうするつもりか聞いているかね?」

「さぁ。逃げるつもりはないようだ。あいつは平然としている。心配はクリエさんの事ばかりだ。フェンリルに、クリエさんの護衛を頼むくらいにね」

「ジル殿はここでスタンピードに備えると?」

「脱獄はしないらしい。そしてあいつは……いかなる状況であっても対処できると考えているし、その実力もある」

「実力か」

「そうだな……。たとえば、この独房を一つの器と見立てて敵を煮殺す程度には……。加熱の魔法で、だぞ。あのスープを温める時につかうあれだ」


 ウルグは言葉を失った。

 若い頃、失敗した給仕を助けるために、彼は大鍋を魔法で加熱したことを思い出す。

 血気盛んで、体力に満ちあふれていた当時でさえ、大鍋を一気に加熱することは大変だった。

 大鍋を一気に加熱するだけでフラフラになり、その後寝込んだほどだ。

 それ以上のことを、ジル・オイラスは簡単にやってのけたらしい。


「二つ名持ちの賢者……か」


 そしてウルグはなんとか言葉を捻りだした。


「ところで俺は太虚のジルという名前を知らなかった。有名なのか?」

「いや……私も知らなかった。賢者である事は間違いないが……無名であろう。もっとも、二つ名持ちであれば、実力者であることは間違い無い。有名とは言えぬ彼に二つ名があるということは、民衆ではなく彼の師匠である大賢者ラザムがつけた名であろうからな」

「大賢者ラザムか」

「私が知る限りにおいてだが、大賢者ラザムが弟子に二つ名を授けたのは、偉大なるギースボイド、そして博聞のジェイコフの二人だけだ」

「神秘によらぬ医術を確立したギースボイドに、世にある全ての書物を記憶したというジェイコフか。確かにそれに並ぶとなると、急にあいつが輝いて見えるな」


 そう言ってビカロがクックックッと声を殺すように笑う。


「何が可笑しい?」


 笑う彼をみて、ウルグが眉間に皺を寄せた。


「ちょっとした思い出し笑いだ」

「ところでジル・オイラスとは、お前から見て、どのような人物なのかね?」

「肩まで伸ばした黒髪、背丈は……本当に普通だな。低くもなく高くも無い。痩せてもいないし、太ってもいない。そして言葉使いは、平民のそれだ。言動の全てが穏やかなイメージだ……例えるなら気弱な羊飼い。外見は普通だ」

「外見は?」

「穏やかに振る舞っていても、その凶暴さがにじみ出ている……そんな感じがするんだ。例えるなら、狼が子犬のフリをしているような感じだな」

「子犬のフリをしても、狼の牙は隠せないか……」

「気分次第で殺されかねない。そんな緊張感が会話中に突如出現する。そんな男だ」


 ビカロは自身では気がつかなかったが、彼の声音には恐怖がこもっていた。

 小さな事だったが、それをウルグは見逃さなかった。


「ふむ。そうか……」


 薄暗い独房で、頷いたウルグは言葉を続ける。


「隠せぬほどの実力か。それならばスタンピードも怖くないのだろうな」

「だろうな」

「ところで監獄はどうだ? 斥候虫を前にして?」

「大混乱、いや恐慌状態だな。上から下までオロオロしていて統制が取れていない」

「上といえば……所長はどのような人物かね?独房から出た後、場合によっては相談せねばならぬ」

「あぁ、所長は不在だ。俺が調べ始めてから、ずっと監獄内にいない。とはいえ所長室の前には妙な兵士がいるし、詳細は不明だがね」


 ウルグは「急ぎ……独房から出ねばならぬ」と呟いた。

 それから沈黙があった。

 沈黙は「あと数日さ」とビカロの言葉があって終わった。そして部屋は真っ暗になった。

 しばらくして、ウルグはビカロが去った事に気がついた。

 心配は無いのだろうが、若者を見捨ててはおけぬ。

 独房に一人残ったウルグは心の中でつぶやいた。

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