閑話 最初の友人(クリエ視点・前編)
フェンリル様がやって来た次の日です。
「おい」
朝の廊下掃除中、看守のカイエン様に呼び止められました。
平べったい鼻と、大きな傷跡のある右目、顔の怖い看守様です。
「なんでございましょうか」
カイエン様が私を呼ぶのは、独房の掃除を命じる時です。
そして独房の掃除は、その部屋の囚人が死んだときだけです。
誰が死んだのだろう。
私には心当たりがありません。コクリとつばを飲み込み次の言葉を待ちます。
人が死ぬのは悲しい事です。
「お前は、今日から幻獣フェンリル様の世話番となる。世話番が、倉庫で寝泊まりするのは示しがつかぬ。図書室の奥をお前に与えるので、今日からそこで暮らせ」
「かしこまりました。荷物をまとめ移動します」
頷く私をみて、カイエン様が「フン」と鼻を鳴らして去って行きました。
びっくりです。私がお部屋をいただけるなんて……。
「なんだあいつは偉そうに」
私が驚いていると、背後から白い体躯をしたフェンリル様が現れました。
私の倍近い巨体をしたフェンリル様の青い瞳が、私を見下ろします。
さきほどまで、背後にはいらっしゃいませんでした。どこから現れたのか……幻獣様は不思議です。
「フェンリル様、おはようございます」
「早朝から掃除とは、どこぞのジル坊にも見習わせたいものだ」
「きっとお部屋の掃除をされていますよ」
「ジル坊なら寝ていた。腹を出して馬鹿面を晒してな」
私が「まぁ」と笑顔で応じると、フェンリル様が言葉を続けます。
「しかし、先ほどの男は偉そうだったな」
「カイエン様ですか? 看守様だから偉い人ですよ」
監獄では私が一番下です。だから皆さんお偉い方です。
「ふん。しかしてクリエ嬢は嬉しそうなのだな」
「お部屋をいただけることになったのです。えっと、フェンリル様のお世話番ということで……」
「あぁ、昨日、そう話をした。俺がしばらくこの場に滞在するにあたり、誰かれ構わず話をするのも怠いのでな、俺の付き人としてクリエ嬢を指名した」
「大役を任せていただけて嬉しいです」
「うむ。クリエ嬢は、ジル坊の友人だからな、ちょうど良い。さしあたってクリエ嬢の仕事は日に三度、調理場へ私の食事を取りに行くことだ」
「三度も?」
さすがは幻獣様です。一日に三度も食事されるとは。
「その程度、普通のことだ。さっそくだ……あぁいやいや、掃除のあとに、俺の朝食を取りに行け。俺はジル坊の部屋で待っている」
それだけ言って、フェンリル様は去って行きました。
掃除の後とは言われましたが、あまり待たせるわけにいきません。
私は掃除を急いで終えて、調理場へと向かいました。
「そこのテーブルだ。持っていけ」
フワリと良い匂いが漂う調理場で、料理長が入り口そばにあるテーブルを指さしました。
小さな丸テーブルに、白い立派なお皿にのった大きな肉がありました。
分厚い肉はじっくりと焼き上げられています。お皿を抱え上げた時に、焦げたバターの匂いが漂いました。ジュージューとお肉が音を立てています。ほのかに立ち上る白い湯気からも、焼きたてだと分かりました。
「それから、届け終わったら頼む事があるから、また来い」
立ち去り際、料理長が言われました。
私は「かしこまりました」と応え、大急ぎでフェンリル様へ肉を届けることにしました。
せっかくの焼きたてです。冷める前にお届けしなくてはなりません。それに料理長の頼み事もあります。今日は大忙し、だから走ります。走るけれど慎重に……です。
走った甲斐はありました。
最奥にあるジルの独房は少しだけ遠い場所でしたが、なんとか冷める前にたどり着く事ができました。
『カンカン』
息を整えつつ、鉄扉を叩きます。
「はいはいー」
いつものように陽気な声でジルが応えてくれました。
ジルの独房は不思議です。鉄扉から思いもよらないものが次々と出てきます。
薬のレシピに、ジャムたっぷりのパン、それから黒猫。
そしてとうとう幻獣様まで出てきました。
そんな幻獣フェンリル様に、食事を届けます。
「肉……あっ」
「うむ。悪く無い」
「ボクの分は?」
「カァカァ」
「にゃぁにゃぁ」
鉄扉の向こうは賑やかです。
ジルはフェンリル様が肉を一人で食べた事に怒っているようです。
『ガァン』
鉄扉が大きな音を響かせました。
うねるように震える鉄扉から思わず距離を取りました。
「ご苦労だった」
それと同時にフェンリル様が子犬のような姿で現れました。
鉄扉をくぐるときは、いつも同じ姿です。
「ジルは?」
「あいつなら鉄扉に足が当たって痛そうだった。何かあったのだろうな」
大丈夫かな。心配しつつ「そうなのですね」とフェンリル様に応えます。
「クリエ嬢はこれからどうするのだ?」
「次のお仕事をします。料理長から頼まれ事をするのです」
これから料理長の頼み事と、引っ越し作業があります。
それから廊下の掃除、次は独房の皆さんに食事を配って、洗濯に食器洗い。
やる事が沢山あります。今日は勉強が出来ないかもしれません。
「ふむ、せっかくだ。今日はクリエ嬢の仕事ぶりを拝見しよう」
指折り仕事を考える私に、フェンリル様は言いました。




