料理長の家で
籠をかかえ、深くフードを被ったクリエが微笑んだ。
ボクは籠の中で丸まる黒猫ルルカンごしに、そんな彼女の姿をみていた。
早朝の優しい日差しを背にして彼女はとても張り切っていた。
「なんだかジルと一緒にお出かけしているみたい」
同調をかけているルルカンに、クリエが言った。
彼女は街道を進んでいる。
料理長の家が目的地だ。
彼女と話をしながら街道を進む。
とはいえルルカンは彼女が抱えている籠に入っているので、その視界のほとんどは彼女の上半身と、背後に広がる青空だけだ。
「にゃ」
「一回鳴いたら、問題無い。二回鳴いたら、無事解決。三回鳴いたら、一度撤退……それから」
昨日、打ち合わせした内容をクリエが反芻する。
猫も鳥も言葉は話せないので、鳴き声の回数で意思疎通することにしたのだ。
そして、そんなことをしているうちに目的地へとたどりついた。
柵に囲まれた一軒家。
上空からチャドの目を通して見る家は、煙突のある赤い屋根の家だった。
料理長という立場は高いのかもしれない。
「あぁ、夫から聞いているよ。でもねぇ、本当に大丈夫なのかねぇ。変な事はしないでおくれよ」
ルルカンの耳に、料理長の妻の声が聞こえた。迷惑とも聞こえる怪訝な口調に、一気にやる気が失せてくる。
「きっと、良くなるお手伝いができます。えぇ」
対してクリエは穏やかな声で応じていた。しかし、彼女の持つ籠が震えていた。
「にゃ」
操ってはいるがルルカンはしゃべれない。元気づけようとしても、小さく鳴くだけでもどかしい。
「フフッ、ありがとう。ジル。がんばろうね」
それでもクリエの助けになったらしい。ボクにだけわかるように笑って見せたあと、彼女の震えは収まった。
「ジル。着いたよ。お願い」
少しだけ籠が揺れたあと、クリエが籠を軽く叩いて合図した。
ボクはルルカンを籠から飛び出させる。
そして、彼女の腕を駆け上がり肩に乗った。
真っ青な顔で、息の荒い少年がベッドに寝ている姿が見えた。
彼は立派なベッドのうえで、うずくまるようにしていた。
清潔なシーツと、メイドが二人いる状況から、大事にされていると思った。
「にゃにゃ」
ボクは少年を一瞥して、ルルカンを2度鳴かせた。
「え? もうわかった?」
クリエが驚いたようすでルルカンを見つめた。
彼女の顔がすぐ側にあるようで、ボクの顔が熱くなる。彼女の瞳に映るルルカンは、何処吹く風で、彼女の肩で窮屈そうに見えた。
「にゃにゃ」
もちろん、少年の症状を把握し、対処法も思いついたので二度鳴く。
「わかりましたので帰ります。対処方法はノーベル様にお伝えします」
クリエはそう切り出すと、簡単なやり取りをして足早に料理長の家を後にした。
料理長の妻は、終始怪訝な様子だったがクリエは自信満々に応じていた。
「にゃー」
ルルカンを鳴かせて終始応援していたが、家を去り際に、うるさい猫だねといわれてしまった。
ボクが頼まれていた案件だったら、助ける気も失せて帰っていたところだ。
クリエの優しさに感謝しろよと心の中で呟いて、溜飲を下げた。
少年の症状は簡単なものだった。
それは瘴気中毒。
ある種の魔物が放つ毒ガスのようなものに、身体を蝕まれたわけだ。
神官の治癒で治っても、根本原因が取り除かれなければ再発する。
根本原因さえ取り除ければ、薬は簡単なもので対処できる。
クリエが帰ってきたら、薬の作り方を教えることにしよう。
そして……。
ボクは瘴気の発生源を始末することにした。
チャドを操り上空から調べていく。
森の木すれすれを飛び、瘴気の気配を少しでも感じようと神経を集中させる。
時間がかかるだろうと覚悟していたが、すぐに瘴気の発生源を見つけることができた。
見つけたのはチャドだ。
チャドの心が地上の脅威に反応した。本能というべきか、一瞬でチャドの心を恐怖が支配する。
ボクは服従の力を強め、チャドの自我を完璧に掌握して、瘴気の発生源に近づくことにした。
「やはり斥候虫か」
予想通りの魔物を、料理長の家近くで見つけた。
外見は大きなカブトムシ。人間の膝丈程度の長さで、2本の角が特徴的な虫の魔物。
あとは禍々しい色合い。赤い体躯に、青い斑点。
それは「キキッ、キキッ」と、小さく鳴いていた。
「カァ」
すぐさまチャドで威嚇する。
自分より小さなチャドを見て、すぐさま斥候虫が襲いかかってきた。
バサバサとこれみよがしに羽を鳴らして、接近してくる様子は、奴の余裕を示していた。
弱いものに強い。師匠の教え通りの性格をしている斥候虫に安心する。
「さぁ、せいぜい粋がってろ。今日がお前の命日だ」
独房のベッドに目をつぶって集中しながら、ボクは余裕をもって呟いた。




