オーバーライド法その2
コロンとベッドに寝転んで、静かに目を閉じた。つづけて深呼吸をする。ゆっくりと。それから呼吸を自然なリズムに戻し、その回数を数え始めた。
しばらくすると、目を閉じて見える景色が一面の闇から変わっていく。フローリングの床が目に映り、遅れてやってくるのは自分が立っているという実感だ。
やがて、現れたのは延々と続くフローリングの床。
ボクの精神世界だ。
人は皆、心の奥底に自分だけの居場所を持っている。ボクにとっては、それがこのフローリングの床が延々と広がる不思議な空間だった。
だけれど、他人と大きく違う点がある。
この部屋には、必ず机とパソコンが置いてあることだ。
他の人が持つ精神世界にこれほど異質な物は無い。
この異質な物はいつだってボクの世界に存在する。それはいつ訪れても変わらない。
静かに歩いて近づく。パソコンは訪れる度に姿をかえる。
今日そこにあるのは、無骨な四角いブラウン管のディスプレイだった。
どうやら、体調や心の揺らぎによって、その形を変えるらしい。
『ブゥゥン……』
静かな精神世界で、ブラウン管はとても小さなうなり声をあげる。
風切り音も響いている。内部を冷やすファンが回る音だ。
どうにも今日のパソコンは荒々しい。
以前は薄いノートパソコンだったこともあるし、もっと前にはドットの荒い小さなディスプレイ付き電卓もどきだったこともある。
パソコンはくすんだ青いテーブルにのっている。椅子は青い背もたれ青い座面。見た目のよろしくない品々だ。
ゆっくりと机の前のオフィスチェアに腰掛けたボクは、ブラウン管の画面を見つめた。映っているのは、見覚えのあるゲーム画面。霞がかった前世の記憶にある、やり込んだシミュレーションゲームだ。
画面上にはタイル状のマップが広がっており、情報を集め、資源を収穫し、町を支配下に置く。資金や開発力をつぎ込んで町の発展と支配地の拡大をめざす。
前世で夢中になったあのシミュレーションゲームだ。
記憶をたどりながら、右手にマウスのうえに軽くのせて、静かに動かす。
ディスプレイに映る情報を次々とクリックしていく。カチカチと、ディスプレイは小さな電子音を立てながら情報を表示し続ける。
かつて遊んだゲームとは違うのは映る情報が、現実とリンクしているということだ。
白い雲に覆われた六角形のタイルで表示された地図の中には、実際にボクがソレル領で見た森や街道、街並みがデフォルメされて映っていた。
『カチッ』
タイルをクリックすると、軽快な音につづき、現実の情報が記された。
小さな文字で「大工が何人いて、街を再建している」などといった具合に。
町の情報にざっと目を通した後、マウスをくいっと動かし、地図をスクロールしていった。
マルキアスと話をしていて思ったのは、このパソコンの画面でゴーレムを調べられるのではないかということだ。
「そういえば、そうだった」
だけれど一瞬でゴーレムは調べられないと気がついた。
すっかり忘れていた。
パソコンの画面でわかるのは知っている場所だけ。行ったことがある場所だけだった。
訪れた場所に偶然でもゴーレムが表示されていればと思ったが、そこまで都合よくはいかないらしい。
「牢屋にいるから、これ以上は地図も広がらないのがなぁ」
こうなってしまうと、快適とはいえ獄中の生活が忌ま忌ましい。
「仕方が無いか」
呟いたボクは、クルリと椅子を回転させて、背後をぼんやりと見つめる。
広がるフローリングへと。
延々と続く明るい板床の空間をぼんやりと眺めながら、ボクは独りごちた。
上を見れば白い天井。右を見れば、ずっと続くフローリングの床が闇へと消えていく。
「あれ?」
ふと妙な事にきがついた。
すぐさま体をひるがえし、前のめりにディスプレイへとかぶりつく。
熱をもった光が顔にあたる。
気のせいではなかった。
映る画面に明らかに訪れた記憶のない場所が、いくつかタイルとして表示されていた。
画面を見つめつつ、自分の記憶について自問自答する。間違いない。
「森の中にある大岩? 行った覚えのない場所だ!」
椅子から降りて、パソコンの周りをウロウロしてみる。パソコンはテーブルの上にぽつんとあるだけ。ディスプレイにも、パソコンにも、電源コードは無い。
とてもシンプルな構成だ。
考えつつウロウロすることしばらく、バッとディスプレイに視線を移し「使い魔か」と声を出す。
「使い魔が訪れた場所も、パソコンの地図に表示されるんだ」
気づいた瞬間、ボクは精神世界から抜け出し、指をピッと鳴らした。
「チャド」
呼びかけに応じて現れたのは、鳥型の使い魔。空を舞うチャドだった。
色は茶色、外見はカラス。体躯は大型犬くらい。
ボクにとって二体いる使い魔のうちの一体――鳥の使い魔、チャドだ。
チャドはゆっくりと近づいてきた。
ボクは彼に向かって、いつものように服従と同調の魔法をかけようとした。
だが、かける直前で考えを変え、今回は同調の魔法だけにしておいた。
同調の魔法を使えば、チャドの視界を“借りる”ことができる。
いや、正確には「見せてもらう」に近い感覚だ。
服従の魔法は、対象を支配し自在に操れるが、チャドのように魂を分け与えて契約した使い魔であれば、願いを伝えるだけである程度は意思を汲んでくれる。
「遠くを見てきてくれ」とか、「東に向かってくれ」とか、その程度でいい。
いちいち細かい動作を指示するより、自由に飛ばせた方が今回の目的には有意義だと思った。
「とりあえず適当に飛んで、ゴーレムを探してくれ」
ボクはそう、チャドに呼びかける。
もちろん、彼は言葉を理解しない。だけれどボクの“思い”はきっと伝わる。
なぜなら、使い魔とは魂を分け与えることで成立する存在だからだ。契約する前はどこにでもいる、ただのカラスだったチャドも、今では立派な使い魔となった。
飛行速度は人間の目で追えないほどに速く、足の爪は鉄板すら引き裂くほどの力を持つ。
ただし、リスクもある。チャドがやられれば、魂が繋がっているボクにも大きなダメージが返ってくる。
チャドにとっては成長と強化しかない“美味しい契約”だが、ボクにとってはそれなりのデメリットもある。
それでも、チャドは頼もしい。
空を自由に飛び回り、情報を集めてくれるその存在は、外に出られないボクにとって極めて心強い。
そして今回も、ボクの意図はしっかりと汲み取ってくれたようで、これまで一度も飛んだことのない空域へと自由に翼を広げてくれた。
チャドの目に映る空の下には、森、谷、ところどころに現れる草原が広がっていた。
こうして眺めてみると、ソレル領の森は思った以上にバリエーションが豊かだ。
魔物の住む一帯、農村が所有する段々畑など、まるで絵画のような風景が次々と現れる。
情報収集が目的だったはずだが、眺めているだけで楽しくなってくる。
ボクはさらに同調の精度を上げるために、再びベッドに寝転がって目を閉じた。
視界全体がチャドのものと入れ替わる。
彼の目は、高所から地上を驚くほど鮮明に捉える能力を持っていて、自分の目で見る風景とはまるで異なっていた。
そんな空の旅をしばらく続けていた頃、「そろそろお腹が空いたな」と感じ始めたその時、 遠くの森の中で、たくさんの白い鳥が一斉に飛び立つ光景が目に飛び込んできた。
青空を背景に、白い鳥の群れが舞い上がる。
一枚の絵のように美しい、印象的な風景だった。
「なぜ飛び立った? 鳥が」
思わずもらした独り言に続き、しっかりとした意識をもって「あの場所に向かってくれ」と呟いた。
その願いに反応したのか、それともチャド自身が興味を持ったのかはわからないが、チャドはすぐさま目的地へと向かう。
大きな羽ばたきにより、一気に上昇し、地上が小さくなった。
そこから一直線へと進む。
予感はあった。
でも、的中すると、やはり嬉しい。
鳥たちが飛び立った原因。それは、そこにいた巨大な“白い人形”だった。
無造作に木々をなぎ倒しながら進むその存在は、森の中でも際立って目立っていた。
大木と肩を並べる巨体。まるで不器用な彫刻家が巨大な石を削って作ったみたいに、粗雑な人型。
顔も筋肉もすべてが曖昧で、だが、その体はしっかりと地面を踏みならし、まるで癇癪を起こした子供のように木々をなぎ倒していく。
白いゴーレム。何度か噂は聞いたことがある。
ゴーレムは本来、魔法道具の一種で、所有者の命令に従って行動する。
それが、こんな暴走をしているとは……。そもそもゴーレムは貴重品だ。
なぜこんな場所に、しかも野放しにされているのか。
ともかく、現地点の確認はできた。
あとはリーリに話して、対策を練るだけだ。
うまくいけば、精神世界のパソコンにもこのゴーレムが表示されているはず。
そうなれば、以後も居場所を正確に把握できるかもしれない。
「お疲れ、チャド。あとは好きに飛んでいいよ」
そう呟いたボクは、同調の魔法を切って、瞑想へと入る。
目を閉じれば、いつものように精神世界のフローリングの床が広がっていた。
早歩きでパソコンの前へ向かう。
先ほどと同じく、ブラウン管のディスプレイにはゲームのような画面が表示されていた。
思った通り。
ここまで予定通りにことが運び気分がいい。
画面には、きちんとゴーレムのアイコンが表示されていた。
先ほど見た場所から、さほど離れてはいないようだ。
おそらく、一通り暴れて力を使い果たし、一休みしているのだろう。
ゴーレムというのは、周囲の魔力を吸収して動いている。
長時間動けば、その分エネルギーが切れて停止する。
「このゴーレム、もう少し詳しく調べられるのかな?」
マウスを動かしてゴーレムのアイコンをクリックする。
するといくつかの情報ウィンドウが表示され、そこからぼんやりと正体が見えてきた。
所有者:レッザリオ
つい先日、交戦した武器商賢者のレッザリオだ。
となれば、あの白いゴーレムは、彼が言っていた“実験中の兵器”の一つかもしれない。
「まったく、物騒なものを放置してくれたものだ」
ディスプレイ上にフキダシの形で表示された説明文を読み進めていると、画面の隅に「オーバーライド」というコマンドが現れた。
物は試しとばかりに、コマンドをクリックする。
「カコン」
空き缶でも落としたような軽い音がして、ゴーレムのシルエットに、赤い円形のメーターが表示され、それがスルスルと減っていく。
やがてすべてのゲージが消えたとき、表示された所有者の名前が変わった。
所有者:自分
思わず、息を呑む。
今までの流れはほぼ予想通りだった。
だが、この最後の「結果」だけは、完全に予想を超えていた。
何の苦労もなく、 白いゴーレムを、手に入れてしまった。




