東京次郎 【02 ヒューマンドラマ】
東京は大きな街だった。
住んで働いて、でも、東京を知ったような気にはなれなかった。
交通機関を使いこなせるようになっても、東京で暮らす人の気持ちは全くわからなかった。
こんなに無機質な街で寝て、起きて、ごはんを食べて、怒ったり泣いたりして暮らしている。
何を考え、何に悩み、どんなときに怒ったり泣いたりするんだろう。
会社の人たちは、自分を隠すことがうまくて、付け入るスキがない。
心が折れそうだった。
無防備に友達と心も体も裸を見せ合っていた数年前が懐かしかった。でも、そんなもの学生時代への単なる郷愁だ。
大人になるためには、この小さな山も越えなければならない。
東京という大きな山も越えなければならない。
緊張の中で、救いだったのは仕事の面白さだった。
就職した会社は大きなメーカーで、家電から火力発電所まで作っていた。
そんな会社で、配属された先は広報の部門だった。
下っ端の自分に与えられた仕事は、外に向けて発信されるあらゆるリリースの校正、チェックだった。
文章の間違い、数値の間違いのチェック、不適切な表現の指摘、より丁寧な言い回しへの変更・・・文章に追いまくられる日々だった。
しかし、嫌じゃなかった。
「集中力あるねー」
そうやってからかってくるのは、四十代の木島さんだ。
昔は超バリバリ働く超エリートだったらしいが、メンタルを病んでコースを外れたらしい。
そして、いまはチームリーダーとなり、僕の直属の上司となっている。
人生いろいろあるようだ。チャンチャン。
「文章もうまいし、君は当たりだね」
「当たり、ですか?」
ちょっとうれしかった。
「前の子は、嫌だってさっさと異動しちゃったからさ」
仕事内容ではなく、ヤル気のない木島さんと組まされたのが嫌だったのでは?
当たり前だが、そうは思っても言えない。
「来月からいろいろ書いてみる?」
「え?」
「まずは、新商品のリリースからいってみよっか?」
「あ、はい!」
大きな声が出た。
プロセスしてるようで、これまたちょっとうれしかった。
「いい返事だ。がんばってね」
背の高い、かなりのイケメンだったであろうになぜか独身の木島さんに肩を叩かれ、胸の中がじんわりと滲むように熱くなった。
あれがヤル気だったんだなと、今ではわかる。