お三の人柱伝説 【02 ファンタジー】
冷たい。
潮が満ちてくる。お三の足首は水に浸かり、白い着物の裾が水を含みはじめている。
針で刺すような海水の冷たさがお三の神経を尖らせる。目の前に広がるのは夜明け前の、茫々たる大海だった。
これを埋め立てるために、自分は人柱になったのだ。
そのことに後悔はない。恩人である勘兵衛の力になり、命をなくすなら本望だ。それに、お三はもうこの世に未練はなかった。というか、生きていく目的がない。
恋人を喪い、その仇を討ったいま、家族もいないお三を生かすものは何もなかった。
昇り始めた太陽が、さっきまで真っ黒だった海をみかん色に染める。きれいだと思った。その明るさに目を細めるお三の腰のあたりにまで、もう水がきていた。
あっという間だった。
こんなふうに潮の流れが早いから、このあたり一帯は埋め立てても埋め立ててもすぐに流されるのだ。
「神さんなんかのせいじゃねえ。このあたりの水の流れのせいだ。おまえが人柱なんかになってもなんにもなんねえ。頼む、お三。そげに無茶なことやめてくれ」
勘兵衛に強く説得されたが、お三の決意は固かった。普段は人の言うことをよく聞く自分だが、こうと決めたらひかない頑固なところがある。
死んだ恋人も自分のそんな性分を持て余し、よく苦笑いしていた。
勘兵衛は最後は涙まで流してくれた。
勘兵衛は大金持ちなのに、人並みの、いやそれ以上の優しさを失っていない人間だった。
勘兵衛と出会えたことは本当に幸運だったと思う。
強い風に包まれたと思ったそのとき、何かにふわりと包まれた。その感触は優しくも、力強かった。覚えのある感触だと思い、お三ははっとする。
「お三」
耳元で懐かしい声がした。お三は小さく息をのみ、目をつむった。そして、怖々とゆっくり目を開く。目の前には喪った恋人の懐かしい顔があった。
「勘兵衛さん」
仇討ちを手伝ってくれた勘兵衛は、亡き恋人と同じ名前だった。お三は運命的なものを感じ、勘兵衛に頼ったのだった。
すっかり水を含んで冷たくなった着物を絞りあげるように、勘兵衛が強くお三を抱く。勘兵衛の体が火のように熱いのは、自分の体が冷え切っているせいだろうか。
「ああ、やっと一緒になれる」
波のたてる激しい水音の間に、お三は勘兵衛の声を聞く。
私もうれしいよ、勘兵衛さん。
お三は目をつむり、意識を失っていく。眠るように水に覆われながら、勘兵衛の温もりを感じ続けているお三の顔は柔らかくほどけていった。