003 どうやら彼女は離婚してくれないみたいです
――誰かが、私の名前を呼んでいる。
優しい声。穏やかでいて、そして凄く心地が良い。
細くて柔らかな手が私の頬を優しく撫でているのが分かる。
ああ、そうか。ここはきっと天国なんだ。
お父さん。お母さん。
貴方達の娘は誰かに嫁ぐことも無いまま、短い人生を終えました――。
……。…………。『嫁ぐ』?
「……きて。……起きて、ユウリ」
「はっ!!!」
バチンと目を開けた私は上空から私を心配そうに見下ろしている女神に会いました。
……じゃなくて!!
「ふふ、ようやく目を覚ましましたね。ビックリしましたよ。急に気を失ってしまうから」
女神、じゃなくてシャーリーレイド・オルタナティヴさんは微笑みながらそう言いました。
私はベッドから起き出し周囲を見回します。
どうやらあの執事のお爺さんも神父さんも居ないようです。
というか、ここは一体何処でしょうか。
「あのー……」
「大丈夫ですよ。ここは私の自宅です。あの後、大変だったんですから。ここまで運んでもらうのに村のギルドの皆さんにも手伝ってもらったりして」
ここに至るまでの経緯を丁寧に説明してくれるシャーリーレイド・オルタナティヴさん。
……いい加減名前が長いから以後はシャーリーさんと呼ぶことにしよう。
まあ、とにかくあの罰ゲームみたいな結婚式は終わったみたいだ。
ということは、もう私はここにいる理由などない。
「……シャーリーレイド・オルタナティヴさん」
「はい。何でしょうか」
「単刀直入に言います。……離婚してください!」
ベッドの上で土下座のポーズをとる私。
頭まで下げる必要は無いのかも知れないけれど、最初に結婚相談所のマッチングで、私がシャーリーさんの履歴書を確認しないで結婚を申し込んじゃったのが原因の発端であることは間違いない。
ここは素直に謝って、離婚が成立したらもう一度コウジロウさんに頼んで、今度こそイケメン年下男子とマッチングしてもらって――。
「お断りします」
「あー良かったぁ。本当に今回はごめんなさ――断る?」
一瞬、世界が止まりました。
え? なんで? 断るってどういう意味??
「はは……聞き間違えかな。ええと、もう一度、言いますね。私と、離――」
「離婚は致しません。ユウリは、私がずっと探していた使役者なのですから」
「どどどどうしてですか!? 女性同士なんですよ!!? 結婚とか、どう考えてもおかしいじゃないですか!!!」
「おかしくなんかありませんよ。女性同士でも愛は育めます。ちゃんと、私がリードしますので」
「そういう問題じゃない!? え? ていうか、シャーリーレイド・オルタナティヴさんは――」
「シャーリーとお呼び下さい」
「うっ……。し、シャーリーさんは、その、女の人が、す、好きなんですか?」
「いいえ。私は男性の方が好みです。そういう趣味は御座いません」
「あ、そうですか。良かったぁー……じゃなくてぇ!!」
とうとう私はベッドから立ち上がります。
だってなんかさっきから話が平行線なんだもん!
離婚してくれないとか、想定外なんですが!!
「今日から私とユウリの新婚生活が始まります。まずは徐々に愛を育んでいって、今夜には合体ができるように致しましょう。初夜はとても重要な儀式ですから」
「ちょちょちょちょ……! 待って! 待ってよぅ、ホント……。心の準備が……いや心の準備とかじゃなくて! 『おかしい』って言ってるの!!」
「? 私のリードがまずかったでしょうか?」
「リードの話じゃないの! リード一旦置こう! ああ、もう……!! そのちょっと寂しそうな上目遣いとか今いらないから!! 男子にやってそういうの、男子に!!」
「殿方はこれで一発で落ちてくれたのですが……」
「そらそうだろうね!!! ……あー……もうなんか、喉が痛くなってきた……。水飲もう……」
これはもう、完全に埒が明かないパターンだ。
ここは一旦水を飲んで落ち着いて、それから相談所に行ってコウジロウさんに事情を説明するしかない。
……でも相手が離婚を拒否した場合の解決法って一体何があるんだろうか。
お金、とか? いやいや、今の私にそんなお金があるはずも無いし……。
「アイスコーヒーで宜しいですか?」
「あ、はい。お願いします」
台所まで辿り着いた私だけれど、自分の家じゃないので勝手が分かりません。
ていうか広すぎ、このリビング。キッチンも馬鹿でかいし、魔導冷蔵庫とか何個あるんだろうこれ。
……もしかしてシャーリーさんてお金持ちなのかしら。
そういえばあの執事のお爺さんも『オルタナティヴ卿の御令嬢』とか言ってたよね……。
……オルタナティヴ卿。
うん。あれ? オルタナティヴ卿??
「……つかぬ事をお伺いしますが」
「はい。何でしょう」
「えーと、シャーリーさんって、あのオルビス皇国の高官で最高位のベルガー・オルタナティヴ卿となにか御関係がありますか?」
「はい。ベルガーは私の父です。それが何か?」
「……」
「?」
再び、世界が止まります。
そして徐々に足が震えてきました。
ついでに目の前がだんだん真っ暗になってきた気がします。
「アイスコーヒーをどうぞ」
「……」
「ユウリ?」
――パタリ。
「あら。また気絶を……」
そのまま私は本日二度目の気絶をしたことは言うまでも無く。
【結婚】使役者と行使者が契約を結び、互いに協力し合い永遠の伴侶となるための誓いを交わす事。
【離婚】結婚した両者の合意の元、婚姻を解除する事。婚姻が解除されると、それまで愛の育みにより培った熟練度は0に戻る。