4話:謀略。
「見てみろ、ケネス。マイレディの謁見だ」
謁見の間の下座で名だたる貴族達の影に隠れるように佇むエミリィの婚約者ダニエル・スレイドは、得意げに視線を前に向けた。
王座にゆるりと座す女王の足元で、エミリィがこの上なく優雅にお辞儀を披露している。
「女王陛下を前にしても臆することがない。あれでデビュタントと信じられるか?」ダニエルは顎をあげ、「なかなかのものだろう?」と背の高い異国の雰囲気を身にまとった男に話しかけた。
男は切れ長の目元を僅かに動かし、
「ああ、確かに度胸が据わっているな。女王を前にして動じない者なんて、社交界にどれだけいることか。さすが次期エヴァンス女伯爵。堂々としたものだ」
「だろう? さらに麗しい。性格もなかなか可愛らしいんだ。商売の才能も秀でているのにくわえて、愛らしい。これほどの女性などこの国にエミリア以外いないさ。まさしく女神だよ」
恋をするとこうも饒舌になるものなのか。
無駄口を叩かないのが売りであるはずのダニエルが、まるで流行の戯曲の台詞を語る俳優のように瞳を輝かせ、婚約者を褒め称えた。
「……ダニエル、考えを改めるよ。俺が間違っていたようだ。エヴァンス伯爵の令嬢、しかも商売敵の娘を娶ると戯けたことを言っていると思ったが、認めるほか無いな。あのレディほどに、お前の結婚相手に相応しい女性はいないだろう」
「そうだろう、そうだろう。お前なら分かってくれると思った。我が親友ケネス・ベナーニ」とダニエルは男――ケネス・ベナーニの肩を叩く。
「婚約式には是非来てくれ。来週の日曜を予定している」
「来週? 急だな」
「あえてそうしたんだ。俺の立場とエミリアの身分に言いがかりを付けたがる者もおおいんだよ。他の男から横槍が入る前に、公表する。この社交シーズンが終わるまでには結婚するつもりだ」
女王への挨拶を終えたエミリィが、会場の片隅にいるケネスに気づき、かすかに頭を下げる。
ダニエルは満面の笑みを浮かべ、それに応えた。
仕事の時には決して見せない商売仲間の姿に、ケネスは両眉を上げる。
”冷徹な経営者であるスレイド家の後継者ダニエル・スレイド”であったはずだ。
(社交界デビューしたばかりの小娘に腑抜けにされたのか。ひどい様だ)
相好を崩すその男がスレイド商会の総領とは。
それに結婚という人生の一大事を軽々しく決めていいものなのか。
「この夏中にか? であったのはつい最近じゃないか。さすがに早過ぎないか? 急くと事を失うというし、一度冷静になってみたらどうだ」
「俺は冷静だぞ、ケネス。……今がその時だ。俺は一刻も早くエミリアを妻にしたい。確かに時間は無いが、ぬかりなくやるだけだ。それでお前はどうなんだ? まさか独身主義とかではないだろう?」
「そんなご大層な主義は持っていない。まぁいつかはと思ってるが……。俺はこの国で結婚するのは難しいだろうな。愛人にするならまだしも、夫にしたいなんていう女性がいるはずもない」
「おいおい、お前みたいなハンサムで金も持っている男が何言ってるんだ? 二十七で結婚の兆しも無かったのは、極東に三年もいて社交界と疎遠だっただけだ。本帰国が決まって腰をすえれば、令嬢なんて入れ食いさ」
「だといいけどな」
ケネスは何の表情も変えずに言い放った。
親友が言い切る理由をダニエルも分かっている。
その出自ゆえ、だ。
ケネスの父と母は正式に婚姻した関係ではない。
――つまり私生児である。
この国で身分のある者や富裕層では、既婚者が愛人を囲うことは珍しくなく、ケネスの母も上位貴族の何某に囲われた女性の一人であった。
ケネスの母は決して語ろうとしなかったが、伝え聞いたところ、商隊の一員として首都を訪れていた年若い母を、妻をもった貴族の男が“かどわかした”のが始まりであったという。
中年男が若い女との間に強引に作った関係。
その歪な二人の関係は長く続くことはなく、けれども皮肉なことに結果はもたらした。
それがケネスであった。
祝福された夫婦ではない両親の元に生まれたケネスは、父親の身分が高い故に、存在は秘され、父親からケネスという名のみを与えられただけで、母親とともに市井に放たれた。
(結果的にそれでよかった)
私生児として本妻の下で卑下され育てられるよりは、平民として自由に生きた方が幸せだ。
(何よりもこの姿で狭い貴族の世間で生きていくのは息が詰まる)
父の特徴よりも母の姿を受け継いだケネスは、この国の貴族のように透き通る白い肌ではなかった。
浅黒い肌、そして黒い瞳に波打った黒い髪。
一目で分かる白人と黒人の混血。
ケネスの場合はそれだけではない。
ナイフで切ったような特徴的な涼やかな目元は、東洋の血も流れていることを示していた。
母親が黒人と東洋人の血を宿す異邦人であることの証。
白い肌と淡い瞳が大半のこの社交界にあって、ケネスの存在がどれだけ異質なものであるか。生き難いものか。
子供でも分かることだ。
この父親から愛されることの無い不幸な子への神の与えた慈悲は、多種民族の混血から成せられた恐ろしいほど美貌と明晰な頭脳であるといえるだろう。
ケネスとしては代償として許される範囲だと思っている。
「俺は母を誇りに思っている。異国の血を持っていたとしてもな」
「お前のご母堂は立派な方であることは間違いない。商売人としても女性としても一流だ。関わりの無い者が何を言おうが気にする事は無いさ」
「母は確かに立派な人だ。それは認める。ただあの父親と恋に落ちたことだけが失敗だったがな」とケネスは自嘲した。
「ケネス……」
「そんな顔をするな、ダニエル。お前は国内外で商売を手がけているから視野が広い。俺みたいな人間なんて、この世の中では山ほどいるというのは、身を持って知っているだろう? だから寛容にもなれる。だがな、この国の狭い世間の凝り固まった上流階級や貴族に、そんな気概があるとは思えん。あいつらが見ているのは……俺の背後にある金だけだ」
母方の祖父母から受け継いだ遺産と自ら商売を開拓したその稼ぎで、ケネスの資産は相当なものだった。一般人には無名であっても同業界で知らぬものはいないほどだ。
経済的にジリ貧状態の身分だけは高い貴族からすれば、なんとしてでも手に入れたい“婿”である。金さえあれば、出自も姿も問題ない。
おかげで成人し妻を娶る年になったその日から、縁談の話は事欠くことはない。
ただ、花嫁候補もその親たちも、皆が皆、眼差しに軽蔑の光をともし隠そうともしていなかったが。
「そんなことはないさ。お前自身を見てくれる女性もいるさ、絶対に。……ああ、いいことを思いついたぞ。お前が愛し、お前を真に理解し愛してくれる相手と結婚することができたなら、スレイドの新大陸の貿易ルートを、ケネス、お前にやろう」
「は? ダニエル、何をいってるんだ? 商売と俺の結婚相手を天秤にかけるとか、ひどい戯言だ」
「俺は本気だぞ、ケネス。俺も商人だ。損になることはやらない。充分スレイドに利はあると踏んでるさ。なぁ、挑戦してみないか?」
「冗談じゃない。いい加減にしろよ、ダニエル」
「イヤか? じゃあこうしよう。お前が勝てば新大陸の貿易路を、負ければ一生俺の下で働く。これはお前の仕事仲間としての命令だ。受ける気になっただろ」
商売をする者にとって、スレイド商会お墨付きの新大陸での販路を手に出来るというのは、なかなかに魅力的だ。
「……まったく酔狂すぎる」
ケネスはまんざらでもない風に顎に手を添えた。
「人生には刺激も必要だろう?」
ダニエルはデビュタントたちのほうへ視線を向けた。
女王への謁見が終わり、列を成して控えの間に退出していく。
美しい婚約者の後ろを黒髪の乙女が続く。
(あれは確か……)
エミリィがぼやいていた親友、ではないか。
ダニエルは口角を上げ、ぽんっと手を叩いた。
「あぁでも女性を口説くことになれているお前に、何の条件なしでは賭けにならないよな。最初から俺の負け確定じゃないか。それじゃあ面白くないな。……ケネス、一人、気になる女性が居るんだ。その令嬢と恋をして結婚できたらお前の勝ちだ。どうだ、いい考えだろう?」
「決めた相手と? お前、正気か?」と呆れたように応えながらも、ケネスは断ろうとはしなかった。
鼻先に吊り下げられた餌は、芳しすぎる。無碍にする気にならない。
「それで、その令嬢の名は?」
ダニエルは口元に挑戦的な笑みを浮かべる。
「我が婚約者殿の親友、ウェザリー伯爵令嬢アリアナ・ゴールディング。今年デビューのデビュタント。世間知らずでちょろいと思うなよ。……レディ・アリアナは鉄壁の騎士に守られたシュロップの女王だからな」
読んでいただきありがとうございます。
宮平です!
今回、ヒーローでてきました。
ケネスです。
スコットランドのケルト人に由来する名前で、ハンサムや火から生まれたというような意味があり、父親がスコットランドをモデルにした地方出身だからケネスと名づけた、という設定です。
出自ゆえに、ちょっと腹黒いかもしれません。
ちなみに姓のベナーニは母方のものです。
エミリィの婚約者ダニエルがエミリィのことをエミリアと呼んでいますが、エミリィは愛称でエミリアが本名になります。
最後になりましたが、ブックマーク・PVありがとうございます!
とても励みにしています。
では次回もお会いできることを祈って。
追伸:他にもいろいろ書いています。
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