11話:私生児。
アリアナの母は臍をかんだ。
舞踏会が終わった後も甘く夢見るような表情をしていた娘を警戒せねばならなかったのだ。心のどこかから警鐘が鳴り響いていたというのに。
何故気にもしなかったのだろう。
取り返しのつかないことになる前に、動くべきだったのだ。
「アリアナ・アレクサンドラ・ゴールディング。いいこと、あの方と係わりをもってはいけないわ」
「あら、お母様。ベナーニさんは確かに平民かもしれないけれど、富裕層にいらっしゃるし、紳士よ。貴族かそうでないかで、交友関係を決めるだなんて、今の時代に合わないと思うわ。ベナーニさんのどこが問題なのですか?」
「確かに、あなたの言うように、ベナーニさんは富豪で紳士でしょう。でもね、だめなのよ。そこではないの。混血であることや彼の所属する階級が問題があるわけではないわ。あの方は……」
「シャーロット」新聞に視線を落としていた父親が顔を上げ、母親を制した。
「いらないことは言わなくてもいい」
母親は渋面をつくり、「あのね、アリアナ。とにかくダメよ。ベナーニさんはいけないわ」と顔を左右に振った。
「どうしてですか、お母様。納得いきません。第一ベナーニさんから結婚を申し込まれたわけでもないですし、私も結婚相手として望んではいません。友人としてお付き合いしたいだけなのです。もしかしてただの友人としてもお付き合いすることもいけないと?」
「友人としてもだめよ。理由があるのよ。ねぇ、あなた」
助けを求めるようにアリアナの母は夫であるウェザリー伯爵を見た。
「アリアナ。どうしてもベナーニ氏と係わりたいのか?」
「ええ、気の置けない友になれそうなの。博学でいらっしゃるし素敵な人よ。見聞も広くてお話を窺うだけでもとても楽しい方なの」
「たった一度、ダンスを踊っただけの相手だというのに、なぜそこまで評価するのだ。悪人であるかもしれないではないか」
「これといった理由があるわけではありません。直感です。顔を合わせた回数は問題ではないのではないですか」
根拠も無い自信を纏わせ、アリアナは言い切った。
「全く、その自信はどこからくるのだ」
たった一人の娘だからと甘やかし世間を報せずに育てたことが失敗だったのかと、伯爵は腕を組み目を閉じた。
(日ごろ我がままを言うことがないアリアナが、そこまで望むということは、本気で親しくなりたいのだろう)
だが、相手が悪い。
あのケネス・ベナーニだ。商売で極東に赴任したと聞いていたが、戻ってきていたのか。面倒なことになりそうだ。
ウェザリー伯はしばらく考え込み、
「……分かった。そこまで言うのならば、ベナーニ氏とは友人として付き合うことは許そう。ただし、節度を持ってお互い紳士淑女として振舞うんだよ。それ以上はだめだ。いいね、お前が望むことも、相手から望まれることも許さない」
「お父様、ありがとうございます。でも、結婚相手にはならないというのに、そこまで心配なさるのですか?」
身分がある者の結婚は、親の決めた相手とするものであるから、そもそもケネスとの結婚は端からありえないのだ。
親しい友人、例えその先にある秘密の恋人となれたとしても、結婚相手が決まるまでの“間に合わせ”にすぎない。
「ベナーニ氏は特別なのだよ」
(ベナーニさんが?)
特別?
父の政治家としての現役時代は、女王の信頼篤く、高い階級の人間ではあるが、平民とも対等に係わり民衆からの支持も高かったと聞く。
その父が平民のケネス――富裕層に属する一人の男性をここまで毛嫌いするのには、何か理由があるはずだ。
「訳を教えてくださいませ」
「一言でいうなればな、そうだな。……相応しくないからだ。ウェザリー伯爵家は女王陛下の忠臣、いや代々王家に仕えてきた家柄だ。ベナーニ氏の父は貴族だが、母親は異邦人。つまりはこの国では平民で、私生児だ。我が家とはつりあわない」
(ベナーニさんが貴族を父にもつ私生児?)
平民であるだろうとは思っていたが。
貴族の私生児だとは。
知らなかった。
でも、どうして父がケネスの出生をこれほど詳しく知っているのか。とても私的なことだというのに。
「お父様はどうしてベナーニさんが祝福された存在ではない事を、ご存知なのですか?」
「……この件は社交界では周知の事実なのだよ、アリアナ。ベナーニ氏が私生児だということは、長く社交界に居る者ならば知っている。彼の出生は当時かなりのスキャンダルになったのだよ」
(スキャンダルに?)
男性貴族が妾を囲い子を産ますことなど、そこら中であることだ。決して珍しいことではない。
人口に膾炙するということは、かなり高い爵位持ちの相手か想定外の相手である場合のみだ。
(ベナーニさんのお父様が有名な方なの? それともお母様が? もしかして両方?)
だからといって……。
気付いてしまった感情を否定することもアリアナには出来そうになかった。
「いいね、アリアナ。あの男とは必要以上に親しくなってはいけない。せめて知り合い程度でとめておくんだ」
「そんな」
(無理だわ)
だって今すぐにでもベナーニさんに会いたいんだもの。
あの方の顔が見たい。
黒い瞳に……見つめて欲しい。
この感情を知ったのは初めてだけれども、エミリィや本から教わったことで間違いは無い。
(好きになってしまったんだわ)
異性として。家族に対しての愛情とは違う高鳴りを感じる。思い出すだけで、眠れないほどに。
「三人とも、その辺にしませんか? もう十分でしょう」
成り行きを見守っていたらしい長兄が、腹に据えかねたのだろう。両親と妹をたしなめた。
朝食は一日で唯一家族全員が揃う場だ。
そんな大切な時間に、両親と妹の言い争い――それも異性を巡る言い争いなど聞きたくないというのも道理だ。
「そろそろ食事をしませんか? せっかくの卵がさめてしまう。最高の状態で準備してくれたシェフに、不義理をすることは、我が家の家訓に反します」
これ以上ここで口論するのは得策ではないだろう。
アリアナも両親もそれ以上は語ることなく、いつもと同じ穏やかさをとり戻すと、少々冷めてしまった食事を口に運びはじめた。
読んでいただきありがとうございます。
私生児(非嫡出児)のことについて少し。
この物語では私生児とは、正式な夫婦関係以外で生まれた子のことを示します。
私生児には財産の相続権はなく、親の特別な配慮の無い限り、母親の身分を継ぐという設定です。
(貴族の父と平民の母では子は平民、平民の父と貴族の母では子は貴族)
ケネスが家を出され、平民として生きているのはそんな理由のためです。
まぁアリアナの父(現役時代は有能な政治家でした)が知っているということは、ケネスの父親はかなりの大物!ということになります。
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では
次回もお会いできることを祈って。
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