9.ルーチェは気づかない
宴が終わり城に静寂が訪れた夜遅く、私は城の花園を訪れベンチに腰掛け星を眺めていた。
今日は屋敷には帰らず泊めてもらう事になっていたのだが、豪華な寝台に気圧されて寝付けなかったので、気晴らしに散歩に来ていたのだった。
風に髪を揺らしながら今日の事を思い出していると、背後から靴音が聞こえてきた。
「夜の散歩ですか?僕も誘ってくださいよ」
「セシル様…まだ休まれていなかったのですね。お疲れでしょう」
「たまたま廊下を歩くルーチェを見かけまして、寝る前に会いたいなと」
「そうでしたか。私は目が冴えてしまって…」
「では少しお喋りでもしましょうか」
そう言って私の隣に座るセシル様。青みがかった銀髪は月の光を受け艶やかさを増し、蒼玉の瞳は深く神秘的な輝きを放っていた。月の妖精だと言われれば信じてしまいそうだ。
魅了なんて能力が無くても、本当に魅力的な方だな…。
ふと初対面の時にここに案内された事を思い出して一人小さく笑った。連れてきたのは良いが案内の仕方が分からないと落ち込んでいた王子様が、いつの間にかこんなに立派になって…。
これなら国内外の女性が狙うのも無理ないな。…例えばエニシャの第2王女とか…。
不意に彼女の鋭い言葉が頭の中に響く。
「……」
「ルーチェ?どうしましたか?」
「…いえ…少し、考え事を…。…セシル様はエニシャの王女様とは交流はござますか?」
「エニシャですか。今日もいらしていましたが僕自身は挨拶を交わした程度ですね」
「…エニシャの第2王女様は…」
「え?」
言い掛けて止める。セシル様は不思議そうにしていたがその続きを言う気分ではなかった。
「…いえ、第3王女様がこの様なハンドサインをされたのですが、どのような意味かご存じですか?」
「あぁ、それは尊敬を表すサインですね」
「尊敬?」
私が第3王女に尊敬される様な事があるだろうか。いや、あり得ない。きっと見間違えたのだろう。
そう納得するとセシル様は「どうかな」と曖昧に笑ってみせた。
そうこうしている内に、大きな柱時計がもうすぐ日付が変わる事を示していた。
そうだ、大切な事を言い忘れていた。
「……遅くなりましたが、お誕生日おめでとう御座います」
「ありがとうございます。随分ギリギリですね」
「お伝えしていなかった事に今気づきました」
「フフ、もう15歳ですね。あと3年だ…」
彼の声に僅かに重みが掛かる。
3年。あと3年で成人の儀が行われるのだ。そうなれば私は……。
「…………セシル様、…魔具に私の魔力を乗せる事が出来ました」
「え…」
「現在調整に入っていますので魔具の完成も遠い日では無いかと」
「…そうですか。…そうか……」
そう呟く彼のホッとしたような切なそうな複雑な表情。
最終の調整に入ったとはいえ、特に慎重に行わなくてはいけない作業だ。そしてもうじき私もセシル様と共に魔術学園に入学となるので、今までの様に頻繁に関わる事が出来なくなる。
その事を踏まえて完成は早くて1年後、遅くとも2年後には出来ているだろう。大丈夫だ。18歳までに間に合う。
魔具が完成すれば私は晴れてお役目御免。婚約者候補として留まる必要もなくなり、王家と関係のないただの子爵令嬢に戻るのだ。
そしてセシル様も魅了耐性の有無を気にせずに本当に相応しい人と結ばれる。それは例えば上位の貴族令嬢だったり、エニシャの王女だったり。
それがあるべき姿。……そうだと言うのに………。
「……なんだかムシャクシャしてきました」
「えっ」
「ノアは私の人生を費やした研究成果なのです」
「…ええ、そうですね」
「完成した暁には相応の報酬を頂かなくては」
「それはもちろんです」
「そして私も王宮魔導士にして頂かないと腹の虫がおさまりません」
「…何に対して怒っているんですか?」
「何って、それは……それは…」
「それは?」
「…………不明です」
問われると分からない。ただ無性に嫌な気持ちになったのだ。
勢いを無くした私にセシル様が苦笑する。
「…自覚はないのですね。
…怒りの理由が僕の期待どおりなら嬉しいですが、どうでしょうね」
「?」
目の前に立ったセシル様が手を差し出した。それに手を重ね立ち上がるとそのまま引き寄せられる。
突然の近距離に戸惑っていると蒼玉の瞳が妖しく細められ、目尻に優しく唇が落とされた。
「なんっ…!?」
「…言葉や態度で示しても本気にしてくれない。やっと反応してくれたと思ったら自覚はない。
…なかなか手厳しいですね、貴女は」
「あ、…っ、不埒です!!」
「はは、その言葉は懐かしいですね。
さて、冷えてしまってはいけませんし、そろそろ中に入りましょう」
「せ…セシル様っ!!」
全く反省した様子の無いセシル様は、飄々とした態度で私の腰に手を添え室内へと誘導する。
あまりの衝撃に先程の怒りは消え去ってしまっていた。
おかしい。セシル様はこんなに余裕のある方だっただろうか。すぐに泣いていたウルウル王子はどこに行ってしまったのだろうか。
悪戯っぽく笑うセシル様から顔を背けながら、私はひたすら混乱するのだった。