3.セシルは待っていた
僕の周りはいつも歪んでいた。
それは王家の血の呪いのせいなのだと父上は言った。王家の血を受け継ぐ者は意図せず”魅了”の魔法を周りにかけ続けてしまうのだと。
そのせいで、優秀だといわれる使用人達は僕の前では上手く喋る事すらままならず、侍女達は顔を赤らめて放心する者が多く仕事にならない。
一度、魅了にかかった庭師が梯子から落ちた事もあり、必要以上に人に近づかない様にしようと心に決めた。それが3歳の頃。
話しかけてもまともに会話は出来ないし、下手に触れれば気を失わせてしまうし、お世話をしてくれる人の鼻血ももう見飽きた。幼い僕にはどうする事も出来なかった。
魅了耐性のある母上も、僕の魔力が強すぎて寒気に襲われるのだと申し訳なさそうに告げ、いつも遠巻きに見ているだけだった。
唯一、同じ体質である父上だけには影響がなく他の人の分まで愛情を注ぐよう仕事の合間を縫って時間を作ってくれてはいたが、それでも寂しさは消えなかった。
そして僕が5歳になる頃、お披露目と共に婚約者探しが始まった。
これは大々的に公言された事はないのだが、王家の婚約には1つの条件がある。それは対象の王族の魅了に打ち勝つほどの魅了耐性が有る者である事。
魅了耐性がある者は傍にいるだけで魅了の魔法を打ち消すらしい。実際、父上の魅了は母上によって抑えられている。
しかし母上よりも強い魔力を持つ僕の魅了を抑える事は出来ないらしい。という事は母上よりもさらに強い耐性を持つ少女を探さなければならないという事だ。
お披露目をした後、まずは目ぼしい貴族の令嬢から会ってみる事になった。普通に接して魅了にかからなかった子が婚約者候補となるのだ。
僕は期待をしていた。この呪いを解いてくれるのはどんな子なのだろう。ワクワクしながら来る日も来る日も様々な令嬢と挨拶を交わし……気づけば6歳になっていた。
その頃には2度も3度も挨拶に訪れる人もいなくなり、僕は周りに魅了をまき散らさないよう部屋に閉じこもる様になっていた。
そんな中、母上がとある玉を手に「対象者を増やしましょう」と提案した。
母上が持ってきた玉には僕の魅了の魔力が込められており、僕よりも強い耐性が有る者が触ると金色になるのだと。王宮魔導士が作り上げた物らしく、これさえあれば僕がわざわざ対面する必要がないので一気に調べる事が出来るのだという。
クジ引きと銘打って国中に知らせた。対象者が庶民にまで広まった事で可能性はうんと増えたのだが、僕の心は不安でいっぱいだった。
「もしこれで誰も金色にならなければ、僕はどうなるのでしょう」
「…その場合は対象年齢を広げるか、もしくは他国を当たってみるか。もし伴侶という形式を捨て去るというならば側近として男を確認するものいいだろう。ただし男でも女でも3日に1度はその者を傍に置き毒抜きをしてもらう事になるがな」
僕の不安を煽る様に、クジ引きは順調に進められ9割の人が終わったがまだ金色は姿を現さない。
もしかしたら僕を歪んだ世界から救い出してくれる人は居ないのではないだろうか。一生このまま人を避けて過ごさなければいけないのではないだろうか。
そんな暗いことばかり考えていたある日、ついに最後の1人が城に向かっていると報告を受けた。
最後……どんな人かはわからないけど、どうせ外れるだろう。この人が終わったらまた振り出しに戻るのか。
溜息を吐いて椅子に座りなおす。気を紛らわせるように本を捲っていると、部屋の外が騒がしくなってきた。勢いよく開けられた扉の向こうには肩で息をする父上の姿。
「父上…?どうされましたか?」
「セシル!!来い!!」
「え??」
「ついに、ついに金色が出たぞ!!」
「!!!」
急いで向かった先には僕と同じくらいの年齢の少女とその父親が待っていた。僕の顔を見ても彼女は顔色一つ変えない。
「…お初にお目にかかります。ルーチェ・フルールと申します」
そう言って挨拶をする少女は照れた様子もなく、やや上がり気味のキャラメル色の目をまっすぐにこちらに向けてくる。
試しに小さく笑顔を向けてみると、彼女は不思議そうにするだけで代わりに彼女の父親が鼻血を吹いて倒れた。
彼女には僕の魅了が効いていないみたいだ…。でも本当に?偶然じゃなく??
期待と不安が入り混じる僕の代わりに父上は嬉しそうに笑っていた。
確かめなければ。僕は少女の…フルール嬢の目の前に立つ。見るのは平気でも接触はどうだろう。
重ねられた手を握るとフルール嬢は何とも嫌そうな表情を見せた。父上に問われ寒気があるのだと白状する。
これは彼女を守る耐性が魅了に反応している証拠だ。僕よりも魔力の弱い母上は寒気が酷く体調を崩す程だったが、フルール嬢は一瞬眉を顰めた程度で、そのあとは何事もなかったかのように僕と手を繋いでいた。
期待がどんどん高まる。ドキドキしながら庭園へと足を進める。そして目的の花園に到着して衝撃の事実に気づいた。
…僕は誰かを案内した事なんてないから、何をしたら良いのかが分からない…!
庭師が丹精込めて手入れしている花は美しいのだが、それに対してなんとコメントしたら良いのだろうか。頭の中をフル回転させるが名案は浮かばず、結局慣れていない事を白状する事になってしまった。
誘っておきながらカッコ悪いところを見せてしまった。恥ずかしくて俯いて落ち込んでいると体調が悪い様に見えたらしい、フルール嬢は心配そうに声を掛けてくれた。
「無理をされてはいけません。先ほどの部屋に戻りましょうか」
「…ま、待って!!」
まだ戻るわけにはいかない。笑顔が効かないのは彼女が言った様に僕が笑い慣れておらず下手だったからかもしれない。彼女は大丈夫なのだと、他の者の様に狂わないのだと、僕はもう少しだけ確信が欲しかった。
昔、父上がこの呪いについて教えてくれた時の事を思い出す。魅了は対象に近づけば近づくだけ威力を発揮するのだと。
彼女の柔らかな頬を両手で包み込み、キスをする様に距離を詰める。柔らかな色の瞳を丸くする彼女を間近で見て、真っ黒な前髪は眉上で切りそろえているのだなと場違いに発見した。
今の僕が出来る一番近い距離がこれだ。さすがにこれ以上は近づけないなと考えていると、彼女から平手打ちを受けてしまった。
「っ不埒です!!!」
顔を真っ赤にした彼女がこちらを睨んでいる。確かに頬は染まっているがこれはどう見ても魅了されたものではない。
叩かれた頬を押さえながら茫然と、しかしはっきりと感じ取った。彼女は僕の魅了に打ち勝つほどの魅了耐性が有るのだ。
やっと手に入れた希望に思わず涙が零れてしまった。それにギョッと焦った様子で謝罪するフルール嬢の姿を見ながら嬉しさがこみ上げてくる。
僕が待ち望んでいたのは彼女だったんだ。
「フルール嬢、いえ…ルーチェとお呼びしても良いですか?」
「…え?……はい…」
むやみに周りを魅了しない様ずっと張りつめていた表情が緩むのが分かった。戸惑った様子の彼女の小さな手を取り唇を落とす。
「…ルーチェ、僕と婚約してください」
氷が解ける様に心に温かい気持ちが広がる。
彼女と、ルーチェとなら普通の人間になれるかもしれない。そんな希望を胸に僕は微笑み……
「…いえ、無理です!!!」
すぐに振られた。
その後申し込みを繰り返すもルーチェが首を縦に振る事は無く、父上も僕も無理やり囲う気は無かったので、また3日後に来ることを約束して一旦お開きとなった。
ペコペコ頭を下げるフルール子爵に連れられて扉を出ていくルーチェのこちらを見る目は少し鋭かったので、きっと僕は不埒な印象のままなのだろう。
母上に報告すると「押しが弱い、情けない」と呆れられたが、ルーチェの力で魅了が打ち消された僕の事をたくさん抱きしめてくれた。
そしてその日、生まれて初めて周りの人とたくさんの話をして、夜は父上と母上に挟まれて寝る事が出来たのだった。