22.ルーチェは準備中
エニシャの第2王女による誘拐事件は、2国間の話し合いによって静かに終息を迎えた。
お互いを友好国認定のまま、王女の愚行を公にしない事を条件に、いろいろと取り決めを結びなおしたらしく、我が国としては主に貿易関係で良い結果に落ち着いた様だ。
このように穏便に済んだのは情報提供者である第3王女のお陰なのだが…
「ルーチェ様…あの、ルーチェお姉さま!」
「…王女様のお姉さまでしたら移送中かと…?」
「ち、違いますぅ!あんな愚者は姉なんかではありません、ただ血の繋がりのある他人です!
私はルーチェ様の事を尊敬していて…高い魔力に強い魅了耐性、そしてそれに留まらず多くの知識を生かして魔具の研究までされてて、私の憧れなのです!!あの、お姉さまとお呼びしても宜しいでしょうか!?」
「お断り出来るならお断りしたいです」
「ふぐ…っ、う…っう…!」
「な、泣かないでくださいレコリーナ様!!きっとフルール様は照れていらっしゃるだけですよ!!」
「そ、そうね…!ルーチェお姉さま、私の事はどうぞレコリーナと…いえ、やっぱり愛称でデコとお呼びください!!ちょうど額も出していますし覚えやすいですよ!!」
「お断り出来るならお断りしたいです」
…結局、盛大に泣かれて断れなかった。何故か、泣き虫王女デコさんとその従者に懐かれてしまっている様だ。
渋々、愛称で呼ぶと彼女は目を輝かせ「もう前髪おろしません!」と宣言していたが、ぜひとも前髪を大切にしてもらいたいものだ。
第2王女は魅了耐性者の監視の元、エニシャ国保有の塔に幽閉をされている。今後、取り外しの出来ない腕輪などにノアを組み込み、魅了の力を封じる事が出来れば、エニシャで一番厳しいと恐れられている修道院に送られるそうだ。
ちなみに、お茶会の帰りに出くわしたのはやはり偶然ではなかった。あの日私が公爵家のお茶会に招かれるという情報が、レティシア様と交流のあったエニシャの貴族令嬢から伝わっていたのだと。
この貴族令嬢は第2王女の取り巻きの1人で、強く魅了の影響を受けていた事も考慮され、あまり厳しくはない罰がくだされた。
そしてレティシア様も事件を知らされすぐに謝罪に来たのだが、落ち込み様が酷く慰める方が大変だった。
正直「何日に誰それを呼んでお茶会をするんだ」なんて手紙に書く事くらいあるだろうし、本人も悪意があって情報を流した訳では無いのだが、彼女も罰として短期間の奉仕活動を命じられたそうだ。
「わたくしは暫く謹慎に入りますの。なので貴女の悪足掻きに口出しをする事は出来なくなりますが…」
「はい。これ以上レティシア様に叩かれない様に頑張ります」
「あら、わたくしは喝をいれてさしあげただけですのに、人聞きの悪い」
そう言って笑えば、レティシア様の不安な表情は少し和らいだ気がした。
―――この一連の事件で気づいた事がある。
「あなたはもう用済みよ」
「もう叶わない恋なんだし」
「あなたは要らない」
周りになんと言われても、私の気持ちを断ち切るのはセシル様の言葉だけなのだ。
彼から振られる日までは、1日1日を大切に自身を磨いていこう。
でも、けして想いを伝えてはいけない。
好きなのだと伝えたら、彼は優しい人だから10年付き合わせた代わりにと受け入れてしまうかもしれない。そんな関係を望んでいるわけではないのだ。私は…―――――
「っ!?」
「目が覚めましたか?」
頬に当たった柔らかな感触で意識が覚醒する。耳元で聞こえる優しい声に飛び起きると、セシル様がこちらを見て笑っていた。
現状が把握出来ず辺りを見渡すと、見慣れた王城の図書室にいた。どうやらセシル様を待つ間に眠っていた様だ。
「も、申し訳ありません!本を読んでお待ちするつもりが…」
「いえ、いいんですよ。こちらこそ遅くなりすみません」
まさか居眠りをしてしまうなんて…。変な顔してなかっただろうか?涎とか垂れてないだろうか!?
慌てて、顔の下に敷いていた本に汚れが付いていない事を確認する。無事だ。そっと口元も触ってみる。こちらも無事の様だ。
ホッと小さく息を吐くと、その様子を見ていたセシル様が肩を震わせていた。
「フフフ、大丈夫ですよ。どこも汚れていません」
「…そ、そうですか」
「ほら…」
そう言いながら私の顎を持ち上げる。何をするのだろうかと疑問に思っている間に、唇の端ギリギリにキスをされてしまった。
「…何も付いてませんよ」
「ッ!?」
「でも不思議ですね。頬へのキスの打ち消し効果は、抱きしめる時とあまり差がないんです。さすがに手を繋ぐよりは効果がある様ですが」
すぐに話題を変えられ怒るに怒れなくなった。悪びれた様子のない涼し気な顔を暫し睨みつけてから、気を取り直す為に咳払いをした。
「…頬へのキスは粘膜接触かといわれれば微妙なところですが、接触面積でいえば抱きしめるよりは劣りますし、妥当な効果ではないでしょうか」
「…そうですか。では少し実験をしてみましょうか」
「実験、ですか?」
ギッ…と音がして私が座っている椅子の背もたれに手を掛けるセシル様。反対側の手で私の髪を撫で、そのまま頬に手を添えた。
色気を含んだ表情で見つめられると、頭の奥が麻痺する様で…
「―――――…ふ、不埒ですッ!!」
2度も受け入れてなるものか。
慌てて放った自己防衛の掌は、思考回路が麻痺していた為か、その芸術作品の様な彼の顔面に真っ正面から直撃してしまったのだった。
…それから数分後。
「残された時間で磨いた自分を見せていく筈が、居眠りした上に顔面叩くとか…」
自己嫌悪に陥りながら城内をフラフラ歩く不審者と化した私。あの後セシル様の反応も見ずに図書室から飛び出してきてしまった。
こんな私相手でも護衛は無表情で付き添ってくれるので有難い。
少し頭を冷ましてから謝罪しにいこう。当初の目的である打ち消しもしなければいけない。
そう思いながら廊下を歩いていると、角を曲がった先で意外な組み合わせに遭遇してしまった。
「え…」
私が見つめる先には、美しく聡明な王后様と王宮魔導士のローブを気崩した父が…
「お、おお王后様!首、首!!締まってるぅ!!」
「知った事ですか。このクソ男、いいからエレノアに使った魔具を全て…」
「まって、このままじゃ先にエリーちゃんのとこに逝っちゃ…あっ!ルーちゃん!!超助けて!父ピンチ!!」
………王后様が鬼の形相で、我が父の胸倉を掴み引きずっていた。
「……は??」
思わず素の声が出てしまった。理解が追い付かない。
この状況は?と護衛の顔を見上げるが、彼も無言で首を振って分からないとアピールをする。
王后様の後ろに控える優秀な従者達の顔も青いので、想定外の出来事なのだろうか。
「あら、ルーチェさん。御機嫌よう」
こちらに気づき何もなかったの様に挨拶をする王后様は、普段の優雅な立ち振る舞いに見える。
私に縋りつき泣きじゃくるおっさんさえ気にしなければ、だが。
…なにがあったんだ、本当に。
 




