2.ルーチェは手を繋ぐ
初回はもう1話更新します。
案内された別室には、我が家に有る物と比べようが無い程に高価そうな調度品が飾られており目が痛い。
私の隣で呆けた様にソファに座り込む父に視線を向けて溜息を吐いた。
本当なら今頃は帰路についている筈なのに何故こんな事になってしまったのだろう。最後の一人だから?他にいないしもうコレでいいやみたいな思惑が働いた?
腑に落ちないと唸っていると扉が開き、陛下ともう1人、私と同じくらいの歳の少年が入ってきた。実際に目にしたのは初めてだが、その美貌と色彩から件の王子だろうと察する。
正気を取り戻した父と共に立ち上がり頭を下げると陛下に手で制された。
「硬い話は抜きだ。もっと楽にしてくれ」
「は、はい!!」
「紹介しよう。これが第一王子のセシルだ」
「…初めまして」
天使の様な人だと噂を聞いていたのでにこやかな人物を想像していたが、目の前にいる王子の表情はどことなく硬い。無表情とまでは言わないにしても、不安げで視線さえも合わさない所をみると人見知りなのかもしれない。
しかし造形の美しさは確かに神がかっており、笑顔を浮かべずとも私の横の父は乙女の様に頬を染めて目を潤ませている。身内ながら気持ち悪い。
「…お初にお目にかかります。ルーチェ・フルールと申します」
父がポンコツ乙女になってしまったので自分で名乗る。座ったままお辞儀だけで済ませると王子は驚いた様に目を丸くさせていた。
さすがに無礼だっただろうか、不安に思っていると彼は少しぎこちなく笑ってみせた。随分硬いが愛想笑いなのだろうか、その意図を図りかねる。
「…?」
「ブフッ!!」
「っ父!?父、なぜ急に鼻血を…!??」
「フ、っハハハハハハ!!実力は本物の様だな」
「へ、陛下…?」
突如笑い出した陛下。何に対して笑っているのだろうか。6歳の娘を置いて幸せそうに鼻血を垂らしながら天に召されそうな父だろうか。身内の恥でしかないので置いて帰ってもいいだろうか。そうだ、早く帰って本の続きを読みたい。
そんな事を考えながら握ったスカートに視線を落とし現実逃避をしていると、目の前に人が立った様で影か掛かった。顔を上げると王子がこちらに手を差し出している。
「フルール嬢、よければ庭園を案内します」
「…い……は、はい…光栄です」
思わず拒否しそうになった言葉を飲み込み、差し出された手を取る。刹那、ゾワリと鳥肌が立った。
その様子を目ざとく見つけたのか陛下が私に質問をぶつける。
「…フルール嬢、何を感じた?」
「…いえ、殿下を前に少々緊張しただけで…」
「正直に申せ」
「…………寒気です」
「フッ、寒気か。…鬩ぎあいだな」
「その様ですね」
「……?」
王子の手に触れて寒気を感じるなんて不敬にも程があるが、対する2人は特に気にした様子もなく…むしろ少しほっとした様な表情をしていた。視界の端で父は執事に扇がれている。なにしに来たんだこのオッサン。
「では改めて、行きましょう」
「…はい」
再び手を取られ部屋を出た。手を引かれなくとも付いていくのだが、しっかり握られた手は離されそうに無い。逃げ出したい気持ちが伝わってしまったのだろうか。
すれ違う使用人達に驚いた様な表情で見られ、気恥ずかしくなり顔を伏せながら目的の場所へと案内された。
様々な花が咲き誇る美しい花園を王子と二人で歩く。
「………」
「………」
なぜ無言。こちらを見ずに手を引いて歩く王子はやや俯き気味で表情が暗い。
陛下の手前、誘わざるを得なかったが、やはり人見知りを発揮しているといったところだろうか。乗り気でないのなら早々に切り上げて帰りたいのだが。
そんな事を考えていると王子の足がピタリと止まった。
「…すみません、案内すると言いましたが…」
「いえ、お気になさらずに。初対面での対話は難しい物だと理解しておりますので、無理に話を振っていただかなくとも問題ありません」
「え?」
「え?……あ、先程の部屋に戻られるという話でしたか?」
「え??」
「え??」
どうしよう。人見知りなので、とか、乗り気じゃありません、とかをオブラートに包んだ文言が続くと思っていたが、王子の反応を見るに全くの見当違いだった様だ。
首を傾げる王子につられて私もつい同じ様に傾げる。傍から見たらなんとも奇妙な光景だっただろう。
「ええと…その、そうではなくて……。その…案内に不慣れで、何をしたら良いのかが分からず…」
一般的な王子ならば城に来た令嬢に庭園をエスコートする機会もありそうだが…。そこまで考えて目の前の美の産物が一般的では無い事を思い出した。
見れば赤面、笑えば鼻血、触れようものなら意識を飛ばす。そんな特殊な王子様なのだと聞いた事がある。その結果、令嬢がばったばったと倒れてゆき、クジ引きで婚約者を決めるというふざけた状況になっているのだ。事実、私の父もあの有様だ。
「誘ったのはこちらなのに……」
「いいえ、どうぞお気になさらず。恥ずかしながら私は花に明るくありませんので、ただこうして眺めるくらいが丁度良いと感じております」
「そう、ですか…」
私もそんなに社交的な方ではないので喋らずにボーっと過ごしていて良いなら喜んで受け入れるだろう。
いや、むしろその時間に本を読みたい。庭園よりも図書室に連れて行ってほしい。
そんな事を考えていると手が離されたが、対面した王子は無言で俯いたままだ。やはり表情が硬いところを見ると、もしや人見知りではなく体調が悪いのではないだろうか。
「………」
「……殿下?…失礼ですが、もしや体調が優れないのでは…」
「え、いや…そんな事は…」
「無理をされてはいけません。先ほどの部屋に戻りましょうか」
「…ま、待って!!」
あわよくば帰宅を狙っていた私の腕を王子が掴む。宝石と称えられる蒼玉の瞳が寂しそうに揺れ、彼の唇が一度戸惑った様に動いたのが見えた。
「……貴女は、…本当に狂わないのですか?」
「…………狂う、ですか?」
「僕に近づく人は皆狂っていくんです…」
そう言って王子は手を繋ぎなおし先ほどの様にぎこちなく笑う。それは一瞬の事で、すぐに悲しそうな表情に戻った。
「…何を思いましたか?」
「…ええと、笑顔が下手だなと…」
「えっ」
「いえ、失礼しました」
「下手…ですか」
つい本音が漏れた。ショックを受けた様子の王子を眺めながら、繋がれていない方の手で口を押える。
彼は笑い慣れていないのだろうか。むやみに感情を読み取らせない事は大事だが、まだ6歳である彼がここまで表情が硬いのは違和感がある。
柔らかい笑顔の1つでも向けられたら、噂の様に鼻血の雨が降るほどの威力だろうに……はて、狂う?
頭の中で何かが繋がりそうになる。しかしその思考を中断するように両頬に手が添えられた。
「…っ、殿下…??」
「…これでも、何も感じませんか?」
シルバーの髪がサラリと私の額にかかり、輝く蒼玉がすぐ目の前にある。子供ながらに良い形をした鼻は今にも触れそうで………とにかく顔が、近…っ
「っ不埒です!!!」
気づけばパチンと私の右手が音を立てていた。なんて距離感だ。出会ったばかりの男女の距離とは到底思えない。王族だから何をしても良いと思っているのだろうか。
羞恥心から熱くなった顔でキッと王子を睨むと、彼は叩かれた頬に手を当て茫然としていた。その姿を見て徐々に冷静になる。
……やってしまった…!!よりによって王子を叩いてしまった。いやしかしあんな距離に来られたら…いやもしかしたら他意があったのかもしれないが…でも無理無理、こちとら未婚どころか僅か6歳のレディの蕾だ。あんな距離で平然としてられる訳が無い。
父よ申し訳ない。責任辞職させられるかもしれない。もしかしたら反逆罪で捕まるかもしれない。
頭の中は大パニックで冷や汗ダラダラで立ち尽くしていると、不意に王子の目から涙が零れた。
「な…泣かせてしまった…!!どうしよう…」
「…あ、いや…違うんです……これは…」
「…も、申し訳御座いません!!殿下の尊き身になんて失礼な事を…っ!!」
「いえ、いいんです。顔をあげてください」
「し、しかし…」
「フルール嬢、いえ…ルーチェとお呼びしても良いですか?」
「…え?……はい…」
怒られるかと思ったのに呼び名の変更とはこれ如何に?
混乱しながらも肩をそっと起こされ顔を上げる。目の前には先ほどよりも柔らかな表情をした王子がいた。こういう顔も出来るのか、と思っていると片手を取られ柔らかな唇が落とされる。…は?
「…ルーチェ、僕と婚約してください」
そう言ってフワリと微笑む王子は噂通りの天使だった。咲き誇る花よりもさらに美しく、風に揺れる艶やかな髪は清廉で、目じりの涙の痕さえ彼を輝かせる装飾品の様で…
「…いえ、無理です!!!」
危うく現実逃避しそうになった私は、その笑顔に流されないよう必死に首を振るのだった。