19.ルーチェは怒っている
ベッドに押し倒され、下品な笑みを浮かべる男が馬乗りになる。男の左手が私の両手首を頭元で固定し、右手がワンピースのボタンに触れ…
「……炎よ!」
「…ヒギャァっ!!?」
部屋に男の悲鳴が響き渡った。
私の声に応えて出現した炎は蛇のような細長い形を作り、私の体の周りを飛び回っている。
時折、威嚇するように炎の先が燃え上がるので、男はベッドからずり落ちたまま起き上がる事すら出来ていない。
これは先程、枕に隠れて完成させておいた術式を発動したものだ。もしもの時の為に作っておいたが、どうやら用意しておいて正解だった様だ。正解でも全く嬉しくはないのだが。
真っ青になった男は魔術に慣れていないのか、腰が抜けた様に後退りしている。窮鼠猫を噛むというが、噛まれた方がまだマシだっただろう、とゴウゴウと音をたてて燃え盛る炎の蛇を腕に纏う。勿論、術者である私には熱さは無い。
本来、魔術は人に対しての使用は禁止されているが、自己防衛なので仕方ない。バレても罰せられる事はないだろう。
「おま、お前っ、魔術師か…!?聞いてねぇぞ、そんな話…っ!!」
「ではどの様な話を聞かされているのでしょう?教えて頂けますか?」
手を男に向けると再び蛇が威嚇する。男は悲鳴を上げて後退り、背中が壁にぶつかった。
私は5大属性の中で火属性との相性が1番良い。そして魔術の知識がない者に対しては、見ただけで火傷を連想させる炎は武器として最適だ。これが水や風属性ならば、ここまで怯えてはくれなかったかもしれない。
…そこまで考えて、自分が思った以上に怒っている事に気づいた。
「そっ……それは……」
「隠し立てをするのでしたら、ご自慢の顔とお別れする事になりますが…」
「や、止めろ!!止めてくれ!!言うから…!」
本当に焼くつもりはないし、ぬくぬくと育った私にそんな度胸もない。ただの脅しだったが男の口の滑りは良くなった。
―――やはり男は第2王女に金で雇われていた。普段は男娼…女性を誑し込む仕事をしているらしい。
もっとも男は、私や王女の素性は知らされておらず、邪魔な商家の娘を落とせと依頼を受けていた様だ。
「お前を惚れさせて骨抜きにしろと。それが無理ならトラウマになるように悪戯をしてやれと言われたんだ」
なるほど。王家との繋がりのある貴族令嬢を、国外に連れ出すのは難しいと考えるだけの頭はあったのだろうが、代わりに随分とふざけた事を計画してくれた様だ。
私の怒りに反応したのか蛇が一回り大きくなる。
「ヒッ!!も、もう良いだろ!?全部喋ったぞ!未遂なんだし、もう勘弁してくれ…!」
「……許されると思っているのですか?…ひとまず今後は悪さが出来ない様にソコ焼いときますね」
「悪魔か!!?」
「―――動くなッ!!!」
ドアが大きな音を立てて開かれ数人の騎士が部屋に流れ込んできた。突然の来訪者に新たな敵かと身を固めたが、胸当てに描かれた紋章から王家の騎士団だと気づいた。
騎士団はすぐに状況を把握し、涙目で座り込んでいる男に剣を向けた。男は何故か「助かった…」と呟き大人しく拘束されたが、裁きを与える相手が変わっただけで別に助かっていない。いや、確かにソコが焼かれる運命からは逃れたかもしれないが。
「フルール様!ご無事でしたか!!」
「副団長様!?まさか副団長様の手を煩わせてしまうなんて…」
登城した際に何度かお会いした事がある方だ。私ごときの捜索に王家の騎士団が動いた事にも驚いたが、まさか副団長まで駆り出されているなんて…。もしや費用は我が家持ちなのだろうか?
そんな心配をしている私に、副団長は日焼けした顔でさわやかに笑ってみせた。
「いえ。セシル殿下の婚約者様の救出となれば、騎士団が総力をあげるのは当然の事です。お怪我はありませんか?」
「ええ、問題ありません。ご心配をお掛けしました」
正式な婚約者ではないことは周知の事実なのだが、あえてその様に言うのであれば否定するのは野暮だろう。
「え…ちょ…誰が?誰が婚約者って…??そのガキが…!?」
「なんと無礼な…!早くこの者を連れていけ!!」
「う、嘘だろオイ!?そんな地味な女が…ギャァァ!前髪燃えたぁぁぁ!!!」
呼び出した炎が無駄にならずに済んだ。
大事になる前に騎士達が男の額を叩いて火を消し、……火が消えてからも叩かれていたのは気のせいだろう。そのまま泣き叫ぶ男を引きずりながら連れて行った。その姿を見て少し溜飲が下がった。
「…陛下の仰った通りでしたね。一般人相手ならフルール様が手中に落ちる事は無いだろうと」
「それは買い被り過ぎですよ。今回は偶然………うん?一般人が相手だとご存じだったのですか?それに、何故ここに居ると分かったのでしょう?」
父に伝わったのは今朝の筈だ。詳しい時間はわからないが、それから3時間は経っていないのではないだろうか。王都から港町まで馬を走らせて1時間程度かかるとして、いくらなんでも早すぎないか。
「詳しくは道すがらお話します。すぐに王城へ向かいますので、私の馬に一緒に乗ってもらえますか?」
「はい、………あっ、待ってください!!」
差し出された手を取ろうとして、私は重大な事に気づき声を張り上げてしまった。
「どうされましたか?」
「…か………顔を、…その………身支度の時間を頂いても、宜しいでしょうか…?」
「…あっ。気が回らず、申し訳ありませんでした!!」
今更かもしれないが、寝起き姿を大勢の前で晒すなんてあり得ない。私の心情を察して、騎士達は一斉に顔を伏せて部屋を出てくれた。なんて紳士的。寝起きに飛び込み居座った先ほどの男に見せてやりたいくらいだ。
「先に急使を出しますので、フルール様はどうぞゆっくりとご準備ください」
「いえ!早急に致します!お心遣いありがとうございます!!」
急がなければいけないのは理解している。しかし「限られた時間の中で最高の自分になる」と心に決めた次の日に、さすがに顔も洗っていない寝起き姿で会いたくない。
「僭越ながら」と名乗り上げてくれた女性騎士に手伝ってもらい、なんとか最低限の準備を終えた。
―――お尻が割れるかと思った。
そんな感想を笑顔の下に隠しながら、最速の時間で王城まで送り届けてくれた名馬の背中を撫でる。馬車より断然早く着き、感謝の気持ちしかないのだが、次回は是非ゆったり散歩を提案したいものだ。
借りてる騎士団のローブに隠れてお尻を擦っていいだろうか。いや、令嬢的に駄目だろうな。人目が無ければ確実にやっていたが。
遠い目でそんな事を考えていると、到着の報告をしていた副団長が戻ってきた。
「フルール様、これからセシル殿下の元へご案内します」
「セシル様の所ですか?」
「はい。エニシャの第2王女とお会いになられていますので、そちらの部屋へ」
「割り込んで殴ってこいという事でしょうか」
「気持ちは分かりますが落ち着いてください」
握りしめた拳を優しく降ろされてしまった。
ただ話し合いをしろという事なのだろうか。それでは私の腹の虫が治まらないのだが。
「陛下より、力の差を見せつけよとのご命令です」
「……部屋で何が起こっているのですか?」
「私も微量ながら魅了耐性がありますので部屋までは行けませんが、付近で応援していますので!」
…これはもしや、魅了の力が暴走していないか?
その事を問うと、副団長はニッコリと気持ちの良い笑顔を向けてきたのだった。