12.セシルは奪われる
僕の婚約者候補は常に一線を引きたがる。
「正式な婚約者を選ばれる際に妨げにならないよう、立場をわきまえて行動しなくては」
僕の気持ちに欠片も気づこうとしないルーチェが「縁を切る」とか「淡泊な関係」だとか聞きたくない言葉を平然と口にするものだから、貼り付けた笑顔の奥で黒い感情が広がる。
あぁ、彼女を困らせたい。
もし僕が2人の時間を作ろうとしなければルーチェはどうするだろうか。責任感の強い彼女はきっと何とかして接触しようとしてくる筈だ。
1日目、2日目を常に誰かと共に過ごしながら、視界の端でオロオロするルーチェを見て僕は少し楽しくなった。たまには追いかけられるのも良いものだ。
そして3日目。さすがに遊び過ぎただろうか。
前回の効果がそろそろ切れるので、今日は流石に打ち消しをしなくてはいけない。休憩時間になったら人払いをしてルーチェと会おう。
…そう思っていたのだが、
「何で今日に限って…」
「え?何かおっしゃりましたか?」
「いえ何も。さっさと片付けてしまいましょう」
「「「はい」」」
入学と共に強制的に入れられた生徒会。王族よりも上に役職を作る事は出来ないと、第一学年ながら生徒会長へ任命されたが、ここにきてトラブル処理に追われる事になるとは思わなかった。
運が悪い事に今日中に仕上げなくてはいけない案件だ。
授業を抜ける訳にはいかないので、授業の合間の僅かな時間や昼休みも潰して作業をしているが、ついに放課後にまで延びてしまった。
生徒会全員で作業をしながら、体の中を渦巻く魅了の力を窺う。この様子なら夜までは溢れ出る事はないだろう。
作業も終盤に掛かっているので、急いで終わらせてルーチェの所へ行こう。短い時間で打ち消しをしなくてはいけないので、最初から抱き締めても問題ないだろう。
そう思い手を動かしていると、さきほど休憩へと抜けた筈の令嬢が部屋に戻ってきた。
「休憩はもう良いのですか?」
「ええ、仕事に戻りますわ。……ふふ」
「ご機嫌ですね。どうしました?」
生徒会メンバーの問い掛けに、令嬢が僕の方を向いて微笑んだ。
「そこに例の方がいらしたので少し注意しただけですわ」
「…例の方、ですか?」
「あぁ、候補の人?」
例の方、と言われるのはどうやらルーチェの事らしい。知らなかったのは僕だけの様で、他のメンバーは納得した様に頷いていた。
「セシル様を待ち伏せしてたんですかね」
「ええ、きっと」
「熱心ですねぇ。分からなくもないですけど」
……なぜ嘲笑した響きが含まれるのだろうか。不愉快な空気に眉を顰めていると、それに気づいた子息が楽しそうに話し掛けてきた。
「あの人に付き纏われて殿下も災難ですねぇ」
「………どういう意味かな?」
静かな声で訊ねると、それを皮切りに生徒会のメンバーは口々に喋り始めた。
「だって家柄も容姿も殿下に相応しくないじゃないですか」
「それなのにセシル様にベッタリだとか」
「殿下だって婚約に乗り気じゃないから候補止まりなんですよね?」
「あのクジだって不正を行ったって噂でしたけど、本当なんですか?」
「父親が王宮魔道士なんでしょう?クジに何か細工をしたって…」
…………何を言っているんだ?
異国語を話されている様で頭に上手く入ってこない。理解出来ずに黙っていると、話はどんどん盛り上がってきた。
「正直フルールさんより相応しい女性がここにいると思うんですけど」
「そうですよ。公爵令嬢で美人で賢い、セシル様にお似合いの女性がここに1人!」
「い、いやですわ皆様。わたくしそんな…。いえ、セシル様はとても素晴らしく魅力的なお方ですが、わたくしなんて……」
「ほら、満更でもない様子ですし、ね!ね!」
気づけば僕以外は立ち上がり楽しそうに騒いでいる。ルーチェを蔑み公爵令嬢を讃え、まるでお祭りの様に笑う彼らを見て、僕は、
「…………ルーチェの何を知っていると言うのですか?」
体の中で何かが弾けた音がした。
僕の言葉に皆が反応する前に、体から魅了の力が溢れ出す。これは…魔力の暴走!?
制御しようにも止まる事ないそれは、比較的魔力の弱い令嬢の意識を奪い床に倒れさせる。他の人々もそれに反応する事も出来ず、赤い顔で僕を見つめ震えている。
これはまずい…!
この場を抜け出そうと1歩足を踏み出すと、傍に居た子息が鼻血を出して倒れた。
それに対し小さく「あっ…」と声を出すと、更に1人がフラリと倒れた。
残ったメンバーも自身の顔や胸を押さえながら、戸惑った様にこちらに熱い視線を向けてくる。
これ以上、被害者を出さない為に慎重に行動しなくてはいけない。
魅了の力は相手との距離で効果の差が出る筈だ。なので残った人達から距離を取りながら部屋を出よう。
大丈夫だ、視線を合わせない様、刺激しない様に注意して…
「皆…落ち着いて壁際に…」
「……ああぁッ…!!」
駄目だった…!
残った面々も鼻血を吹いて倒れてしまった。
白い壁には鼻血の血飛沫、緑の絨毯には血溜まりと倒れ込む人々。魔力が暴走して物にまで影響が出ているのか、机や本棚もピシピシと悲鳴をあげていた。
魅了の力は収まる気配がない。このまま部屋を出ても次なる被害者を出すだけではないだろうか。
どうするべきか戸惑っていると、唐突に扉が開かれた。
「セ、シル様…!?」
「ルーチェ…!」
ルーチェは部屋の中を見渡しすぐに状況を把握したのだろう、辿々しくこちらへ歩いて来た。初めて手を繋いだ時の様に寒気があるのだろうか、顔色が少し悪かった。
「セシル様、なんでこんな……いえ、まずは打ち消しをします」
「お願いします…」
ルーチェを困らせたいと、軽はずみな行動をした結果がこれだなんて、なんとも情けない。
手を繋ぐだけでは対処しきれないと判断した彼女に抱きしめられ、自己嫌悪に陥る。
「…………」
「…………」
「………?」
「………寒気が、おさまりません」
魅了の暴走が止まらない。通常のやり方では打ち消しの効果が負けてしまうのだろうか。
知り得る限り、最も魅了耐性があるルーチェでさえ敵わないのだとすると、どうすれば良いのか。
なおも続く魔力の放出に愕然とするしかない僕と違い、ルーチェは何かを思案した後、僕に鋭い視線を向けてきた。
「……セシル様、ご無礼をお許しください」
「え…?」
言葉の意味を理解する前にクラバットが強く引っ張られ、頭が下がりルーチェの顔が近づき、
「ル……う…!?」
彼女の名前を呼ぼうとした唇が塞がれる。
あとは一瞬の出来事だった。
割って入ってきた舌に僕の思考が追い付く前に、パン!と大きな音がして魅了の力が雲散し、それを確認したルーチェはさっさと離れる。
「なるほど、確かに効果的ですね」
粘膜接触が1番効果を発揮すると、そう言ったのは僕だが……僕だったけれど…。
……他に思う事は無いのか…!!?
頬を赤らめるでもなく平然とした様子のルーチェに負かされた気分で、必要は無いとは知りつつもう1度唇を合わせると、今度は拳をお腹に叩き込まれてしまった。
それが僕の初めてのキスの情けない思い出。
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