触れる熱
何かを喋って口を滑らしてしまうことが怖くて黙り込んだ。石のように固まった私の手を誠一郎さんはそっと引いて歩き始める。
ようやく、誠一郎様、と声を出した。誰もいないのに、聞きとがめられることに怯えたように小さな声だった。
「どちらへ行かれるのですか。」
答えの代わりに、少しだけ肩口で振り返って微笑む顔が、昔と変わらなかった。
私はきっと、この人の中では、出会った時と変わらぬ幼子なのだと思った。それが悲しいような嬉しいような、複雑な気持ちとなり涙が勝手に瞳に幕を張った。泣いてはダメだと思うほど、瞳が潤んでいった。
涙をこぼさぬように格闘してるうち、誠一郎さんが立ち止まった。涙で視界が悪く、その背中にぶつかるようにつられて立ち止まる。けれど、衝突の衝撃で、堪えていた涙が一粒溢れ出た。
慌てて指で拭おうとすると、指が誠一郎さんの手で押しと止められる。驚いて誠一郎さんの顔を見上げようとして、その前に熱が頬に触れた。頭が理解するよりも先に、指先が震えた。
誠一郎さんは眉を下げながら微笑んでた。
「ごめん、嫌だったね。」
頬に触れた熱が反芻されるように、何度も何度も顔が火照った。
「ち、違います。嫌ではなくて。」
その熱に浮かされるように唇が動いた。喋ってはダメだと思った時には遅かった。
私の身の程知らずな思いは、一番知られたくなかった本人へ伝わってしまっていた。
何を言われるだろうと身構えたのに、いつまでたっても紡がれる言葉がなかった。怪訝そうに顔を覗き込めば、ほんの少しだけいつもより赤い顔をした誠一郎さんがいた。
そのことに呆然とした。そして、もしかしたら同じ気持ちでいてくれるかもしれないと期待した。
少しためらいがちに、けれどもう一度、誠一郎さんの唇が頬に触れた。誠一郎さんの顔は赤く、彼の瞳に映る私も真っ赤な顔をしていた。
私は自惚れていた。もしかしたら、好かれているかもしれないと。恋人として望まれているかもしれないと。
けど、今日わかった。
全部勘違いだったのだと。
もしかしたら結婚前の火遊びをするつもりだったのかもしれないし、そもそも本当にそんなつもりもなかったのかもしれない。
そもそも、愛されていると信じるには、言葉が足りなさすぎた。祝言なんて嘘だと信じるには、身分が違いすぎた。
あの口づけの日から何度も誠一郎さんに手を引かれて辿り着いた部屋へ通った。そこは誠一郎さんのための別邸で、そのことは私を萎縮させたけれど、優しい、大好きな顔で、私だけに笑ってくれることが嬉しかった。ただその笑顔が見たくて通い続けた。
なのに、最後の最後でこんなに残酷なことってない。何一つ私には告げずに祝言だなんて、何とも思ってないと言われるより酷い。不相応だったのはわかっていたのに、それでも裏切られたという気持ちが消えなかった。




