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百年の恋  作者: あおい
16/21

怒り

商人とは皆この人のように、即断即決が求められるなら、とても私には務まらないと思いながら、慶弥さんと叔母の話し合いを眺めていた。


叔母は思ったよりあっさりとその受け入れを聞いていた。多少は渋るかと思った分、肩透かしを食らったような気分となった。


何となく人ごとのようにぼんやりしていると、ちらりとこちらを見た慶弥さんと目があった。

「明日の早朝には出発したいので、本日中に形だけでも祝言をあげさせていただければと。」

その言葉に驚いたのは叔母だけではなかった。というより私が一番驚いていた。


「あ、明日?」

思わず問い返せば、慶弥さんは目を細めた。なにを今更、とその目が語っていた。

なかなか衝撃的な発言から現実に戻れず、明日ともう一度呟く私から目を逸らし、慶弥さんは叔母に甘ったるい言葉を投げていた。


私に一目で惚れただの早く一緒になりたいだの心にもない言葉がどんどん紡ぎ出される。

これほど口が上手くないと、商売などできないのだなぁとしみじみ聞き入ってしまうほどには、その言葉の抑揚も手振りも真実味があった。


少し考え込むようなそぶりをしていた叔母が徐に口を開いた。

「話はわかりました。」

叔母さんわかったんだ、私にはわからなかったと現実逃避をする。

「何か事情があるのでしょう、それはこの子…咲子も同じことですから、深追いはしません。」


叔母さんが真実、話がわかっていたことに動揺した。慶弥さんの口車に騙されたのかとヒヤヒヤしたけれど、そういえば昔から物の裏を悟ることに長けた人だったなと思い直す。


誠一郎さんとのことだって、きっと気づいていたのは叔母さんだけだっただろう。ふとした瞬間に、思い浮かべるだけで、まだ胸が締め付けられるように痛かった。


早く離れたかった。胸の痛みが過去のものになるように、遠くへ逃げたかった。

たとえ、ほとんど知らない男と夫婦となっても。

その結果、痛い目に合うかもしれなくても。

それでも今よりマシだと思った。


叔母さんは、真っ直ぐに慶弥さんの目を見つめていた。

「私なりにこの子をきちんと育てたつもりです。どこへ行こうとも、この子を大切に思う家族がいることを忘れないで下さい。」

大切にするようにとも幸せにするようにとも叔母さんは言わなかった。

けれど叔母さんの言葉は、心にそっと染みるようだった。


だって、少しも偽りがない言葉だと分かったから。

居候だからと常に線を引いていたのは、もしかしたら私だったのかもしれない。離れることになって漸く、形は普通とは異なったけれど、私も「家族」だったのだと思った。


「…ごめんなさい。」

口をついて出た言葉は震えていた。何を謝ればいいのかもわからなかった。申し訳ないと感じることが多すぎて、それ以上言葉にできなかった。


勝手にいじけて居候だからと振る舞っていたことも。きっと私のために誠一郎さんから離れなさいと忠告してくれたことも。結局言いつけに逆らった挙句、突然村を出ることも。

私は不孝者だ。何も返せないのに、逃げたいから逃げるなんて。


戸口の方から、誰かが叔母さんを呼ぶ声がした。叔母さんは慶弥さんに断りを入れてから席を外した。その間ずっと私は顔を上げることもできず、自分の膝頭を睨むように見ていた。


慶弥さんが呆れたようなため息をこぼした。

「逃げたきゃ逃げりゃいい。我慢なんかしたって何もいいことないんだから。」

弾かれたように顔を上げた。けれど、思ったよりも真剣な眼差しがそこにあった。


自分勝手だと、唇を震わせながら問えば、今度は少し馬鹿にしたような顔で問い返される。

「あんたはきっと今までも自分勝手だったろうよ。こんなにすぐに受け入れてでも、ここから出したいくらいにはな。」

心臓を締め上げるような言葉だった。図星を刺されていたからこそ、反論もできず、ひたすら私を見下すその目を挑むように睨んだ。


「別にそれは悪くない。人間なんて皆自分勝手だからな。俺も、あんたの男だってそうだ。自分に都合が悪くなったから、あんたを切り捨てたんだろ。」


何がわかるのかと怒鳴りつけたかった。怒りで耳の中が雨上がりの川のようにどうどうと鳴った。何がわかる、私たちの関係を何も知らないくせに。ずっと近くで育ってきた。そこは同じ路じゃなかったけれど、でも誰より近くで見てきた。

そのことを何も知らないくせに、誠一郎さんを、あの人の優しさを知らないくせに。


嫌な人と心で呟いたのに、まるで聞こえたように慶弥さんは口角を上げた。抜け目ない商人の顔で、まるで私自身を商品のように品定めしているのだと感じた。

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