求婚
男は黙って私の横に並んでいた。そういえば、名前も知らないと気づき慌てて男の顔を見つめた。綺麗に整った顔の中で瞳がとりわけ美しく光っていた。
「すみません、名乗りもしてませんでした。咲子と言います。お名前伺ってもよろしいですか。」
男も名乗ることも忘れていたのか、一瞬片眉をかすかにあげた。
「慶弥だ。突然で悪いんだが、どこか泊めてくれそうな家はないか。」
当たり前だがこんな田舎に宿などないことはわかっているのだろう。
「私も居候なので、ご招待できなくて…。心当たりの家を何軒かまわってもよろしいですか?」
正直、助けてくれたのは助かった。なるべく力になれるようにしたいと思い、そう提案する。
一旦、薬を叔母に渡し、いくつか家をまわってくることを告げた。叔母の「一人で歩くよりいいね。」という一人言にも似た呟きで、やっぱり気付かれていたとわかったけれど、どう返していいかわからずに、外へ出た。
もしかしたら、と思う。叔母は私に干渉してこない人だと思っていたけれど、案外私のことを見ていてくれたのかもしれない。
家を訪ねる道すがら、都会の話や旅の話を聞いた。羨ましいといえば、村を出ればいいと返される。思わず笑ってしまってから、誤魔化すように続けた。
「出たくても出れないです。嫁ぎ先が外にでもあれば、話は別でしょうけど。」
隣を歩いていた慶弥さんが立ち止まった。つられて立ち止まると、答えたくなかったら答えなくていいと前置きしてから喋り出す。
「さっきの男は恋人ではないのか。」
言葉が咄嗟に出ず、俯いた。けれど、静かに首を横に振った。恋人ではない。少なくとももう、恋人ではいられない。
首を振る私をみて、考えるように首をかすかに傾けたのが、足元の影でわかった。
ぼんやりとその影を見つめる。
「村を出たいのか。」
慶弥さんの声が穏やかで、まるで心の奥底に染みるような心地がした。反発も何も感じず、素直に首を縦に振った。出たかった。遠くへ行きたかった。
「連れて行ってやろうか。」
驚いてあげた顔は、思ったよりも慶弥さんの近くで思わず後ずさった。
連れて行ってくれるという。どうして、と思う。その疑問が聞こえたかのように、慶弥さんは意地悪そうに笑った。
「私の嫁にくれば、連れて行けるだろう。」




