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百年の恋  作者: あおい
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私のものじゃない人

あの綺麗な人は、薬の行商をしているらしい。いつも質の良い薬を持ってきてくれるのだと薬屋のおばさんは喜んでいた。


私は、羨ましいと思った。自分の足で、力で歩めることが。


私は敗れた初恋が苦しくて、逃げたい。けれどそれはこの村からいつでも出られるあの人のような立場だったら、もっと早く癒える傷だったかもしれない。少なくとも、毎日他の人と幸せそうに過ごす姿を見ながら、毎日傷を抉られるように生きるこの場所よりは、早く楽になれたかもしれない。


ぼんやりと考えながら歩いた。だから、本当に会いたくなかったのに、気がつくのが遅れた。逃げ損ねたと気づく前に、私の右手は誠一郎さんの手の中にあった。


呼吸すら痛いような胸の疼きに無意識に左手を寄せた。痛みに対抗するように力を込めると、薬袋が歪むように動いた。触れている右手が、熱かった。そのことが、まだ愛している証のようで、嫌だった。はなして、という言葉は吐息だった。だから深く息を吸い込んでから、もう一度同じ言葉を発した。


誠一郎さんは目を丸くして私を見ていた。どうして驚いた顔をするのだろう。

私が拒絶したから?

だってあなたはもう他の人のものになるのに。今までと同じにいられないのに。


悲しみか悔しさかもわからない焦げるような感情に突き動かされて触れられていた右手を引いた。胸元の左手の上に守るように右手を重ねる。

守りたかったのは、自分の心だと思う。愛してしまったたために引き裂かれた心を、それでもバラバラに解けることだけはないように。


突然に感じたのは圧迫感だった。間を置いて、抱き竦められたのだと理解する。反射的に身を捩らせて逃げようとしたのに、驚くほどの腕の強さが私を捉えていた。

「はなして。」

3度目の言葉は体に回る腕をますます強めるだけだった。

「誰かに見られたら、困るのは貴方です。」

振り絞ったなけなしの矜恃が感情のままに叫ぶことを許さなかった。叫んで罵ってしまうことで、今よりもっと惨めな気持ちになることもちゃんとわかっていた。だから冷酷とも言えるほどに正論で諭した。


「祝言の、」

祝言の前に問題を起こしてはならないと、告げようとした言葉は、誠一郎さんの声にかき消された。ごめんという小さな呟きは私の言葉を奪うのに十分だった。


謝らないでと心が叫んだ。私たちの関係が勘違いでなかったと、そのたった一言でわかった。けれど、謝るくらいならどうして?せめて、あなたの口から直接聞きたかった。終わりだと、そのたった一言さえあれば、まだ諦めもついたのに。

私の中にぐるぐるとひたすら責める言葉が続く。私の中にこんなに激しい感情が眠っていたのかと驚くほどの、私すら知らない激情だった。


でももう、終わりたい。

この恋を葬りたい。

感情すら私に逆らって、こんなに自身を持て余して苦しいだけなら、いっそ記憶ごと消してしまいたい。


だから必死に両手で誠一郎さんの胸を押し返した。誠一郎さんから腕を伸ばされたのも、私が誠一郎さんを拒絶したのも、この時が初めてだった。

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