謝罪
「ちゃんと来てくれたのね。偉いわ」
「謝れるなんてさすがは小学生ね」
「正直だわ。すごいわね」
安彦の頬が緩んだ。他の二人はどんな表情をしていたのだろう。叱られると覚悟していたのに逆に誉められ拍子抜け甚だしい。
「私達が登園すると保育園に誰かが入った形跡があり、警察に連絡しようとしたんだけど、鏡にも指紋がついているし、やっていることが悪戯だったから、まずは小学校に連絡することにしたのよ」
園長先生が笑顔で言う。
「そしたらこんなに早く自分達から謝りに来てくれるなんて。感動しました」
こんなに早くだなんて……。一瞬でバレてしまっただけだ。チーズで鏡に書かれた落書きはそのままにしてある。
「あなた達が謝りに来なかったら、警察に連絡しようと思っていたのよ」
そうならなくて本当に良かったと安彦は心の底から思った。警察に逮捕され、少年院で生活するのは避けられた。いや、避けられそうなのだ――。
それ以外なら、いくら怒られても、どんな罰でも受けようと覚悟ができていた。
「じゃあ正直に謝りに来たんだから、昨日、何をしたかも正直に言ってちょうだい。まず、玄関になにか貼り付けてあったわね。あれは誰がしたの?」
三人とも黙り込んだ。後ろに並んだ担任の先生は一言も喋らない。自分達の口から言えということだろう。
……意外にも厳しい罰なのかもしれない。
沈黙を破ったのは安彦だった。いずれはバレるのだ。いや、もうバレているのだ。だったら正直に話すしかないと思っていた。
「あれは孝一くんがやりました」
「じゃあ、更衣室に入ったのは、孝一くんだけなの?」
「いえ、安彦も和人も入りました」
孝一も素直に言う。ちょっとでも自分をいい子に見せるための暴露大会になりつつあった。
「じゃあ何を張り付けたか正直に言えるわね」
幼稚園の先生は皆笑顔だが、三人は口ごもる。正直にパンツを貼り付けたと言いたいところだが、一人だけ若い先生がいるのだ。
「……悪戯で……パ、パ……パンツを貼り付けました」
「ちゃんと言えたわね、偉いわ。先生も驚きました。玄関を開けようとしたら、女性物の下着が中から張り付けてあるんですもの」
困った顔を見せるが、この先生の物ではないようだ。かといって、一番若い先生も……平然とした顔をしている……。
三人はうつ向きながら……頭や顔に被って遊ばなくて本当に良かったと思っていた。
「ところで、どうやって鍵が掛かっている保育園に入ることができたのかしら。鍵が掛かっていなかった?」
「掛かってましたが、孝一君がトイレの上の窓から入りました」
自分に罪は無いかのように、安彦はスラスラ答える。
「じゃあ他の二人はどうやって入ったの」
「孝一君が遊戯室の鍵を開けてくれました」
和人もスラスラ言う。
「誰か「止めようよっ」と言わなかったの」
三人が黙り込むと、ため息が周囲から沸き上がる。
「やってダメだと分かっていることはやってはいけませんよ。鏡にもイタズラ書きがしてあるけど、食べ物も粗末にしてはいけないことは知っていますね」
「はい」
保育園児に戻ったような感覚にとらわれた。体は大きくなり、小学生になったが、やっていることは昔と変わらない。悪いことをして見つかって叱られる。安彦は恥ずかしくて逃げ出したい衝動にかられていた。
「じゃあ自分達で汚した鏡を掃除してもらいましょう」
バケツと雑巾が三枚用意されていた。三人は顔を見合せ、無言で雑巾を手に取り、昨日書いた落書きを消し始めた。
チーズで書かれた落書きはなかなか消えなかった。
先生同士が少し話し合い、盗んだものを今日中に保育園へ持ってくるという条件で三人の罪はこれ以上問わないことが決まった。
鏡も綺麗になり、帰る間際に園長先生が訪ねてきた。
「調理室に血のような痕が落ちていたけど、なにか知っているかしら」
その声で先生達は皆顔色が少し変わったように見えた。
「あー、それなら和人君と包丁でふざけて遊んでいた時にかすったやつです」
安彦が言い終わるのと同時に和人が絆創膏の貼られた指を見せる。もう血が止まっているのをアピールしたのだが、
「――そんな危ないことをしてはいけません!」
急変して怒る先生に対し、三人は戸惑った。
かすり傷なのに……。なにかを壊したわけでもないのに……。
「もし大怪我をしていたらどうするの? 包丁は玩具じゃないのよ」
初めて叱られていると意識した。うつ向いてなにも言えない。園庭から園児達の楽しそうな声だけが聞こえていた。
「あなた達はもう小学生なんだから悪いことと良いことの区別くらいはできるでしょ。悪い事と知っていてやってはいけません。――分かりましたか」
「はい。どうもすみませんでした」
「「すみませんでした」」
三人が深々と頭を下げると、園長先生達はまたニコリと微笑んだ。
「またいつでも遊びにいらっしゃい。でも、勝手に中に入ったり、悪いことをしてはいけませんよ」
最後に校長先生も深く頭を下げ、セロテープだけがまだ着いている玄関から外へと出た。
秋の風が心地良く、安彦は両手を上げて伸びをした。
「――バカもん。反省が足りん!」
小野田先生が安彦の頭を叩くのだが、体罰などとは無縁なのだろう。
他の生徒には、僕達三人だけは勉強の個人補習を職員室で受けていた事になっていた。問い詰められたりすればすぐにバレるのだろうが、学校内では誰も保育園の話をしなくなっていた。実は三人が保育園へ謝りに言っている間に、川宮先生あたりが作り話を各教室で説明していたのかもしれない。
居心地の悪い教室は、昼過ぎにはいつもの教室に戻っていた……。
学校から帰ると安彦は、さっそく接着剤を保育園へと届けた。そして若い先生にまた誉められて頬を赤くした。
「ちゃんと来てくれるなんて偉いわ。もうあんな悪戯しちゃダメよ」
「……はい。すみませんでした」
安彦は四角い箱に入った新品の接着剤を手渡し、二度と人に迷惑を掛けるような事はしないと心に誓った。
母にはこっぴどく怒られた。
途中から何を言っていたのか安彦が忘れるほど長く叱られた。覚えていることといえば、孝一と和人とはもう一緒に遊ぶなという事くらいだった……。
父親には頭に拳骨をされたが、その後は父の小さい頃の悪戯を武勇伝のように聞かされた……。
「お父さんが一番叱られたのは中学校のボヤ騒ぎ事件だったな。ストーブを何度も点けたり消したりして教室中に煙を充満させ、一気に窓を開けたら消防車がサイレンを鳴らしてスッ飛んできた――」
瓶からガラスコップにビールを注ぎ、ピーナッツを頬張りながら言う。
「父さんだってバレた? 怒られた?」
「ああ、そりゃそうさ。担任の先生が「誰だこんな事をしたのは――、……聞かんでも分かるがな」と言ったときにはズッこけたさ、ハッハッハ」
安彦の父も小さい頃は悪戯者であり、それを誇りにしているように聞こえた。
「でも、小さい頃だけだ。大きくなって悪い事をしていたらそれは子供と同じだからな」
「……うん、分かった」
悪戯は中学三年生までやっていいのか……と安彦が誤認識したのは、父のその言葉のせいであったかどうかは定かでない。
夜、布団に入ると安彦は目を閉じて考えた。隣では兄が既に寝息を立てている。
孝一君も和人君も家で怒られたのだろうか……。孝一君のお父さんは恐そうだ。和人君のお婆ちゃんはどうなんだろう。悪戯を通じて安彦は色んなことを知った。
おもちゃでもお金でもなく、幸せとはなんなのだろうか。……正しいことだけをしていても得られるものではないのかもしれない。
だが、……悪いことをしてせっかくの幸せを失ってはならない。こうして昨日と同じ布団で眠れることも……十分幸せなことなのだ。
僕達三人が保育園へ侵入したと最初に感づいたのは、川宮先生なのかもしれないなあ……。
兄の寝息を数回数えたところで安彦も眠りについていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
この物語は……フィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
……なので、改善点やコメント、誤字報告などもどしどしお寄せください。感想、ポイント評価、面白かったのならレビューもお待ちしております。