誘導尋問
次の日――。
保育園に泥棒が入った噂は、毎朝行われる「朝の会」までに広まっていた。保育園の前を登校する班が一早く情報を広めたのだ。
小野田先生はいつものように朝の会が終わると職員室へ戻る。保育園の話には何も触れなかった。
「おいおい、昨日保育園に泥棒が入ったらしいぜ」
クラスのお調子者である智也は机の上に座り、まるで見てきたように話す。安彦はできるだけ目を合わさないようにうつ向いていた。
いつもなら食い付いてくる筈の安彦の様子がおかしいと智也も気付いた。
「安彦君。もしかして保育園に入ったんじゃない?」
――耳の後ろまで一気に熱くなる。
「入るわけないだろ! 証拠でもあるのか!」
「いや……ないけど。そんなにムキになることないだろ」
驚いた智也がそう言うと、教室に静けさが訪れた。
安彦はたまらず立ち上がり、廊下へと出ていった。その行動も全て怪しまれると思ったのだが、他にどうしようもない。
始業のチャイムはまだ鳴らない。安彦がトイレへ向かうとトイレの前で孝一と和人と出会ってしまった。
「やばいよな。もう先生も知っているんだろうな」
「ああ。なにがあっても秘密だからな。絶対に喋るなよ」
安彦は返事ができない。このまま隠し通せる自信がなかった。
「おはよう。もう授業始まるわよ」
挨拶をしてきたのは二年生の担任である川宮先生だった。
去年まで安彦の担任だった川宮先生は、今年三十路を迎える。若くて美人……とまでは言えないかもしれないが、どの先生よりも人気が高かった。
そんな川宮先生に後ろから声を掛けられ、三人は適当に挨拶をしてその場を去ろうとしたのだが――、
「あなた達、昨日、保育園に泥棒が入ったの知ってる?」
後ろからそう言われ、三人の尻の穴がキュッとすぼむ。
「え、そうなんですか。知らなかったよなあ和人」
「うん。誰なんだろう」
下手くそな演技。安彦は先生から顔を背けることしかできなかった。
「ふーん。じゃあいいわ」
出席簿を胸に抱えたまま階段を降りていった。振り返りもしない。
「危なかったな。僕達の話が聞かれてはいないだろうけど……」
「ああ、チョロいもんさ」
チョロいなんてとんでもない――。学校、家、どこにいてもこの話題になる度に身構えなくてはならない。不安と緊張ばかりだ――安彦は奥歯を噛み締めた。
始業のベルが鳴り、三人は教室へと戻った。
一限目の国語は急に自習になった。小野田先生は課題を一通り黒板に書く。その課題に生徒からブーイングが飛び交う。
「えー、「飛び込め」をノートに写してどうするんだよ」
「そうですよ先生。なんの意味があるんですか」
小野田先生は生徒に人気がない。勉強のスタンスが一昔前のジンジョウコウトウガッコウのようなのだ。
「うるさい! さっさと写せばいい。終わったらもう一回写すんだ」
当然だが誰一人としてそんな課題をするものはいない。今年の四年生は学級崩壊していた。
まさか自分達のせいで一限目が自習になったということに安彦は気付いていなかった。小野田先生が教室を去るときに、思い出したかのように告げた。
「あと、三谷だけ職員室へ来なさい」
「え、僕だけですか?」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、教室前方の扉から小野田先生の後を追った。
昨日の事を一人一人聞いていくのだろうか。だが、なぜ僕からなんだ? 出席番号順なら智也君が一番の筈なのに……。頭の後ろがチリチリするような緊張を覚え、安彦はアリバイを必死に考えた。
職員室へ入った途端、頭裏のチリチリ感は頭頂まで一気に駆け上がった。警察がいたわけでも、保育園の先生がいたわけでもない。
だが、孝一と和人がそれぞれの担任の前に立ち、話をしていたのだ――。
小さい声で何を話しているのかは聞こえないが、昨日の事を聞かれているのは確実だ。職員室に入った安彦を二人がチラ見した。
「昨日、保育園に泥棒が入ったと連絡があったが、お前は知っているか?」
「え、そうなんですか? 知りませんでした」
汗が背筋を伝い、それを初めて冷や汗だと知った。
「……他の者はみんな白状している。隠しても為にならんぞ」
椅子に腰掛けて腕組みをし、そう問い詰めてくる小野田先生の目は鋭い。髪には半分白髪が混じり、フケが無数に乗っかっている。
智也君が前にそれを馬鹿にしていた覚えがある。安彦は少しでも違うことを考えたかったのだが……。
「……ごめんなさい。僕もやりました」
自白迄の早さは三人で何番目だったのだろうか……。
「他に誰がいた」
一度和人と孝一を見る。あの二人も同じことを聞かれて白状しているのなら、嘘をついてもすぐにバレる。そうすればさらに叱られるだろう……。
「……孝一くんと和人くんです」
小野田先生は立ち上がり、教頭先生の方へ歩いていくと、他の先生も一旦教頭の方へ集まった。
共犯者に視線を送ると、二人共も目が泳いでいる。アイコンタクトだけでは即興で昨日のアリバイを作ることなんてできない。
小野田先生は座り直し、A4の用紙を一枚机の上に置いた。
「もう他の二人とも白状しているから嘘を言っても無駄だぞ。なにをして、なにを盗ったのか正直に言ってみろ」
「なにも……盗ってません」
小野田先生は「何も盗っていない」とメモ書きをした。安彦の言うことを信じているのだろうが、それが嘘だとバレるのに数分も掛からないだろう。第一、保育園から無くなったものが連絡されていれば、なにを盗ったのかは聞かなくてもわかるはずなのだ。
三回目に先生同士が集まった時その嘘がバレてしまい、小野田先生は強く睨んで言った。
「嘘をついても解ると言っただろ! ――アホ、いい加減にしろ!」
安彦にはもう、謝ることと本当の事を包み隠さずに言う他になかった。
全てを話した。チーズでイタズラ書きしたことも、接着剤を盗んだことも、そして更衣室の中から下着を出して玄関に吊るしたことも全てを話した時、安彦は涙と鼻水を垂らしていた。
「両親は知っているのか?」
首を左右に振る。言えるわけがない。
これで全てがバレてしまい警察に捕まる――。
もしかすると、今日からもう家に帰れなくなってしまうのかもしれない。そう考えると、安彦の目からはさらに涙が流れ落ちた。孝一も和人も泣いていないのに、一人だけ泣き出してしまい恥ずかしくてたまらなかったのだが、我慢しても涙を止めることはできなかった。
チャイムの電子音が職員室に響き渡る。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
校長先生がそう言うと、三人の犯罪者とそれぞれの担任は職員室を出た。
先生は校長先生の車に乗り、孝一と安彦と和人は小野田先生のバブリカに乗せられた。バブリカは護送車の様な乗り心地であったのだが、到着したのは警察ではなく桑川保育園だった。
園児の楽しそうな声が園庭から聞こえてくる。バブリカを降りた三人の足取りはかなり重かった。
「保育園の先生に自分達で全部白状して謝りなさい」
孝一の担任がそう言って、三人の背中を押す。校長先生は先に保育園の玄関から中に入った。
玄関のガラスにはセロハンテープだけが残っている。三人が同時に入ると、保育園の先生が四人玄関に立ち並んでいた。
「さあ」
そう先生に言われると、孝一と安彦と和人は口々に謝った。
「すみませんでした」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
頭をバラバラに下げる。「いっせいのーで」と掛け声でもあれば揃ったのだろう。
強張った表情で見ていた幼稚園の先生の口が次々に開いた……。