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職員室


 職員室には先生の机が四つ置かれている。本棚には所狭しと文房具が置かれているのだが、安彦には欲しい物などなかった。

 ただ早く帰りたい。「ただいま」と言って家に帰り、今まで通り夕食を家族で食べたかった。

「何もないなあ。そっちはどうだ?」

 孝一の声で止まっていた手をまた動かす。引き出しの中には、事務用品やファイルしか見当たらない。

「パソコンなんて持って帰れないしなあ」

 和人が一通り引き出しを見終わり、そう呟きながら本棚を見ていった。

 ふと安彦は一番上の引き出しの中にある茶色い紙の封筒に気が付いた。その大きさと厚さ、触ると中身が少し折れ曲がる独特の弾力性。急に唇が熱くなる。


「お金とか入ってないか?」

 孝一の言葉に心臓が反応する。手元は見えていない角度の筈だ。

「こ、小銭が数円あるだけだ」

 封筒を引出しの奥へ押し込むと、孝一が近付いてきた。

「暗くてよく見えないからなあ。電気でもつけるか?」

「それはマズイよ」

 和人がそういってくれて安彦は大きく息を吐く。頭の中は先程の封筒の事しかない。あの封筒が見付かっては駄目だ。


 ――越えてはならない一線を越えてしまう――。


「仕方ない、この接着剤でももらって帰るか」

 孝一は本棚を開け、箱に入った新品の工作用接着剤を取り出した。

「あんまり良いもの無かったな」

「ああ。まあ暇潰しにはなったからいいか」

 新品の接着剤を一箱、安彦へと差し出す。

「……ありがとう」

 出来るだけゆっくり引出しを閉めながら接着剤を受け取った。いらないとは言わなかった。今日という日の記念だ。


 ……一生忘れないだろう。



 遊戯室の鍵を開けて外へ出ようとする。孝一が鍵を掛けてトイレの上の窓から最後に出れば脱出成功なのだが、辺りはすでに暗くなっており、人が来るような気がしない。


 安彦が先に遊戯室から出ようとしたその時、来訪者を告げる鉄板を踏み鳴らす音が高々と聞こえたのだ。


 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン――。


 ――!

 慌てて遊戯室へと転がり込み扉を閉める。鍵を掛ける時間もなく、安彦は必死に頭を下げて祈った。

 窓の外から園庭を歩く足音はどんどん大きくなり近付いて来る――。

 駆け足で鉄板を踏み鳴らして来たことから、大人ではない事は分かる。――しかし、遊戯室の扉や窓から中を覗かれれば、息を殺して潜んでいる僕達の姿は一瞬で見付かってしまう――。


 額を汗が伝い木の床へと落ちる。奥の方では孝一と和人が息を潜め見守る。


 カラスの鳴き声が園庭に響き渡ると、その声に怯えたのか足音はゆっくり離れていき、鉄板を踏んで帰っていく音が聞こえた。


 ハア、ハア、ハア、ハア……。

 安彦の荒い息づかいだけが遊戯室に響き渡った。

 突然の来訪者が見えなくなったのを確認すると、孝一と和人が近付いてきた。

「危なかったな」

「早く今のうちに出よう」

 和人が扉を開けて先に外へと飛び出した。

「誰だった?」

「お前の兄貴だ。遅くなったから探しに来たんじゃないのか?」

 安彦の兄と孝一は同い年だ。明日も孝一は学校で顔を会わせることになる。


 扉から園庭へ出ると孝一は内側から鍵を掛けて、侵入してきたトイレの上の窓から出て、とりあえず脱出は成功した。

「……兄ちゃんになんて嘘をつけばいいんだろう」

「三人で山登りをしていた事にするぞ。万が一、自転車を見た奴がいても、裏山に登っていたならアリバイが出来る」

「分かった」

「いいな、――絶対に今日の事は秘密だからな――」

「「うん」」


 孝一と和人と別れ、安彦は家に帰った。



 自転車を玄関扉の中に入れながら、「ただいま」と言うと、「お帰り」と母の返事が聞こえた。

「ヤス、今日はどこへ遊びに行ってたんだよ」

 急に兄が部屋から出てきてそう尋問する。

「孝一君と和人君と裏山に登って遊んでいたのさ」

 自転車を停める手が小刻みに震えた。

「自転車はどうした。裏山に登るならいつも幼稚園の表に停るだろ」

「え、ああ、停めていたよ。端の方に停めていたから見付けられなかったんじゃないの」

 靴を脱いでさっさと家に上がる。兄の横を通り、いつも以上に声を上げて晩御飯を確認する。

「あー、お腹空いた。今日の晩御飯はなに?」

「カレイよ」

「カレーだって、やったあ」

 母の返答に大きく返事するのが、少しワザとらしい。

「カレーじゃなくてカレイの干物よ。魚のカレイ」

「……なーんだ」

 普段通りを装ったが、それが逆に不自然な振る舞いをしているようで、家の中が居心地悪く感じた。


 一体いつまでこんな居心地の悪い気分が続くのだろう……。いつかはバレてしまう気がする。だったら正直に早く謝った方がいいんじゃないだろうか。……でも、警察に捕まったらもう家にも帰ってこられなくなるかもしれない……。


 安彦は布団の中で今日やった悪事を思い出した。


 誰もいない保育園に侵入した。

 シールを無駄使いした。

 チーズを盗み食いした。

 食べ物を粗末にした。

 職員室の接着剤を盗んだ。


 やったことは全て犯罪だ……。


 和人がウサギを殺した事を知った。

 和人と孝一は僕なんかよりたくさん苦労していると知った。

 二人とも神様なんか信じていないんだ。


 ロッカーに新品のパンツが置いてあり、それを玄関に吊るした。

 鏡にチーズで落書きをした……。

 ……明日がくれば……誰かが見付けて必ず大騒ぎになる……。


 ――僕達の過ぎた悪戯のせいで――。


 安彦は震えた……。――今からもう一度保育園に行って、元に戻せはしないだろうか。なにもやってない事にできないだろうか。そうすれば全部が元通りで、怯えてご飯を食べなくてもいいのに――。

 布団から起き上がるが、立ち上がりはしない。安彦にはあのトイレの上の窓から侵入する力も度胸もない。第一に外はもう真っ暗だ。


「ヤス、これどうしたんだ」

 いきなり座敷の襖を開けたのは兄だった。手には新品の箱に入った接着剤が握られている。勉強机の引出しの奥に隠しておいたのに、勝手に開けて見つけたのだろう。

「今日……買ったんだよ。平岡商店で」

 平岡商店は家の向かい側にある小さな文房具屋さんで、駄菓子なども売っており、ほぼ毎日お菓子を買っている。

「ヤスはそんなにお金持ってないだろ。貰った小遣いもすぐ使うくせに」

「そんなことないもん。買うために貯金してたんだから」

「どこで」

 貯金箱などない。安彦の机の中は全て兄が把握していた。

「……兄ちゃんの知らないところさ。言うもんか」

 布団を頭から被った。

 兄は襖をしめて歩いていくが、その行先は分からない。親に問い掛けられればもう終しまいだ。

全てを話して謝るしかない――。


 怒られる……。当然だ。

 そしてそれは同時に友達二人もバレて怒られることになる。


 襖が再び開いて座敷に光が射し込む。安彦は布団にうずくまったまま動けなかった。襖は閉まり、隣の布団に兄が入った。

「元のところに戻しておいたからな。おやすみ」

 安彦は返事をせず、狸寝入りを続けた。


 今のうちにバレてしまった方が良かったのかもしれない。

 ――いや、これならバレないまま普段の生活に戻れるかもしれない。そんな事を考えているうちに眠りついていた。


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