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更衣室


 調理室と同じように、外からは見えないもう一つの狭い部屋。さらには窓にも黒いカーテンがあり、薄暗さが三人の好奇心を更にヒートアップさせる。


 スチール製のロッカーが立ち並ぶその部屋は、三人が入るには狭すぎた。

「こんなに狭いと一人が着替えるのがやっとだなあ」

「じゃあ他の先生は職員室とかで着替えるのか?」

「そんなわけないだろ。順番で着替えるのさ。それより……」

 孝一の手が一つ目のロッカーの取っ手を回した。

 鍵も掛かっておらず、「ガチャリ」と独特の音を立てて扉が開く。暗闇の中、目を凝らして三人が中を覗く。安彦がゴクリと唾を飲み込む。

 孝一の手が手探りで掴み出した物。それは大人サイズのスモッグであった。子供サイズのスモッグは三人とも着た経験済みだ。お絵描きや工作の時に必ず着なくてはならなかった。

「……なんだよ。他に着替えとか入ってないのか?」

 安彦の手が孝一を押し退けてロッカー内をまさぐる。和人がほんの少しカーテンを開けると、その掴み出した白い布切れを照らし出す。


 ――給食用の割烹着だ。三秒で判断がついた。


「他にも傘やカッパしか入ってないじゃんか」

 拍子抜けした三人は次々にロッカーを開けたが、次のロッカーも、次のロッカーも入っている物はほとんど同じだった。


 興奮して損した……。そう思いながら安彦が最後に開けたロッカーだけは別であった。

 スモッグが新しい。割烹着が真っ白い。なによりも、中からなんとも言い難い甘くていい香りが漂う。

「こ、このロッカーだけ違う!」

 安彦は思わず窓のカーテンを開け、中に入るかのような勢いで物色を始めると、上の網棚に乗っている物に気が付いた。

 透明なビニールに入った四角く薄い物。安彦にとってはそれはチーズ以上の宝であった。

「――パンツだ。新品の……」

 封を開けると黒いレースの薄い下着が全容を現せた。

「すげー、大人のパンツだ」

「こんなに薄いのか。しかも黒色とは……いやらしい」

 三人は順番に手にとり、その質感を確かめる。

「でも、うちの母さんのはこんなんじゃないぞ。もっと分厚いし、もっとゴムが緩い」

 ゴムが当たるところをボリボリ掻いている母を想像しながら語る安彦には、他の二人に母親がいない事になんの配慮もしていなかった。

「……」

 新品の下着はロッカーの甘い臭いと異なり、石油製品特有の臭いがした。亜津美ちゃんのや、深雪ちゃんのであれば迷うことなく持ち帰っただろう。新品の大人の下着には、持ち帰る価値を見出だせなかった。

「これ……どうする」

「……別に要らないよ。持って帰って見つかったら怪しまれるし」

「じゃあ秘密基地に置いておけばどうだ」

 和人の提案も却下された。無理に危険なものを持ち込む必要はない。


「……何処かに貼り付けておくか」

 孝一のイタズラ心にまた火が点いた。

「遊戯室のステージの上とか、ピアノに挟んでおくとか」

 黒い下着を持って更衣室から出る。辺りの暗さから三人の警戒心は徐々に薄れ始めていた。

「明日、園児が来てパンツがぶら下がっていたら驚くだろうなあ」

「それに、先生も恥ずかしいだろうな」

 安彦はその場面を想像して顔が緩んでいた。


 孝一は職員室の机の上からセロハンテープを一枚切ると、玄関へ向かっていった。

「もしかして、そんな目立つところに……?」

「ああ。ここなら先生より先に来た園児が見付けて大騒ぎ間違いなしだ」

 桑川保育園では園児が入り口で鍵を開ける先生を待つのが常だった。決して先生の出勤が遅いわけではない。共働きの家では一刻も早く保育園へ子供を連れていき預けたいのだ。

 黒く薄い下着はセロハンテープ一枚でもしっかりと固定された。

「これでオッケーだな。じゃあ後は職員室だけ見て帰るとするか」

「ちょっと待って。更衣室の奥にあった段ボールを調べてもいいかな」

 安彦がまた更衣室へ入っていった。

「あいつ……本当にスケベだなあ」

 和人にそう言い、孝一も仕方なくそれに従った。


 更衣室のロッカーと窓の間に詰め込まれている一メートル位の段ボール箱が、安彦には不自然でたまらなかったのだ。狭い更衣室を更に狭くしている。ただの箱なら職員室でも遊戯室のステージ下にでも置いておける筈だ。

「先生しか入れない更衣室にわざわざ置いておくって事は、園児に見付かっちゃいけない物が入っているはずだ」

「そのわりには埃だらけだがな」

 安彦は埃の被った段ボールに貼ってあるガムテープをそっと剥がした。

 中から少し姿を見せたのは、小動物を飼えるような四角いカゴだった。そのかごを見た途端、

「僕、ちょっと見張りをしてくるよ」

 和人が廊下の方へ逃げるように走っていった。

「なんだこれ、ただのカゴじゃないか。てっきりパンツとかが一杯入ってると思ったのに」

 孝一の顔は少しだけ険しくなった。

「でも、なんでこんな場所に隠しておくのだろう。前みたいに外に出して何か飼ってあげればいいのに」

 安彦は記憶の片隅をたどり、自分が保育園にいた頃にこのカゴで何を飼っていたかを思い出そうとした。


 カゴに群がる友達……。順番に温かい動物を触ったり、抱っこをした記憶が断片的に浮かび上がる。

 安彦が年中の時にカゴと一緒に保育園へ運ばれて来た小動物――。

「あ――ウサギだ。白くてフカフカしていたウサギが一匹入っていたんだ」

 孝一は始めから覚えていたようにゆっくり頷いた。

「……そうだ。ウサギだったな」

「でも、あのウサギはどうなったか忘れたなあ……。名前も付いてなかったっけ」

 安彦が孝一に聞くと、孝一は更衣室から見張りをしている和人の位置を確認して小さな声で言った。


「あのウサギ……次の日に死んだ」


 次の日に……死んだ?

「――え、なんで」

 その事実は聞かされていない。死んだのであれば、そんな悲しいことを決して忘れたりはしないはずだ。

「和人が首を絞めて殺したんだ。今日と同じような休みの日に」

「――」

 ウサギのカゴは幼稚園の外、雨の当たらないひさしの下に置いてあった。鍵が準備出来なかったから月曜日まで触ってはいけないと指摘されていたが、誰もが保育園を訪れた。


 安彦が遊びに来た時には、誰もいなかったしウサギのカゴも姿を消した後だった。「ウサギは遠い所へ行きました」という先生の言葉を信じ、いつの間にか忘れてしまっていた。

「嘘だろ孝一君。そんな、ウサギを殺してもなんにもならないじゃないか」

「わしが朝早く来たときに、和人と先生がいるのを見たんだ。休みの日なのになんで先生が来てるんだと思って近付いたら、先生と和人の間で白いウサギが静かに横たわっていた」

 孝一は上を向いてその時の光景を思い出す。

「わしがなんでそんな事になったんか聞いても聞いても先生は教えてくれんかった。でも和人は涙一つ流してなかった。悪気があってやったんじゃない。殺そうと思って殺したんだ」

 孝一の表情が見えないくらい辺りは暗くなっていた。

「なんでだよ。和人は何を考えているんだよ」

 安彦の頭には和人が毛虫を竹馬で踏み殺していた情景が思い浮かぶ。

「毛虫もウサギも一緒なのか?」

「分からん。ただ一つ言えるのは、あいつはあいつで苦しいときだったのさ。わしには言ってくれたが、和人の両親が最後に家を出た時は、「帰ってくる」と言ってくれたそうだ。でも今は何処で何をしているかすら分からず、生きているか死んでるかさえも知らないらしい。それがちょうどウサギを殺したのと同じ頃だったのさ」

 安彦には理解できなかった。


 和人が毛虫やウサギを殺した理由なんて。


 それと、チーズで落書きをする孝一もだ。


 只一つ分かるのは、孝一と和人は分かり合えるているところ。安彦には明かしていないことも孝一と和人は話せるのだろう。

「孝一君はどうなの。お母さんいないけど、どうしてなの」

 小学四年生には聞いて良いことと悪いことの判断なんて出来やしない。孝一はそれを一笑いして語りだした。

「ハハハ、教えてやるけど絶対に人には言うなよ。うちはただの離婚さ。親父に愛想を尽かして逃げていったのさ。親父が言ってるんだから間違いない。もう顔も覚えてないや」

「寂しくないの?」

「勿論」

 嘘だ――。

 孝一君が運動会の時や、少年野球の試合の日などで一人寂しそうに弁当を食べているのを安彦は見てきている。弁当といってもコンビニのおにぎり一個だけだ。

「さあ、こんなくだらない話しはやめて、そろそろ最後の職員室を探検するか。和人もずっと一人じゃ暇だろう」

 孝一が立ち上がり、更衣室から出ようとして突如立ち止まった。


 和人が立っていたのだ。


 キラリと光る物を握っている。

 ――調理室の包丁だ――。


「――か、和人君!」

 安彦の声が裏返る。孝一は冷静に見つめ続けていた。


「僕の事、なにも知らないくせに――! ウサギを殺したのだって僕のせいじゃない――!」

 包丁を両手で構えるその姿は、先程の遊びの時と同じ姿だ。だが目が違う――。和人は話を全部聞いていた。

「じゃあ誰のせいなんだ。言ってみろよ」

「うるさい! あれは殺したくて殺したんじゃない。触ろうとしたら急に噛みついてきたんだ。それが痛くて、腹が立って……」

「首を絞めて殺したんだろ」

 孝一は和人の握る包丁に全く怯えていない。絶対に刺されない確信でもあるようだ。安彦は膝がガクガク震えていた。


「いいじゃないか。ウサギの一匹くらい」


「え?」

 和人は孝一の顔を覗き込む。

「昔の人はウサギを食べていたんだし、狩りをする人だって鉄砲で撃ち殺している。和人の苦労に比べればウサギの一匹くらいどうってことないさ。安彦は天国とか地獄とか信じているけど、そんな事で決まるのならわしや和人は天国に行けないと割に合わない。違うか?」

 和人は黙って頷いた。

「早く包丁を片付けてこい。職員室を探検して帰ろうぜ」

 和人は走って調理室へ向かった。安彦へ片手を差し出して引っ張り立たせる。

「あ……りがとう」

 なにに対してか分からないが、安彦は孝一に礼を言った。言わずにいられなかった。

「今の話も内緒だからな」

 安彦にはそれがウサギの話なのか、包丁を持っていた話なのか、どちらか分からなかった。


 どちらにせよ……絶対に誰にも言わないと誓った。



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