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潜入


 ジャングルジムの鉄格子にずっと座って話をしていたから、尻が痛いと思い始めた頃だった。

「保育園のトイレの上の窓の鍵って、昔から無かったよなあ」

 中が見えない建物の磨りガラスの部分を見ながら孝一が思い出したかのようにそう言った。外からは見えないが、中からみた風景を安彦は思い出す。

「うーん、たしか無かった。夏に先生が木の棒で開け閉めしていた記憶がある。鍵を掛けたりはしてなかったと思うけど」

「竹馬の棒で確かめてみたらいいじゃないか」

 和人は猿のようにジャングルジムからスルスル降りると、放置してあった竹馬を拾った。

「ぶつけたらガラスが割れてしまうぞ」

 ガラスは割ってはいけないことくらいは三人とも自覚していた。しかし、三人にはこれから更に悪い事をしようとしている自覚は無かったのかもしれない。


 カラカラカラ……。

 トイレの上の段の窓は静かに開いた。今も鍵は付けられていなかった。


 孝一と安彦もジャングジムを素早く降りる。

「でも、どうやってあの高さまで登るんだ。足を使うと下のガラスが割れてしまうぞ」

 安彦の心配は思い過ごしであった。孝一は窓枠を掴むと、難無く上の窓へ上半身を突っ込む。鉄棒運動は得意そうだ。

「孝一君、凄い!」

「それより表を見てこい。誰か来たら知らんぷりをするんだぞ。それと、自転車を隣のボロ家の隙間に隠してこい。わしのもだぞ」

 その声に安彦と和人は同時に保育園の表へと駆け出した。


 保育園の横には溝蓋の鉄板が敷かれている。普通に歩くだけで割と大きな音が鳴る。出来るだけそこを静かに走り抜け、保育園の角から表をそっと見るが……これまでとなにも変わらない。誰もいない。前の道を横切る人さえいない。

 自転車を隠して二人が裏側へ戻ってきたとき、孝一が遊戯室の大扉の鍵を内側から開けていた。

「早くは入れ。内側から鍵を掛けるぞ」

 トイレの上の窓は既に閉められていた。中に入って隠れれば誰かが来ても気付かれない。

 靴を脱いで手に持つと、遊戯室へ上がった。

「やった、やったぞ」

 興奮する安彦と和人に孝一は冷静に言う。

「静かにしないか。表には誰もいなかっただろうな」

 口を手で塞ぎ、込み上げる笑いを堪えながら頷く。三人は外から見えないようにしゃがんで移動した。


 上から見ると「L」の文字の形をした桑川保育園に教室は三つしかない。表側にある廊下の窓から覗きこまれれば、しゃがんでいても見付かる可能性がある。

 孝一は一人を見張り役にしようと言い出したのだが、誰もその役をやりたがらなかった。

「交替でやればいいじゃないか」

「じゃあ最初は孝一君がやってよ」

「ジャンケンに決まってるだろ」

 少しずつ声が大きくなっていく。安彦は早く遊びたくて堪らなかった。

「ジャンケン……ポン」


 最初に貧乏クジを引いたのは孝一であった。


「ちっ。じゃあ十分で交替だからな。それと、誰か来たらすぐに合図するから隠れるんだぞ」

「分かった」

 孝一は自分より年下の二人を不安気に見ると、表側が見張りやすい廊下へと移動していった。


 安彦は早速、遊戯室内で乗り回せる車に飛び乗った。

 保育園児の時にはいつも乗りたくても乗れなかった車だ。裏側に4つコロが取り付けてあり、足で床を蹴って進むだけのシンプルな物なのだが競争率が激しく、乗る為には保育園が開く前から入り口で並んでいなければならない。

 朝の挨拶が始まれば、その遊具は使ってはいけなかったのだ。皆が必死で取り合った遊具に堂々と一人で乗れる優越感に安彦は浸っていた。

「代わって」

「……」

 和人のその一言が優越感を劣等感へと転換させる。小学生には幼稚な玩具なだけに、素直に嫌だとも言えない。

「……いいよ」

 安彦はゆっくり降りた。次の見張り役は安彦に決まっていたので、せめてそれまで堪能したかった。

 仕方なく大型のトランポリンに乗って何度もジャンプを繰り返す。和人の乗った車の玩具は、車輪がぎこちない音を立てている。明らかに体重オーバーなのだ。

「あまり無茶な事をしたら壊れるかも知れないぞ」

「安彦君が乗ってた時にも変な音がしてたから大丈夫だよ」

 和人は床や壁を何度も蹴って楽しそうだ。

「保育園の玩具がそんなに楽しいのか? もう小三のくせに」

「別に楽しくないけど、こうやって乗り回すのが懐かしい」

「代わってくれないか?」

「いやだ」

「……」

 自分もきっぱりと断ればよかったと安彦は一つ勉強した。


 四角の大きなトランポリンは、卒園した時と同じ物であった。変わったところといえば、スプリングの部分に安全カバーが取り付けられている。昔は何度もスプリングの隙間に足をとられて泣いた。錆びたスプリングの色が太股に着いてなかなか取れなかった苦い思い出がある。


 しばらく何も考えずにトランポリンに身を任せていると、

「交替だぞ。安彦」

「え、もう?」

 遊戯室に掛けられている大きな丸い時計は、先ほどからきっかり十分が経過していた。

「わかった」

 トランポリンから大きくジャンプして飛び降りると、身を屈めて表の見える廊下へと向かった。


 見張り役はトランポリンよりも……面白かった。

 いつ、誰が道路からこちらへ曲がって敷地に入ってくるのか分からない。小学生が自転車で前を通る度に手に汗を握る。

 指で鉄砲の真似をすると、安彦は通行人を窓に隠れながら狙撃した。

「バン、バン、ダダダダ!」

 こちらを向きそうになれば隠れる。見付かるわけにはいかないスリル――、只の遊びでは決して味わえなかった。

 気が付くと和人がその様子を見つめていた。いつからかは分からない。

「交替だけど、安彦君楽しそうだね」

 慌ててフーッと指先を吹く。銃口を冷やすためだ。

「遊びじゃないんだぜ。しっかり見張ってくれよ」

「了解!」

 安彦が遊戯室へと走っていくと、今度は和人が指を銃にして構えていた。


 遊戯室に孝一の姿は無かった。窓越しに教室の方に居るのが分かると、安彦は車にまたがり、乗ったまま廊下を走って教室へと向かった。


「――安彦君! 廊下で走ったら音でバレるっ!」

 そんな和人の忠告など聞きもしない。誰も保育園に来ないのは先ほどから確認済みだ。

「ブーン、キキキ。到着」

 年長室の扉の前に縦列駐車すると、孝一に近付いた。孝一は棚を色々見て回っている。

「なにやってるの?」

 孝一は棚からシールを取り出した。

「出席シール、欲しいか?」

 四角いハガキサイズのシールが数枚握られていた。

 「お便り帳」に一日一枚ずつ貼る行為が、あの頃は何故あんなに楽しかったのだろう。安彦は一枚手渡されると、早速シートから剥がした。

 剥がしてから何処に貼ろうか考えるが、一枚だけ剥がされたシールのシートは、一人ぼっちのシールを返して欲しいと言っているように見える。

 そっとシールを元の位置に貼り、孝一を見ると、孝一は数十枚のシールを自分の顔に張り付けてこちらを向いた。


 吹き出して大笑いをしてしまったその時――!


「やべえ、誰か来たぞ!」

 和人の声が一度だけ聞こえると、孝一と安彦は慌てて身を屈め、廊下側の窓へ張り付いた。和人は芋虫のように身を屈めている。

 安彦が窓からは外を覗こうとするのを、孝一が手で抑えて阻止した。

「馬鹿、今見付かったら警察に捕まるぞ」

「!」

 安彦はその時、今やっていることが遊びではなく立派な犯罪だということに気付いた。


 ――なにがなんでも見付かる分けにはいかない――。


「警察に捕まれば、少年院送りだ。二度と家族にも会えない」

 声を潜め真顔で孝一が言うのだが……、顔にはライオンのようにシールが貼り付けられている。おでこにも、眉毛の上にも。安彦にはそれが可笑しくて、吹き出しそうになるのを必死に堪えた。孝一はそれに気付くと、慌てて顔のシールを剥がしていく。

「プープププ」

 安彦が鼻水と共に吹き出すと、和人も釣られて笑ってしまった。

「馬鹿! 二人とも笑うな! 見付かってしまうだろ。静かにしろ! 笑うんじゃねえ!」

 二人はもう堪えきれない。体を小刻みに振るわせて我慢し続けるのも限界だった。


「あーはっはっは」


 和人が仰向けに寝転がり大笑いをしたのだ。その声は保育園の外まで十分聞こえる声だった。

「――バカ!」

 思わずそう怒鳴ってしまい、孝一は自分の口を塞ぐと和人の口を防ぐために身を屈めて廊下を走る。

安彦はさすがに笑いは何処かへ吹っ飛んでしまっていた。顔を出したいが出せない。窓から誰かが覗くかもしれない。ただ息を殺してうずくまる。外の様子を確認したくてたまらない。

「冗談だって。嘘だよ、うそ」

 大笑いしていた和人は孝一に口を塞がれる寸前にそう言った。

 孝一は一瞬硬直したあと、大きく息を吸ってゆっくりそれを吐き出した。

「はあー。なんだよ、脅かすなよ馬鹿野郎」

 安彦にもその声は聞こえていた。だったら窓の外には誰もいないはず。それを確かめるために顔を上げた。

「こら、そんなに顔を出すな」

 孝一の声で急いで安彦は顔を下げる。

「大丈夫、誰もいなかった」

 孝一は手招きで安彦を呼ぶ。

「あのなあ……ここは紙工場の廃墟じゃないんだぞ。見付かったら怒られるだけじゃ済まされない。もっと慎重に行動しろ」

「ご、ごめん」

 安彦は謝ったが、和人にはその気がなかった。

「だからこそ人が来たときの訓練をしただけじゃないか。二人とも慌て過ぎだよ」

「訓練ならその後に大笑いをするな。声を聞かれたら一貫の終わりだぞ」

 孝一は廊下から玄関の方へ伏せて移動した。


「……別に怒ることないのに。見つかった分けじゃないんだから」

「まあ、孝一君は真剣に驚いたんだろう。仕方ないさ、一番年上なんだから。それより調理室へ入っていったぞ。僕らも行こうか」


 安彦と和人も頭を上げないよう身を屈めて孝一の後を追った。



 L字形の角の位置に玄関、調理室、職員室がある。調理室では毎日給食が一品だけ作られ、園児は白飯だけを弁当に詰めてもらい登園する。

 休みの日に何も作られていなのは三人とも知るところであり、食べるものがあったとしても、材料だけだと思っていた。

 自分の家の冷蔵庫を開けるかのように和人がそれを開けると、中から冷気が足元を流れる。オレンジ色の光は銀色に輝く食料を豪華絢爛(ごうかけんらん)に照らし出した。

「あ、チーズ一杯がある」

 和人が目を輝かせる。金塊のように四角い銀紙に包まれたチーズの束が山積みになっていたのだ。

「和人は食料を手に入れた!」

 ロールプレイングゲームの主人公のように封の開いていない五十個ものプロセスチーズを高々と掲げると、孝一も喜んで群がる。

「よっしゃ、食べようぜ」

 砂糖の山に群がる蟻のようだ。次々に銀紙を剥いてチーズを口に放り込む。

 磨りガラスで覆われたこの部屋だけは、扉を閉めれば外から全く見えない。保育園で唯一の安全地帯だった。

 三人は声を出す危険性を忘れ、はしゃいで喜んだのだが、

「僕は一個でいいや」

 安彦が呟いた。

「なんで? こんなにたくさんチーズがあるんだぜ」

「全部食べるのか?」

 和人は頬張ったまま何度も頷く。孝一が銀紙を剥く手も速度を落とさない。


 安彦はチーズが歯の裏にネチネチくっ付くのが嫌いだった。だが、食べなかったのはそれだけの理由ではない。

「シールもだいぶ使ったし、チーズも無くなっていたら、僕達が侵入したのがバレちゃうよ」

「全部食べたらバレないよ」

「バレたって、わしらだという証拠がないだろ。誰にも見つからなければバレやしないさ」


 二人はその後もチーズを食べ続けたが、さすがに十個も食べられなかった。

「ああ、もう限界だ」

「僕も」

 ニチャニチャした口を二人が開ける。孝一は調理室の蛇口に口を付けて水を飲む。

「お腹も膨れた事だし、そろそろ脱出しようか」

「なんで? まだ遊び足りないよ。それに他にも何かいいものがあるかもしれないだろ」

 水を順番待ちしている和人が答える。

「それに、まだ外が明るいだろ。もっと暗くなるまで待たないといけない。最後にまたトイレの上の窓から脱出しないといけないんだぜ。見付からないように」

 その役は孝一にしか出来ないだろう。


「もしかして、安彦君ビビってる?」


 年下の和人に言われると、素直にそうだとは言えない。

「そんなわけないだろ! まだまだ探検するさ」

「お、その意気だ」

 孝一は調理室を出て、玄関近くにある大きな鏡に字を書き始めた。

「――何をやってるの?」

 孝一は小学校にはいない人の名前を書き始めた。

「「東山勇一郎参上」っと。これでわしらは疑われないだろ」

「でも、なんでチーズで書くんだよ――勿体ない。持って帰ったらいつでも食べられるのに」

 安彦は先ほどまで孝一が腹が減ったと連呼していたのを思い出したのだ。

「しばらくチーズは見たくもない。ほら、二人ともやってみろよ、面白いぜ」

 チーズの銀紙を剥いて差し出す。二人は手を出さなかった。いくらタダだとはいえ、食べ物を粗末にしてはいけない。

「あ、お前らいいのか、やらないと……こうだぞ」

 架空の人物、「東山勇一郎」のとなりに、「和人」と「安彦」の名前を書き始めた――。

「あ、それだけはやめて!」

「チーズは簡単に消えないからなあ。落書きにはもってこいさ」

 和人は孝一からチーズを受け取り、自分の名前の上をチーズで塗り潰した。

「あ、和人君、僕のも消してよ」

 和人は自分の名前は塗り潰したが、安彦の名前はそのままにしている。それどころか、安彦の苗字である「三谷」まで書き足している。

「やめろよ!」

 安彦は仕方なく孝一からチーズを受け取り、落書きの共犯者となった。


「これを消すのは大変だろうなあ」

 孝一がほぼ全面にチーズが塗られた鏡の前で満足そうにそう呟く。もう自分の姿など、少しも写らない。


 ――その時であった。

 保育園の園庭への来訪者を告げる、鉄板を踏む大きな音が響き渡った。


 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン――!


 軽快に走る様子が鉄板の音で分かる――。


 三人の背筋が朝礼の時以上に真っ直ぐ伸びる。

「誰か来た! どうしよう」

 言うよりも先に安全地帯である調理室へと逃げ込んでいた。


 裏の園庭からは楽しそうな声が「きゃっきゃ」と聞こえてくる。小学生の低学年なのだろうが、その声から誰かまでは特定できない。心臓が長距離走の直後のようにドキドキする――。

「見られたかなあ……」

「分からない。窓から中を覗きに来ないところを見ると、気付いていないかもしれないが……」

 孝一の洞察力が二人を安心させる。

「ああ、どうか見付かっていませんように」

 和人が両手を合わせて拝む真似をする。息を潜ませ、孝一は調理室の扉を少しずつ開けて、園庭の様子を遠目に見る。

「……たぶん大丈夫だ。ブランコで遊んでる。こっちには見向きもしていない」

「一体誰が来たんだ?」

「美弥子だ。あと、誰か歩いてくる」

 鉄板の上をゆっくりと歩いてくる音が響く。その歩幅は低学年のではない。


 この保育園に通っていなかった二人が姉妹でやって来たようだ。


「深雪ちゃんだ」

 孝一は調理室の扉から目の部分だけをずらしてそう言う。他の二人は椅子に座ってすっかり緊張をほぐしていた。

「孝一君、嬉しそうだね」

「帰ったら教えて。今来たんだから、そんな直ぐには帰らないだろうけど」


 椅子を後ろへ反らしながら、調理室でしばらく休息の時間を取った。


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