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喰い逃げ屋 左文字 - 2  作者: 楠木 陽仁
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「さて、片付けはこんなものでいいかな」

 パンパンと手を叩き、纏めたゴミ袋を部屋から追い出した少年が、掃除をし終えた部屋の様子を見て満足そうに頷いた。

 そこは中華料理店『一品香』の二階にある、倉庫に手を加えて何とか人が住めるようにした、部屋と呼ぶには憚られるスペース。

 左文字の住まう部屋である。

 そしてそこを今まで掃除していたのは、勿論弟子の斉場少年である。

 では、どうして彼が左文字の部屋を掃除しているのだろうか。

その理由は、部屋の主が訳あって暫く留守にしており、散らかしたままにしているその部屋のゴミに虫が湧いてしまったのである。

このことが家主の陳さんに知られたものだから話が大きくなったのだ。

『コッチは食べ物扱ってイルのョ! ゴキブリとか出テ、店の信用ガ無くなったらどうしてくれるネ!』

 確かにそれは死活問題だから、早急に対応しなければならない。

 しかし、訳有って動けない左文字がどうしたものかと考えた末に、斉場少年に白羽の矢が立ったと言う訳だった。

「マッタク…長野に行く前のゴミもあるじゃないですか」

 ゴミ袋の山の中、半腐れの食べ残しや、羊丸々一頭の羊毛程あろうかと言う綿埃。

 それを思い返すだけで斉場少年は鳥肌が立つ。

 代わりにピカピカになった床、整理された資料、染み一つない衣類を見れば心晴れやかに成って鳥肌も引いてくれる。

「そろそろ、丁度好い時間ですか」

 時計を確認した斉場少年が、ゴミ出しと陳さんへの挨拶を済ませると、その足で池袋の町へと繰り出してゆく。

 その足の向く先は、駅前の繁華街とは逆方向。北へと進路を取ったのだ。

 騒がしく、賑やかで、忙しない池袋駅前の喧騒が歩くたび、一歩ずつ前へ進むたびに遠退いて行く。

 ―――散歩にはイイ所ですね。

そして閑静な住宅街へとやって来ると、同じ池袋とは思えないほどの落ち着きと静けさが有り、これが歩いて行ける距離なのかと少々驚いてしまう。

 そして、斉場少年は最初の目的地へと到着した。

「いらっしゃいませ」

『ふくろうフルーツ』と屋号の書かれた果物屋さんが有る。その暖簾を潜った斉場少年に、店主が溌剌とした声を掛けてくれる。

 赤に黄色に緑色。目にも映える色鮮やかな、多種多様のフルーツが所狭しと並べられた店の中。

 産地も全国各地から選りすぐりの美味い果実が集められており、宛ら全国フルーツ見本市のようである。

「どれも美味しそうだな…」

 斉場少年もそのフルーツたちに目を奪われ、どれを選べばよいのだろうかと心揺れて選びきれない。

「何かお探しですか?」

 選びきれず考えあぐねる斉場少年に、店主が助け舟を出してくれる。

 餅は餅屋に頼むなら、果物ならばフルーツ屋。

 ここはプロの意見を聞くべきだと、斉場少年は事の次第を説明した。

「そうなのですね。でしたら、いくつか試食してみて、それから決めてはどうですか?」

 事情を呑み込んだフルーツ屋さんは、ヒョイヒョイと店頭に並べ照れていた商品を幾つか見繕う。

そして「少々お待ちを」と言い残し、店の奥へと引っ込むと、数分後に「お待たせしました」と言いながら再び斉場少年の前に現れる。

フルーツ屋はその手には皿に盛られたカットフルーツが携えられていた。

「今が旬のフルーツを選んでみました。どうぞ、ご賞味ください」

 ご主人がコトンとテーブルの上に置いたそれを見て、斉場少年は目を見張る。

 その白磁の皿に盛りつけられたフルーツたちの艶やかさと言ったら。

 白い無地のキャンバスに塗りつけられたばかりの多彩な絵の具。若しくはパレットその物のようであり、心が色めき立ってくる。

 目で見た只それだけで美味いとハッキリ解るそのフルーツたち。一つ摘まんで頬張れば、予想以上の美味しさに、得も言われぬ幸福が斉場少年を包み込む。

「ああ、どれも美味しい。余計に迷ってしまいますね」

 試食であることの節度を忘れて、皿の上のカットフルーツをお代わり含めて食べ尽くした斉場少年。

 少々呆れながらも、出したフルーツを気に入ってくれたことに満足したようすの御主人が、「フルーツセットにありますよ」と進めてくれる。

「それは有り難いのですが、手持ちが…」

 財布の中身を気遣う斉場少年。彼とて盛り合わせを用意すれば、左文字も先ほどの自分の様に沢山のフルーツの味に舌鼓を打つことが出来るとは解っている。

 しかし、メロンに白桃、マスカットなど。それらの高級フルーツの入った盛り合わせ購入できるほどの資金と度胸は、未だ学生の身分である斉場少年には持ち合わせが無かったのだ。

「でしたら、ヤッパリこれがイイのでは?」

 尻込みしている斉場少年だが、ご主人が選んだフルーツに、それならばと同意して購入を決める。

「喜んでもらえるとイイですね」

 選んだ果物を詰め込んだビニール袋を手渡され、「どうぞ御贔屓に」とお礼の挨拶に背中を押された斉場少年は、再び池袋の町に舞い戻る。 

 そして斉場少年は、店から離れ閑静な住宅地の中を西へと進んでゆくと、マンションの森の中に一件の病院へと辿り着く。

 そのベージュ色のタイルに覆われた病院は、大きな道路からも離れており、排ガスもエンジン音も気にする必要がない。

 落ち着いて療養するにはイイ場所だな思いつつ「関野病院…ここですね」と斉場少年が一人呟く。

 面会の手続きを済ませ、案内された病室の前まで来ると、扉の前の表札には『左文字』の文字が記されている。

「ここですね」

 4人一部屋の相部屋のため、ノックせずそのまま扉を開いた斉場少年は、窓際のベッドにミイラのような包帯人間が安置されているのに気がついた。

「師匠。お加減はどうですか?」

 斉場少年が声をかけたその人物。首をコルセットで固めたまま、仏頂面で外を眺めていた左文字が視線のみで彼を見る。

「体中が痛いです。それと暇で仕方ありません」

 暇を持て余して欠伸(あくび)の一つを吐こうものなら、左文字は痛みに震えて苦悶の表情を浮かべてしまう。

「無理を為さらないで、安静にしていてください。これ、買ってきたので食べましょう」

『ふくろうフルーツ』と書かれた袋を掲げる斉場少年が、その中から取り出したのは、色鮮やかに熟したリンゴである。

 それをスラスラと皮を剥き、サクサクと切り分けて、皿の上に食べ易い大きさに盛り付けてみせる。

「どうぞ、師匠。美味しいですよ」

 それを動くことも侭成らない左文字の代わりに、フォークで一欠片とってやれば、左文字が美味しそうにこれを喰む。

「ああ、ジューシーですね。これは美味い」

 久々の果物に上機嫌となった左文字は、それまでの仏頂面から満面の笑みとなる。

「ヤッパリ病人にはリンゴですよね。それに旬ですし」

 上機嫌な左文字に斉場少年も浮かれている。

 左文字に倣って斉場少年もリンゴを一欠片頬張ると、溢れ出る蜜の甘さに思わず顔が綻んでしまう。

「しかし、全治3ヶ月は手酷くやられましたね」

 包帯グルグル巻のギプスの上に油性ペンで労いの言葉を書きながら、斉場少年が左文字の容態を確認する

「氷漬けにされた上に、スノーモービルで衝突事故を起こし、さらに階段から転げ落ちたわけですから、この程度で済んで良かったと言うべきですよ」

 これほどの損傷を負った体なのだから、複雑骨折で最悪切断も考えられる怪我の度合い。

しかし、不幸中の幸いというべきか、骨折の度合いも重くなく、安静にしていれば完治するとの診断となった。

「そうでなければ、喰い逃げ屋としての選手生命にも関わっていましたし、本当に良かったですね」

「マッタクですね」

 こうやって笑い話で済んでよかったと、左文字も斉場少年も安堵していた。

「あら? 先客がいるみたいね」

「やあ、左文字さんも斉場君も久しぶりだね」

 その声に二人は入口の方を見てやると、玉藻と辺場教授が顔を出している。

「お二人共、お久しぶりです」

 斉場少年が挨拶を返したその二人が左文字のベッドまでやって来ると、手に持った『ハチク』と書かれた袋を掲げて「被ってしまったかしら?」と尋ねてくる。

「大丈夫ですよ。これだけ居れば食べきれるでしょうし」

 有り難い事に袋から取り出されたのは、目に鮮やかなオレンジであり、それを切り分ければ、4人で分けて丁度イイ量になる。

「しかし、あの後君が病院に担ぎ込まれたと聞いて慌てたぞ」

 オレンジを頬張りながら、左文字を気遣う辺馬教授。

 確かに彼と別れた時は、まだ左文字は元気であったから、病院送りになったと聞いて心底驚いたことだろう。

「まあ、命に別状が無かっただけイイわ。アナタも、あの蕎麦屋さんもね」

「『アクタガ』さんのこと、どうなったのですか?」

素気無く語る玉藻の言葉に、出てくる蕎麦屋はきっと今回の喰い逃げ屋で戦った蕎麦屋『アクタガ』に違いない。

聞けば左文字と共に階段を転げ落ちた店主であったが、気絶していたにも拘らず、怪我の程度としては敬称で、打ち身が少しある程度だったらしい。

「だから、次の日にはまた店を開けることができたらしいわね」

「良かったですね」

 安否を確認して顔を緩める左文字だが、玉藻は「優しいのね」と切り返す。

「はて? 何のことでしょうか」

 賜物言葉に(うそぶ)く左文字だが、その場の全員が解っている。

 左文字がその気に成ったなら、階段から落ちた程度では傷どころか痣の一つも付くことはないだろう。

 つまりはそういう事なのだと解ってはいるが、言うのは野暮なので口には出さない。

「それじゃあ、イイ事序でに僕からも一つ」

 その代わりにと口を開いたのは辺場教授だった。

「例の森将軍塚古墳の落書きの話なのだけど」

 それを聞いた左文字は、体を固定されたベッドごと病室から逃げ出そうともがき出す・

「チョット! 師匠、安静にしていないとダメじゃないですか!」

「止めて下さい! 修繕費とか払えないですよ!」

 きっと左文字は例の先代が残した落書きの後始末を要求されると思っているのだろう。

 文化財を汚し、破損するような行為を自分の身内がやったのだ。イッタイどれ位の損害賠償を請求されるか想像もつかない。

 だから怪我を押して逃亡を図ろうとしたのだが、辺馬教授に「落ち着いて話を聞け」と押し留められる。

「あの落書きだが、上手いこと話が運んで、あれごと文化財として認められることになったのだよ」

「⁉ そんな馬鹿な事があるのですか」

「ああ、あの部屋が喰い逃げ屋の史跡であることが幸いしたな」

「どういうことです?」 

「つまりは、当代きっての喰い逃げ屋である『左文字』が書いた文書であるのなら、それは喰い逃げ屋を語る上で重要な資料と成りうるという事だ。それがあの『喰い逃げの間』と奇跡的にマッチしていたという事で、資料として認められたという事さ」

「そんな嘘みたいな話が有ってイイのですか?」

「そこは君、物は考え方次第だ。かの『ミロのヴィーナス』もその両腕を欠いたことで、想像の余地が生まれ、芸術作品としてより高みへと至った。それと同じように、何かを欠くことで完成するモノもあるという話だ」

 随分と都合のイイこじ付けだと思いつつ、これ以上の話は藪蛇に成りかねないと思い、左文字は口を閉ざす。

 そのうち掌返しに在って手酷い(しっ)()返しを食らうのではないかと恐ろしくなる左文字だが、今はそれでイイなら乗っておこう。

「ああ、これで安心ですね。退院したら安心して、大手を振って通りを歩けると言うものですね」

「そうです! 元気に成ったなら、また喰い逃げ屋をやりましょう。師匠!」

 さっきまでの焦りは何処へやら、安心しきってふやけた顔をする左文字だが、唐突に目の前に置かれた領収書を凝視する。

「何ですか、これ?」

 訳が解らず目を泳がせる左文字だが、「アナタのものよ」と玉藻が言い切る。

「まず、あの『戸隠忍者五人衆』の入院費用でしょ。そして、裾花峡温泉のお湯を汚したことへの弁償でしょう。そして、これが長野駅前を滅茶苦茶にしたことへの修繕費用。占めた代金が書かれているのがその領収書と言う訳」

「それから、あのスノーモービル。私物だったのだけれども、大破しちゃったから弁償してよね?」

「そんな馬鹿な…」

 恐る恐る領収書を手に取った左文字だが、記載されていた金額を何度も確認する。

「ああぁ⁉ ゼロがイッパイ⁉」

 左文字は領収書を手に取ってから数十秒。ようやく理解が及んだのか、病院と言う状況も鑑みず叫んだ上に昏倒する。

「師匠? 師匠⁉ 息をしていない!」

 慌ててナースセンターに駆け込んでゆく斉場少年を見送り、「これは酷い」と辺馬教授が蒼褪めながら呟いた。

「とりあえず私が立て替えておいたから何とか収めたけれども、シッカリ返してもらわないとね」

 それこそ沢山喰い逃げ屋を打って貰わないと。

 この場において一人だけ笑顔を振りまく玉藻の瞳には、目をグルグルと回し泡を吹きながら一ミリも動かなくなった左文字が写っていた。


喰い逃げ屋 左文字‐2 終


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