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喰い逃げ屋 左文字 - 2  作者: 楠木 陽仁
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 翌日から左文字は辺場教授と共に、遺跡の調査を行う予定となっていた。

 朝風呂と朝食を済ませ、辺場教授のスノーモービルを先導に、バンに研究室の生徒もろともにギュウギュウ詰めにされながら30分ほど揺られると、鬱蒼と茂る山肌に、一部草木も何もない場所が見えてくる。

「あれが森将軍塚古墳だよ」

 小高い山の上、草木は丁寧に刈り取られたその場所に、重々しく鎮座している森将軍塚古墳は、そこに眠る人物がどれほど偉大なものだったのかを無言のままに語っている。

 ここに土足で立ち入ることは失礼に値する。死者の霊を尊ぶならば触らぬままがいいだろう。

 しかし、先人のメッセージを紐解くために、敢えてその眠りに入り込むこともまた正しいことなのだろう。

 自分たちはそういう心持ちなのだと辺場教授は語ってくれた。

「…だからって、その格好なんですか」

 イイ話に聞こえるセリフを語ってくれていたのだから、黙って聞いていようかと思って口を噤む左文字だが、流石に辺場教授がサファリジャケットとサファリハットのセットで現れたのを見ると黙っていることはできなかった。

「えっ⁉ 何か可笑しかったかな? 遺跡に入る時の正装はこれだと私は思うのだけれど」

「そんな、ステレオタイプな… それって探検隊か何かですか?」

「個人的にはインディーの真似。ほら、この鞭」

 辺場教授は上機嫌に腰に下げていた鞭を引き抜くと、スパンッ! と響く快音を自慢げに鳴らして見せる。

「そんなもの、あの古墳のどこで使うのですか? あの古墳の中に巨大迷宮や数々のトラップが待ち構えているのですか?」

「んー。そうだったらイイのにな」

 駄目だ、話にもならない。

 古墳に入るその前から、左文字は呪いを受けたかのような頭痛に襲われ、早々に宿へと帰りたくなってしまう。

 そう思って振り向けば、研究室の学生はおろか、弟子の斉場少年までノリノリでサファリルックに成っており、今この場で自分だけが埒外なのだと左文字は諦めるしかなかった。

 そうして軽い足取りの一行は重い足取りの左文字をグイグイ追いやって、古墳へ繋がる上り坂を登ってゆく。

 何を隠そうこの森将軍塚古墳は、道も整備されており、麓にはその出土品を納めた博物館もある観光名所でもある。

 そのため、山道であってもかなり歩きやすく、ものの10分も有れば古墳が鎮座する峰の頂上まで辿り着いてしまう。

「さあ、着いたぞ。この下に霊廟が有る」

 一般には公開されておらず、限られた人間しか入ることも見ることも出来ないこの古墳の霊廟を拝む機会なんて、一般人の左文字には普通に考えれば有り得ない。

「おお、これが!」「俺の刷毛とナイフが疼いているぜ」「インダース・マーチを掛けたい気分ですね…」

「師匠! なんだかワクワクしてきませんか⁉」

 そんな有りがたい経験に巡り合えたと言うのに、周りの上り詰めたテンションに気圧されて、依然として左文字のテンションは明らかに冷めていた。

「どうしたんだい、左文字さん。これから始まるスペクタクルだっていうのに、浮かない顔だねぇ」

 朝食が一品少なかったのが原因かと辺場教授に心配されるが、心配は無用だと左文字の代わりに斉場少年が返答する。

「師匠は長野にあまりイイ思い出がないのですよ。だから、昨日から機嫌が悪いのです」

 何だってそんなことを本人ではなく君が言うのか。

 できれば隠しておきたかったことなのだが、口外してしまえば案の定、興味を持った部外者に根掘り葉掘り問い質される。

「左文字さんでも喰い逃げ屋で負けたことがあるのですか⁉」「チョット意外。常勝無敗だとばかり思っていたのに」「ヤッパリ、まだ駆け出しの頃だったからじゃないのか?」

 研究室の生徒たちは各々好き勝手に左文字の過去の黒星について語り合う。

 そんなに人の敗北が珍しいのか? この状況に辟易してしまう左文字の肩に、ポンっと辺場教授の手が乗せられる。

「それで、池袋からずっと思い悩んでいたわけか」

 こちらの心中を察することが出来て納得が行ったと言わんばかりに、満足げに何度も頷く辺場教授。

だが、気が重かったのは何も長野に来ることが後ろめたいからだけでなく、ただ単に教授の研究室と絡むとロクな事に成らないと思っていたからなのだとは、多分口外できないだろう。

「それならば、より一層この古墳に入るべきだろう」

「…どういうことですか?」

 辺場教授がそこまで言うとは、イッタイこの森将軍塚古墳、何が有ると言うのだろうか?

 左文字が訳も解らず疑問符を浮かべていると、「フフフ…まあ、ついてきなさい」と含み笑いを浮かべながら、玄室へと続く通路の先頭に立つ。

 石の扉を開いてみれば、中からは思いのほか暖かな空気が流れ出してくる。

 外が真冬の長野なだけに、土に埋もれた古墳の中は、より一層に温かく感じるのだろう。

 通路の中には日が刺さず、明かりは手元のライトのみ。それを頼りに足元の積み上げられた石段を、一歩一歩と丁寧に踏み外さぬよう降りてゆく。

「この森将軍塚古墳は全長が100mを越える、長野県最大の前方後円墳でね、その存在は古くから知られており、研究も続けられてきたのだよ」

そんな階段を下りる道中、辺場教授が宛ら四方山話(よもやまばなし)の様に語り出す。

「だから、もはや調べ尽くされたとばかり思われていたこの古墳なんだけれども、最新の測定機器を用いてスキャンしたところ、なんと未発見の玄室が有ることがついこの間判明したそうだよ」

 ―――そう言う事もある物ですか、科学の世界は解らない物ですね。

 余程凄いことを辺場教授が言っていることは何と無くは理解できるが、それでも額が無い左文字にはこんな感想しか出て来なかった。

「それで、教授がその玄室の壁画が喰い逃げ屋に関係が有ると発見されたのですか?」

 辺場教授の説明に、質問したのは左文字ではなく、その後ろからついてくる斉場少年の方だった。

 流石に彼は左文字よりも学が有るためなのだろうか、聞くに徹せず頭越しに質問をするならば、いっそ順番を変わって欲しいと左文字は思う。

「いいや、考古学は私の専門じゃないからね。友人の考古学者から、そうなんじゃないかと聞かされただけなんだよ」

「つまりは、教授もその壁画を見るのは今日が初めてなのですか?」

「そうなんだよ。だからウキウキするよね」

 年甲斐も無く燥ぐ辺場教授と、年相応の好奇心に駆られる斉場少年に挟まれて、左文字は早く目的地に着かない物かと心を無にして思うのだった。

「よし、ここが玄室だ」

 階段を下り続けること(おおよ)そ五分。辺場研究室一行は漸く目的の場所へと辿り着いた。

 玄室は思いのほか広く、これだけの大人数が入っても、まだ十分に余裕があるほどのスペースが広がっている。

 地表に出ていた前方後円墳の大きさも、確かに巨大ではあったが、これだけの広さの部屋を確保するのは、サイズ感がおかしくなる。

「どうにも、この玄室は古墳の下の山の部分を()り貫いて作っているらしくてね。どうだい? 外見からでは想像もつかないだろう?」

 まるで自慢をするかのように語る辺場教授だが、ホントにすごいのは千年以上も古代の日本に、それだけの土木技術を持った集団が居たという事実だろう。

「それで? 件の壁画というのはどちらですか?」

 このまま放っておいたなら、まるで鬼の首取ったみたいに語り続けるだろう辺場教授の軌道を修正するために、左文字は(かね)てより話に窺っていた『古代喰い逃げ屋』の壁画の場所を探し出す。

「ああ、それならコッチだよ」

 素に戻った辺場教授に導かれ、一行が集まったのは、玄室の隅に在る壁だけの空間であった。

「失礼ですが、これの何処が壁画なんですか?」

 壁しか見えない何もない一角に集められて、いくら目を凝らそうが壁画など浮かび上がってこない現状に、左文字も幾分困惑し、ぶっきらぼうに問い質す。

「まぁまぁ…、チョット待って見ていなさい」

 含み笑いを湛えたままに、辺場教授が左文字たちを下がらせると、「ココを…こうして。ソコを…そうして」等とブツブツ一人で呟き、壁の彼方此方(あちこち)を弄り回す。

 ―――ガコン…。

 するとどうだろうか。壁の内、その中から何かが噛み合う音がして、続いて部屋の全体に蠢く音が伝播する。そして、それらが呼び水となったかのように、玄室の床が宛らエレベーターの様にユックリと下降していくのを感じた。

「そんな仕掛けが…」

 驚きつつも何とかバランスを取ろうとする左文字に対して、斉場少年は咄嗟に左文字を掴んで(うずくま)る。

 それから、どの位下へ降りて行ったのだろうか。さっきまですぐ見上げれば目に出来た天井が、随分と遠くの場所へと行ってしまった頃、漸く玄室の床はズシンッと云う音と共に下降を終了させたのだった。

見給(たま)え、これが今回の目的地。『喰い逃げの間』だよ」

 辺場教授が手に持ったカンテラを掲げると、眩い光が辺りの様子を照らし出す。

 その光を頼りに周りを見回せば、壁一面に掻き込まれた数々の壁画が見て取れた。

「凄いですね。良くこんな場所を見つけましたね」

 斉場少年が最前からのアトラクションに、テンション上がった状況で、辺場教授に聞いてみる。

「そうだとも、これが新発見された部屋なのさ」

 辺場教授は(はしゃ)ぎ回る斉場少年の反応を見て、満足そうに語り出す。

「電磁波探査や振動波探査など、物質の中の構造を調べる探査法が有るのだけれども、それを駆使して玄室の下に、空間が有る事を研究チームが突き止めたのさ」

「そうなんですか。科学って色々出来るんですね」

「ただ、見つけたはイイものの、相手は貴重な文化財。下手に手を出して壊すなんて事は以ての外だからね。だから、セッセとコツコツと、正規ルートを探していたわけ」

「それがさっきのスイッチで、最近それが解ったと?」

「そう言う事」

 斉場少年の受け答えに、辺場教授も興が乗って来たのか、いつも以上に回る口で長々と遺跡の説明を続けてくれる。

 一方の左文字はカンテラを片手に一人黙々と壁画を睨みつけていた。

 絵の様式は古い物ではあったが、漆喰を塗った壁のその上に、岩石絵具で彩色したとてもカラフルな物である。

 それに、今まで誰も立ち入ってこなかったことが幸いし、保存状態が非常に良く、一目で絵が何を表しているのか、それが左文字にもハッキリと解った。

 ―――これは間違いなく喰い逃げ屋の絵ですね。

 最前から辺場教授の言うとおり、そこに描かれていた壁画の数々は、左文字の生業その物である喰い逃げ屋の情景を切り取ったものだった。

 壁画は順にその工程を描いている。料理を作り盛り付ける者、それを食らう者と立会人を務める者、食らい終わって逃げる者とそれを追いかける有象無象。まさに喰い逃げ屋の一連の流れがそこにあったのだ。

「どうだい? 何か感じ入る所は有ったかな?」

 そこへ左文字の肩を抱き、辺場教授が問いかける。

「これほどの規模の壁画は、日本史上でも類を見ないし、尚且つそれが喰い逃げ屋に(まつ)わるものだとするのなら、これは世紀の大発見だよ」

 より一層にテンションが上がっている辺場教授。彼はそのまま持論を述べる。

「恐らく、これは僕の考えなんだけれども、喰い逃げ屋というのは古代において『祭事』の役割を担っていたのではないだろうか?」

「祭事? ですか」

 これまた随分と高尚なものに持ち上げられてしまったものだと、左文字が眉を(ひそ)めるが、お構いなしに語るのは、辺場教授が上機嫌だからである。

「そうとも。見てみなさい。ココだよココ」

 辺場教授が指差す先に、神社の宮司の様な恰好をした人物が描かれている。

「この様に、当時の神官が出張って来て喰い逃げ屋の様子を窺っている。ここからも喰い逃げ屋と神事が密接な関係に在ったことが伺えるわけだ」

 辺場教授の説明は実に説得力がある。壁画から見て取れる情報を繋ぎ合わせると、そうとしか思えなくなる。

「しかし、何だって喰い逃げ屋がそんな神聖な儀式として扱われていたのですかね?」

「そこはこれからの研究次第だな。競馬(きそいうま)の様に喰い逃げ屋の駆け足を比べることを目的としていたかもしれないし、大食いによって誰もが鱈腹食えるよう、豊穣を祈念する行事かも知れない。そんな風に考えれば色々と理由は考えられるな」

 活き活きと自分の想像の限りを展開させる辺場教授。

 その瞳は少年のように輝いており、新しいオモチャを見つけたとでも言わんばかりであった。

「それで、当代の『喰い逃げ屋』左文字としてはどんな感じを受けるかな?」

 ここに来て辺場教授はアカデミックな顔に成る。

 散々前から自分の学が無いことをひけらかしてきた左文字だが、矢張りこの問い掛けからは逃れられないと思っていた。

「難しい話は考えなくてイイよ。感じたままに言えばイイ」

 辺場教授の期待に満ちた視線を受けて、改めて左文字は壁画を俯瞰で注視する。

「なんだか、今も昔も大差ないのですね」

 だが、そこで左文字が思うのは、新発見による好奇心からの(たか)ぶりでも、自分の生業が千年以上も続く伝統なのだと言う誇りでもなく、なんとなく、バカバカしいと思えてしまう程の可笑しさだった。

 意地汚くも大皿に山に盛られた料理を食らい、行儀悪くも喰ってすぐ走って逃げる滑稽さ。そんな事を千年以上も続けてきたと思うほど、左文字はどうに堪えきれず、腹の底から笑いたい気分になってしまう。

「いやはや、こんなバカバカしい事が伝統行事だなんて、まるで喜劇か笑劇じゃないですか。こんな事、落語であっても締まらないですよ」

 自嘲する様な左文字の台詞。笑って見せるのは誰あろう辺場教授の方であった。

「まあ、これで自身を持ってイイんじゃないかな。それだけの歴史が有るのだから」

「あまり自慢できるような事じゃ無いですけどね」

「先生、ちょっとコッチを見て貰ってもいいですか?」

 朗らかに笑い合う左文字と辺場教授の会話。それを邪魔して悪いと思ったのか、弱い声で研究室の生徒一人が話しかける。

 生徒たちは辺場教授の指示を受けて、各々散らばって調査をしていたはずだ。

 それが、わざわざ呼びに来てまで見せたい物があるという。イッタイそれは何なのだろうか。

「うん? どうしたんだね」

 生徒に促されるままに辺場教授はついて行き、興味を惹かれた左文字のまたその後を追ってゆく。

「ここです。この区画だけ、周りと様相が違うのです」

 生徒が指さすその先に、言われてみれば確かに違和感を覚える一角があった。

 この『喰い逃げ屋の間』にある壁画は、前述した通りに古代の食い逃げ屋の情景が順を追って描かれており、宛ら一反の絵巻物のごとく線やマスで区切るなどの切れ目は見られなかった。

 しかし、その一角にある絵は他の絵とは違っており、格子状に区画されたマス目の中、その一つ一つに小さな絵が無数に書き込まれている。

「まるで曼荼羅のようだな」

 辺場教授も興味津々といった様子で、注意深くその無数の絵を覗き込んでいる。

「あ、師匠もこれを見つけたんですか? イッタイ何なのでしょうね?」

 先に来ていた斉場少年も好奇心に目を光らせながら、左文字を見つけると一目散に跳んで来て、よく見るようにと言ってくる。

「確かに、妙な絵ですね…」

 カンテラの薄明かりで照らしながら、左文字はマス目の一つ一つを見てゆくと、とあることに気がついた。

「あれ? これって『一文字(いちもんじ)』なのでは?」

「「「「「「「…は?」」」」」」」

 左文字の言った意味不明な言葉に、『喰い逃げ屋の間』に居た全員が揃って頭上に疑問符を浮かべる。

「あのですね、ここを見てください」

 そんな周りの状況など意に介さず、左文字は少々急くように、マス目の一つを指差した。

 そのマス目に描かれていたのは、一人の男性が串に刺さった料理を食べている、その一幕である。

「この男性の食べ方ですが、見てください。串に刺さった料理を一口で食べているでしょう?」

「言われてみれば…」「一個々々(いっこ)食べていないよね」「たまに俺もこういう食い方するね」

 学生たちもその絵の内容を見ると、思い思いに意見を述べる。

「ここに描かれているこの食べ方ですが、喰い逃げ屋の界隈では『一文字』と呼ばれる技法なのです」

「それがさっき言っていたことか」

 辺場教授が納得したのを見定めて、左文字は続け様に指を指す。

「今度はこちらを見てください。これは、何個もの握り飯を一つに纏めてしまうことで、その都度握り飯に手を伸ばす時間のタイムロスを無くす方法。その名も『細石(さざれいし)』と言う技法です」

 ここまで来ると左文字のみならず、他の者にもその内容が見えてくる。

「これは、揚げ物を紙で挟んで押し潰し、油分を紙に吸い込ませる『()(うつ)し』ですし、こっちは、腕に仕込んだ熱源で抱え込んだ器を温めて、料理の温度が下がるのを防ぐ『火蜷局(ひとぐろ)』と呼ばれる技法です。他にも色々ありますが、どれもこれも喰い逃げ屋が用いる技法の数々です」

 さっきのローテンションは何処へやら。熱を帯びている左文字の言葉を受けて、辺場教授が相槌を打つ。

「つまりは、ここに描かれているのは、喰い逃げ屋の奥義書であるということかな?」

「そう考えて差し障りないと思います」

 静かに頷く左文字。その壁画に描かれた絵の数々が、自分が先代から叩き込まれてきた技の数々に相違無いという確証があった。

「ですが、ここにあるのは『喰い』に(まつ)わるモノだけのようですね」

「それでは『逃げ』に纏わるモノもあると?」

「その可能性は高いですね」

 左文字が示したその可能性に、辺場教授は指示を飛ばして生徒たちに目当てのモノを探させる。

「先生! 左文字さん! 見つけました」

 すると10分しない内に部屋の隅から二人を呼ぶ声がする。

 二人が急いでやって来ると、学生が指し示す先に、確かに先ほどと同じような、マス目の中に幾つもの絵が書かれた壁画があった。

「確かに、予想通りだ」

 それを確認した左文字は、確信を持って頷く。

「こちらは喰い逃げ屋の『逃げ』に関する奥義書で間違いありません」

 そのマス目に描かれている絵の数々は、確かに左文字が知る『逃げ』の技の数々がある。

 それならば、左文字が言うように、『逃げ』の奥義書と見て間違いないだろう。

「ちょっと待ってください」

 描かれている内容をもっとよく見ようと、壁画に近づこうとした左文字の耳に、別の場所で調査を行っていた生徒の声が鋭く届く。

「こっちにもまた別の壁画があります! 来てください」

 それはどういう事なのだろうか。

 喰い逃げの『食い』と『逃げ』が出揃っているのだから、他に何があるというのだろう。

 解らないまま左文字は声のする方向へ走り寄ると、確かにそこにも他と同じマス目の絵が描かれている。

「これは… !」

 左文字はそれを見て言葉を失った。

「イッタイこれは何が書かれているんだい⁉」

 興味本位に顔を突っ込んでくる辺場教授。それを気にも留めず左文字は熱中したように壁画を見つめている。

「…これは、私も知らない技術ですね」

 イッタイ何分間見つめていただろう。左文字が漸く顔を上げると、開口一番そう言って首を傾げて考える。

「師匠でも解らないことが有るのですか⁉」

 斉場少年にもこれは驚きであったらしく、自分も壁画を注視する。

「ええ、ここに書かれているのは喰い逃げ屋の二大要素である『喰い』でも『逃げ』でもありません。その他の事となると私はサッパリ解りません」

 当の左文字も困惑した様子で、その絵が何を意味するのか必死に考えていた。

「あんなに興味が無さそうだったのに、随分と熱心に成ったじゃないか」

 ニヤニヤしながら見守る辺場教授に、左文字も我に返って咳払いを一つする。

「きっとこれが解ったのなら、私の力に成ると思うのです。何しろここに描かれているのは喰い逃げ屋の奥義の数々なのですから」

「それが解ったのなら、あの『アクタガ』へのリベンジも出来るかもしれないと言うことですね!」

 意気込む斉場少年に、左文字は静かに頷いた。

「だからこそ、いち早くこの絵の解明をしなくては成りません」

「こう言った予想を立てながら調査するのが学問の楽しい所だからな」

 先生も手伝ってブラシで表面の土と埃を取り払い、こべり着いた汚れをナイフで(こそ)げ落とすと、壁画の全容が明らかになる。

「「…ん?」」

 その時二人が同様の反応を示す。

 綺麗になって改めて見てみると、そのマス目の奥義書に描かれた絵の数々は、周りの壁画と些か画風が違って見えた。

 壁画の方は正に文化財と言えるレベルで、プロの仕事であることが悠久の時を超えた今に至っても一目で見て取れる。

 しかし、マス目の奥義書の絵の方はと言うと、これをプロが書いたとすれば、食事の片手間に描いた落書きレベルで、ここだけ漆喰で上塗りしてしまっても文化財としての価値が全く変化しないような、それほど稚拙な絵に見えた。

「それに何だか…妙に新しいような…」

 辺場教授も何やら嫌な予感がしてきたのか、恐る恐るより慎重に絵を注視する。

 すると、一か所まだ土埃を払いきれていないところを見つけてしまう。

 そこをブラシで払ったら、現れたのは『㊧(まるにひだり)』のマークであった。

「あれって師匠と同じ『左文字』の印じゃないですか!」

 驚き燥いで上気する斉場少年とは対照的に、左文字も辺場教授も表情が青褪めたものに成る。

「教授。確かココって、古墳時代の遺跡でしたよね」

「そうだとも」

「それから、先生の研究では左文字は江戸時代の中頃に産まれたということですよね」

「そうだとも」

「最後に…これ、この落書きって油性ペンで書かれていますよね⁉」

「…」

 辺場教授の沈黙と愕然とした表情に成る左文字。そんな二人の事情が今一つ解らない斉場少年が、狼狽えたように視線を二人の間で彷徨(さまよ)わせる。

 左文字が声高に叫ぶ真実を繋げると、この古墳自体は喰い逃げ屋『左文字』とは直接的な関わりは無く、明らかに奥義書との間に時代の錯誤が窺える。

 それに絵を描くことに使われた道具が油性ペンであることが、この細工を施した人物が現代人であることが推理できる。

 そして絵の横に記された『㊧』の印から、犯人は左文字の関係者であることが結論付けられることに成る。

 当然、左文字が疑われるが、左文字自身それを否定する。

 それもその筈。左文字は森将軍塚古墳のこの『喰い逃げ屋の間』へと通じる仕掛けを知らなかった。そもそも、辺場教授から先日稀教えて聞かされるまで長野に古墳が有る事すら知らなかったのだ。

 ―――だとすると。

 消去法で考える左文字と辺場教授。その二人の脳裏には同時に同一人物の顔が浮かび上がる。

「ああ! もう。何て事をしてくれているんですか! 先代!」

「マッタク! ホントあの人は!」

 大声で憤慨する年長者二人に、斉場少年も生徒たちも、若い身空の彼らには意味も解らず立ち尽くす。

「その、師匠。コレって…」

 質問するのも(はばか)られるほど苦く顔を(しか)めている左文字に、勇気を持って斉場少年が声を掛ければ、白目を剥いた師匠がこっちを向いてくる。

「そうです…。先代の左文字の落書きです」

「えぇ…」

 思わず引いた反応を見せてしまう斉場少年に、左文字も最前から落胆の溜息が出続けて止まらない。

「…でも、その先代ってこんな事するような人なんですか? もしかしたら左文字の名を語った偽物かも知れませんし」

 そう考えればまだ救いがある。そんな思いからの代案であったが、左文字と辺場教授は互いに顔を見合わせて、示し合せた様な溜息を吐く。

「いいえ、これがやるんですよ」

「やるやる、メッチャやる」

 この二人にここまで信用を得ていない先代左文字とは何者なのか。

 とりあえずその人はロクデナシなのは十分理解できた斉場少年は、一先ずいろいろ棚に上げてマス目の奥義書をスマホのカメラに収めてゆく。

「何はともあれ、これは有益な情報ですよ。この奥義書の意味を理解して身に着けることが出来れば、師匠ももう一~二段上の喰い逃げ屋に成れますね」

 三つの奥義書の写真を撮り終えて、左文字の方に振り向く斉場少年。

「やっぱりコレって元に戻さないと駄目ですよね?…」

「友人の考古学者に相談してからだが、そうなるだろうね」

「…その修繕費ってどうなるのです?」

「そこは弟子の君が…」

「ここ数年、先代はボケが進行していて、前後不覚だったということで、どうか一つ…」

「嘘を吐け! あいつはボケる様な玉じゃないだろ」

 だが、今後の責任について言い争いを続ける二人に割って入るのは余りに危険が過ぎると思い、再び写真へ視線を落とす。

「イッタイこれはどういう意味なのでしょうか? それに、先代は何だってこんな場所に?」

 深く考えれば謎めくような、先代左文字からのメッセージであるマス目の奥義書。

 だが、今まで聞かされてきた先代のそのキャラクターから考えると、どうせロクでもない理由なのではないかと思え、斉場少年は深く考えることを止めた。



 左文字達が森将軍塚古墳から奥義書を発見したその頃、『アクタガ』の店主はとある人物に会っていた。

 しかし、そこは薄暗い路地の奥。人目を憚るようでいて、とても真面な人の待ち合わせ場所には見えはしない。

「せっかくの提案だけれども、お断りさせていただくよ」

 そう言い放つ店主だが、それは奇妙の一言に尽きた。

 言葉を投げかけたその先に、居るべきはずの相手の姿が見えない。

 あるのは壁とアスファルト。そして電柱が立っているだけだった。

『そう言うな。きっと我々は力になれる』

 しかし、さらに奇妙なことに、その言葉に返答する声が前後左右何処からともなく響いてくる。

 もちろん店主の目の前にあるのはコンクリートだけ。人っ子一人居やしない。

 それでも確実に響くその声は、まるで石から滲み出てきたかのように思えた。

『左文字はきっとお前さんのところにリベンジに来るだろう。それも以前とは比べ物にならない実力を伴ってな。そうなれば、お前さんご自慢のチャレンジ蕎麦もきっと歯が立たないだろうね』

 嫌なことを言ってくれる。店主の顔に明らかな不快の表情が浮かんでくる。

 自慢のチャレンジ蕎麦が負けるなどと、含み笑いを伴って言われてしまえば、いくら穏やかな感情であっても波風が立ってしまう。

『そうなればどうなると思う? 料理をすべて食い切られたら、今度は『逃げ』が始まるぞ。お前さんたちは果たして逃げる左文字に追いつけるかな?』

「それは…」

 口ごもる店主。だがそれは事実だったからだ。

 蕎麦には絶対の自信がある『アクタガ』。しかし、逃げを打つ喰い逃げ屋を追いかけることに賭けては自信がない。

 だからこそ、その隙をこの声の主に突かれたのだろう。

『まあ、どうするか考えておいてくれ。覚悟が決まったならば、そこの番号に連絡してくれればイイ』

 店主の惑う視線が向かうその先に、一枚の名刺が宛ら手裏剣の如く跳んできて、アスファルトに突き刺さる。

「…極力頼らないからな」

 負け惜しみのように言い放つ店主の言葉だが、それに応える声は最早何処からも聞こえてきなかった。

 恐る恐る名刺を拾い上げると、電話番号が記載されている。

 ここに掛ければイイのだろうか。シゲシゲと名刺を眺め終えた店主は、踵を返して路地を後にする。

 確かに逃げられてしまえば打つ手が無くなるだろう。それこそ、先ほどの声の主に頼らなければならないほどに。

 それならば、やはり走らせなければイイ。

 路地を出る頃の店主の表情は、覚悟を決めた真剣そのものとなっていた。

 左文字は10年の時間を経て、更なる力を付けたことは解る。

 しかし、それは左文字に限ったことではなく、自分たち『アクタガ』もまた成長しているのだ。

 もしも仮に再び左文字が挑んできたとしても、目にもの見せて返り討ちにしてくれる。

 その意気込みがあったのだ。

「まあ、前回あれだけコテンパにやってやりましたからね…。そうそう、賽銭を挑んでこないでしょう」

 昨日、偶然に出会った左文字の様子を思い出し、あの気後れした表情から察するに、再戦の意思は薄いと思える。

 それならば、このまま東京まで帰ってくれればイイ。

 そう思い、店主は一人、店へと戻っていった。


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